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梅宮大社 (京都府京都市右京区梅津フケノ川町)

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社号 梅宮大社
読み うめのみや
通称
旧呼称
鎮座地 京都府京都市右京区梅津フケノ川町
旧国郡 山城国葛野郡西梅津村
御祭神 酒解神、酒解子神、大若子神、小若子神
社格 式内社、二十二社、旧官幣中社
例祭 5月3日

 

梅宮大社の概要

京都府京都市右京区梅津フケノ川町に鎮座する式内社です。古くは『延喜式』神名帳で名神大社に列せられ、また二十二社の一社にも列せられた極めて有力な神社でした。現在でも全国的に有名な神社です。

当社は橘氏の氏神として信仰されてきました。社伝によれば、奈良時代に橘諸兄の母、県犬養三千代が山城国綴喜郡井手(現在の京都府綴喜郡井手町)にあった井出氏の氏寺、井手寺に祖神を祀ったのが始まりで、その後三千代の子の光明皇后と牟漏女王が奈良へ遷し、さらに嵯峨天皇の皇后となった橘嘉智子(檀林皇后)が現在地に遷したと伝えられています。

『伊呂波字類抄』という平安時代末期の古辞書には当社の創建についてより詳しく記されています。それによれば、当社は檀林皇后が円堤寺(井手寺)に氏神を祀ったのが始めで、当初は県犬養三千代が祀っていた神を光明皇后と牟漏女王が洛隅内頭(三千代の夫、藤原不比等の屋敷と考えられる。現在の法華寺付近)に祀り、後に「相楽郡提山」(井手町か。ただし相楽郡でなく綴喜郡)に遷したと記しています。そして現在の桂川の畔に遷した事情として、檀林皇后の皇子である仁明天皇に祟りがあり、占いによれば皇室の外戚神でありながら大幣に預からなかったことに対する怒りであると判明したので、檀林皇后が自ら現在地に祀ったとあります。

『伊呂波字類抄』は社伝と異なり井手に神を祀ったのは県犬養三千代でなく檀林皇后としています。また、現在地に遷座した事情が皇室の外戚神でありながら軽視されたことによる祟りであるとする点にも注目すべきでしょう。

本来の当社の神は県犬養三千代が私的に祀っていた祖神です。「県犬養氏」は屯倉(朝廷の直轄地)を守衛する品部の一つで、『新撰姓氏録』左京神別に神魂命の八世孫、阿居太都命の後裔であるという「県犬養宿祢」が登載されています。元々は県犬養の祖神である神魂命、もしくは阿居太都命を祀っていたのかもしれません。

県犬養三千代は敏達天皇の子孫である美努王に嫁いで葛城王(後の橘諸兄)らを生み、後には藤原不比等の後妻となり光明子(後の光明皇后)らを生むなど、皇室と深い関わりを持ちました。こうした功績から「橘宿祢」の姓が贈られ、ここに皇室の外戚氏族としての橘氏が始まります。

三千代の子、橘諸兄は正一位・左大臣として権勢を振るいましたが、次代には政争に敗れて没落。しかし諸兄の曾孫である橘嘉智子が嵯峨天皇の皇后となると再び橘氏は皇室の外戚氏族として勢力を伸ばしました。『伊呂波字類抄』に記される当社の遷座の様子はこうした力関係が影響しているのでしょう。

10世紀以降は橘氏の勢力が衰え、当社の祭祀も細々と続いていたものの、文明年間には戦乱により焼失したようです。江戸時代以降に再建され、現在見る境内が整えられました。

御祭神を見てみると、当社では「酒解神」及びその御子神を祀っています。「酒解神」は記紀に見えずその神格は詳らかでありません。一説に「辟解神」「境解神」と解して境界において悪霊や災厄を祓う神であるとも言われています。同じ山城国の式内社では同神を祀ると思われる「自玉手祭来酒解神社」があり、何らかの関係があるのかもしれません。

また一説に橘氏の祖神ともされますが、先述のように橘氏は臣籍降下した氏族であり、また外戚の県犬養氏も祖神は神魂命です。県犬養三千代が祀っていた時代から「酒解神」を祀っていたかどうかも疑問であり、いずれにせよ橘氏の氏神として祀られるようになった経緯は不明です。

一方で当社では「酒解神」を「大山祇神」に、「酒解子神」を「木花咲耶姫命」に、「大若子神」を「瓊瓊杵尊」に、「小若子神」を「彦火々出見尊」に充てています。大山祇神から続く系譜の神々となりますが、このように見なされるようになった事情も不明です。

このように橘氏の氏神というはっきりした由緒を持ちながら、祀られている神は謎に満ちており、複雑な歴史のあったことが偲ばれます。この神も中世以降は「酒解神」の字から酒造の神として近隣の「松尾大社」と共に信仰されました。

現在は境内にある神苑に四季折々の花を咲かせ、京都でも有数の花の神社として多くの参拝客を集めています。

 

境内の様子

一の鳥居は境内の100mほど南方に建っています。

 

二の鳥居は鮮やかな朱の鳥居。

 

二の鳥居をくぐると大きな三間一戸の楼門形式の随身門が建っています。左右それぞれに木製の随身像が安置されています。文政十三年(1830年)の再建で、京都府登録文化財となっています。

 

当社は御祭神の「酒解神」の字面からか、中世以降は近隣の「松尾大社」と共に酒造の神としても信仰されました。随身門には蔵元から奉納された酒樽が並べられています。

 

随身門をくぐって左側(西側)に手水舎が建っています。こちらにも酒樽が並べられています。

 

随身門の奥に南向きの社殿が並んでいます。拝殿は桁行・梁行三間の銅板葺き妻入の入母屋造で、京都府で一般的な舞殿風拝殿です。文政十一年(1828年)に再建されたもので、京都府登録文化財となっています。

 

拝殿の後方に中門・瑞垣、そして本殿が建ち並んでいます。本殿は檜皮葺の三間社流造で、元禄十三年(1700年)の再建。京都府登録文化財となっています。

 

中門前に配置されている狛犬。神社の規模の割には小ぢんまりとした狛犬です。

 

中門の左側(西側)に祓所があります。簡易な神事はここで行われるのでしょうか。

 

祓所の奥に「護王社」が鎮座。御祭神は「橘氏公公」。橘氏公は橘嘉智子(檀林皇后)の異母兄で、仁明天皇の外叔父として従二位・右大臣に叙せられました。橘氏の代表的な人物の一人です。京都府登録文化財

 

護王社の側に「影向石」と呼ばれる磐座が祀られています。熊野から飛来した三羽の烏が石と化したものと伝えられています。

 

護王社の左側(西側)には八社の境内社が相殿として祀られています。社名および御祭神は左から次のようになっています。

天満宮 菅原道実
春日社 天児屋根命
厳嶋社 市杵嶋姫命
住吉社 表筒男命・底筒男命
薬師社 大己貴神・少彦名神
愛宕社 伊弉冉尊
天皇社 素戔嗚尊
幸神社 猿田彦神・天宇受賣命

 

一方、本社本殿の右側(東側)には「若宮社」が鎮座しています。御祭神は「橘諸兄公」。橘諸兄は県犬養三千代の子、光明皇后の異父兄で、正一位・左大臣にまで昇りつめて源平藤橘の一角たる橘氏の礎を築いた人物です。京都府登録文化財

 

本社本殿と若宮社の間に「またげ石」と呼ばれる二つの丸石があります。これを跨ぐと子授けに験があるとして、またその下の白砂は安産のお守りとして信仰されています。これは子に恵まれなかった檀林皇后が当社に祈願した故事に因んでいます。

 

境内の東側には「稲荷社」が鎮座しています。こちらの境内社は玉垣の外に鎮座しています。

 

境内の南側には「猿田彦大神」「宇受女命(?)」を祀る二つの石があります。

 

境内の東側に平入切妻造の薬医門があり、その先には有料の神苑が広がっています。様々な植物が植えられており、四季折々の花が楽しめます。

 

6月中旬頃の神苑の様子。水辺には花菖蒲が花を咲かせています。

 

また同時期には紫陽花も多くの花を咲かせて神苑を彩ります。

他にも梅や杜若が有名で、桜や躑躅、椿も美しく、京都でも有数の花の名所として知られています。

 

紫陽花は社務所の前にも綺麗に花を咲かせていました。境内には人に馴れた猫もいます。

 

随身門を出て参道の左側(西側)にも境内社「梅津神明社」が鎮座しています。「天照大神」と「豊受大神」を祀っています。2012年に氏子地域にあった神明社をここに遷座したようです。

 

タマヨリ姫
ここは橘氏の氏神さんなんだね!御祭神の酒解神が橘氏の祖神ってことなのかな?
橘氏は皇族が皇籍を離れて成立した氏族だから、祖神というのはちょっと違うと思うわ。ただ、酒解神は日本神話に登場しないからその性格はよくわかっていないの。一説に境界の神とも言われてるわね。
トヨタマ姫

 

御朱印・御朱印帳

 

 

由緒

案内板「梅宮大社」

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梅宮大社

奈良時代の政治家であった橘諸兄の母・縣犬養橘三千代が、橘氏の氏神として現在の綴喜郡井手町付近に創建したのが始まりといわれる。平安時代の始め、嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(檀林皇后)によって現在の地に移された。

酒解神(大山祇神)、大若子神(瓊瓊杵尊)、小若子神(彦火火出見尊)、酒解子神(木花咲耶姫命)の四座を祭神とする。酒解神の御子・酒解子神は大若子神との一夜の契りで小若子神が生まれたことから、歓喜して、狭名田の稲をとって天甜酒を造り、これを飲んだという神話から、古くから安産と造酒の神として有名である。

また、皇子に恵まれなかった檀林皇后が、本殿の横に鎮座する「またげ石」をまたいで子どもを授かったことから、この石をまたげば子宝に恵まれると伝えられ、その下の白砂は安産のお守りとされている。

現在、本殿、拝殿、幣殿、廻廊、中門などがあるが、これらは元禄十三年(一七〇〇)の再建によるものである。

庭園は、杜若や花菖蒲の名所として知られているほか、梅、八重桜、椿、つつじ、あじさいが美しい。

京都市

『都名所図会』

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梅宮は四条の西梅津里にあり。祭る所四座にして酒解神 大若子 小若子 酒解子神なり。相殿には橘贈太政大臣清友(諸兄公孫奈良麻呂子)檀林皇后嘉智子を祭る。この皇后は嵯峨天皇の愛妃なりしかども太子なきことを常に愁て酒解神を祈り給へり。既に感応ありて妊身となりましまし則当社の清砂を御坐の下に敷太子を隆誕したまふ。仁明天皇是なり。故に世人産月に臨ば当社の砂を取りて帯襟に佩はこの遺風なりとぞ。

熊野三所影向石 紀州三熊野より三つの烏来って化するなり。当社の例祭は四月上の申日。神輿二基。

 

地図

京都府京都市右京区梅津フケノ川町

 

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