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北野天満宮境内社 (京都府京都市上京区御前通今出川上ル馬喰町)

北野天満宮の境内社

参道(楼門前)の様子

伴氏社

参道の三の鳥居手前の左側(西側)に東向きに鎮座しているのが「伴氏社」。御祭神は「菅原道真公の母君」。

元々ここには、伴氏の出身だった菅原道真公の母君のために建てられたと伝えられていた石造五輪塔が置かれ、「北野ノ石塔」と呼ばれていましたが、明治の神仏分離により代わって造営されたのが当社です。

式内社「伴氏神社」を当社に比定する説もありますが、伴氏の祖神を祀ったわけでなく、前述の通り元々は菅原道真の母を祀る五輪塔であり、当社が式内社であるとは考えにくいでしょう。

一間社流見世棚造の社殿の前には鎌倉時代の作と言われる鳥居が建っており、国の重要美術品となっています。

鳥居の台座には蓮弁が刻まれており非常に珍しいもの。木嶋坐天照御魂神社の三柱鳥居、京都御苑内に鎮座する厳島神社の唐破風鳥居と並び、京都三珍鳥居とされています。

案内板「末社 伴氏社」

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末社 伴氏社

御祭神

菅原道真公の母君

御神徳

子どもの成長と学業成就を守護

例祭日

一月十四日

菅原道真公の母君が大伴氏の出身であることより伴氏社と称する。かつては、石造りの五輪塔が置かれていたが明治維新の神仏分離政策により、当社南隣の東向観音寺に移された。

暖かい愛情と厳しいまなざしをもって菅公を優秀な青年官吏に育て上げられた母君を祀るこの神社は、わが子の健やかな成長と大成を願うお母様方の篤い信仰を集めている。

神前の石鳥居は鎌倉時代の作で、国の重要美術品に指定されており、台座に刻まれた珍しい蓮弁により有名である。

 

参道(三光門前)の様子

楼門をくぐって参道を枡形状に進みます。三光門の前の参道に左右二社ずつ、計四社の境内社が鎮座しています。

 

福部社

参道左側(西側)の手前側(南側)に「福部社」が東向きに鎮座。御祭神は「十川能福」。檜皮葺の一間社流造。

十川能福は菅原道真に仕えた舎人ですが、この人物を祀る当社はいつしかその社名から福の神として信仰されるようになったようです。

案内板「摂社 福部社」

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摂社 福部社

祭神

十川能福

神徳

開運招福の神

例祭日

三月十二日

祭神十川能福は、菅公に仕えた舎人(牛車を引く牛の世話役)であるが、その祭神名と社名より、いつの頃よりか金運と開運招福をつかさどる「福の神」として崇敬を集めるようになった。

毎年節分の日に、茂山千五郎社中により奉納される追儺狂言『福の神』は、この社の祭神を主人公にした創作もので、天満宮参詣の人々に悪事をはたらく鬼を福の神が退治する筋立てが上演される。

 

老松社

福部社の右側(北側)に「老松社」が東向きに鎮座。御祭神は「島田忠臣翁」。檜皮葺の一間社流造。

島田忠臣は菅原道真の家臣とも夫人の父とも言われ、道真が左遷後に天の神々に無実を訴えるために天拝山に登ったとき道真の笏を預かってお供をし、後に道真から松の種を託された人物と言われています。

案内板「摂社 老松社」

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摂社 老松社

祭神

島田忠臣翁

神徳

植林・林業の神

例祭日

三月十二日

祭神の島田忠臣は、菅公の家臣と伝えられ、また一説には公の岳父(夫人の父)ともいわれる。

忠臣は、菅公が配流先の太宰府で、自らの無実を天の神々に訴えるため天拝山に登られた時、公の笏を預かってお供をした人物で、後に菅公は忠臣に松の種を持たせ当地に撒くように託された。道真公のご神霊がこの地に降臨される時、多数の松が一夜にして生じたという伝説はこの事蹟にもとづくものといわれる。

 

白太夫社

参道右側(東側)の手前側(南側)に「白太夫社」が西向きに鎮座。御祭神は「渡会春彦翁」。檜皮葺の一間社流造。

渡会春彦は元は伊勢神宮の神官で、豊受大神宮に祈願して生まれたのが菅原道真と言われています。その後春彦は道真に仕え、若くして白髪だったので白太夫と呼ばれたと言われています。

傀儡師の信仰した神である百太夫と似た社名ですが、異なる信仰のようです。

案内板「摂社 白太夫社」

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摂社 白太夫社

祭神

渡会春彦翁

神徳

子授けの神

例祭日

一月九日

文章博士菅原是善卿は、世継ぎの誕生を伊勢神宮の青年神官渡会春彦に託して豊受大神宮(外宮)に祈願された。そしてお生まれになったのが、道真公である。

それ以来、数十年にわたって守役として、菅公に仕え、忠誠を尽くした翁は若い頃より髪が白く人々より白太夫と呼ばれた。各地の天満宮に白太夫と称えて、必ず翁を祭るのはこのようないわれによる。

 

火之御子社

白太夫社の左側(北側)に「火之御子社」が西向きに鎮座。御祭神は「火雷神」。檜皮葺の一間社流造。

北野天満宮が創建される以前にこの地に祀られていた神で、「北野雷公」と呼ばれていました。記録では菅原道真を左遷させた藤原時平の父、藤原基経が北野雷公を祀ったことが見えています。

京都盆地では賀茂別雷神社の信仰に見られるように、平安京遷都以前から雷神への信仰が厚かったと考えられ、当社もその一環だったことが考えられます。

清涼殿に落雷した事件が菅原道真の怨霊によるものとされたことから、後に菅原道真と雷神が結びつき「火雷天神」と称するようになります。

案内板「摂社 火之御子社」

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摂社 火之御子社

祭神

火雷神

神徳

雷除け・五穀豊穣の神

例祭日

六月一日(午前四時祭典、午前五時より夕刻まで守札授与)

ご祭神・火雷神は、天満宮鎮座の天暦元年(九四七年)以前に、この地に『北野雷公』と称え祭られ、雷電・火難・豊作などの守護神として、広く人々の崇敬を集めた。古い記録によれば、元慶年中(八八〇年頃)太政大臣藤原基経が、五穀豊穣を祈願するため、この北野雷公をお祭りしたとあり、以来毎年丁重なる祭典が続けられてきた。現在午前四時に当社前にて、古式にのっとり火鑽式を行い、その斎火(聖火)を転じて「雷除守札」に祈願を込め、その後参拝の人々に授与されている。平安時代、朝廷では主として雷神に雨を祈り豊作を祈願したが、雷の多い年は豊作である反面その害も少なくないため、五穀豊穣とあわせて雷害のないことを祭神に祈願するようになった。それが時代とともに雷除けが主となり現在に至っている。

 

絵馬殿

楼門の左側(西側)、三光門前の参道の南側に絵馬殿が建っています。桟瓦葺の切妻造で、桁行六間、梁間二間の大規模な建物。

屋根裏には数多くの絵馬が掲げられています。

 

大杉社

絵馬殿のすぐ西側に隣接して「大杉社」が鎮座。鳥居と瑞垣が設けられていますが社殿があるわけでなく、杉の御神木です。

聖歓喜天が宿るとして信仰されていましたが、落雷により被害を受けて下部を残すのみとなっています。

案内板「大杉社」

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大杉社

当宮随一の御神木である。

室町時代に作成された『社頭古絵図』には、すでに樹齢数百年らしき二又の杉の巨木が描かれており、これより推定しても一千年以上の時を経たものとおもわれる。

神仏習合時代の室町期には「聖歓喜天」の宿る諸願成就の神木として一層の信仰を集めた。

のち落雷によって惜しくも二又の幹はくじけ、根幹を残すのみとなったが、その威容は多くの崇敬者によって守り継がれ、いささかも衰えることはない。

 

宗像社

大杉社のすぐ右側(北側)に隣接して「宗像社」が東向きに鎮座。御祭神は「田心媛神」「湍津姫神」「市杵島姫神」。

二基の鳥居が建ち、銅板葺の一間社流見世棚造の朱塗りの社殿となっています。

かつてこの西側あった池に祀られていたと伝えられています。

案内板「末社 宗像社」

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末社 宗像社

祭神

田心媛神
湍津姫神
市杵島姫神

神徳

交通・海上運輸安全

ご祭神は、福岡県の北西部 玄界灘に望む陸地(現在の宗像郡玄海町)とその沖あきにある二つの島にご鎮座になられた「宗像の三女神」とよばれる神々である。

太古よりこの海域は、大陸との交流において重要な道すじにあたり、海上交通の要所に鎮まる宗像の三女神は、道をつかさどる最高神として手篤く祭られてきた。

当社は、昔この社殿の西に池があり、水底にご鎮座になっていたご神体をこの場所に移したものと伝えられる。

 

境内西側の様子

宗像社の脇からさらに西へ道が伸びており、この奥の境内西側の空間には四社の境内社が東向きに鎮座しています。

 

猿田彦社

境内西側の境内社群の内、最も南側に鎮座するのは「猿田彦社」。御祭神は「猿田彦神」。相殿に「大宮売神」を祀っています。

この空間の境内社群の中では最も小さな社殿で、檜皮葺の一間社流見世棚造。

末社 猿田彦社

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末社 猿田彦社

祭神

猿田彦神

神徳

交通安全

(相殿)

大宮売神

神徳

芸能・舞踊上達

猿田彦神は、日本の国をよく治めるようにという天照大神の命令を受けた瓊瓊杵命が、高天原(天上にある神々の世界)より地上に降り立たれる際、先頭に立って道案内をした神であり、この神話をもって交通安全の神として崇められてきた。身の丈二メートルをこえる巨体と長い鼻を持ったこの神は、昔から「天狗さま」として親しまれている。

大宮売神は、天鈿女命の別名、弟神 素戔嗚命の乱暴なふるまいを嘆き悲しまれ、天岩屋戸にお隠れになった天照大神を、軽妙な踊りでなぐさめた女神であり、芸能上達の守護神として崇敬される。愛嬌のある顔立ちをされた神で、わが国に伝わる「おかめ」というユーモラスな女性の顔は、この女神をモデルにしたものである。

 

稲荷神社

猿田彦社の右側(北側)に「稲荷神社」が鎮座。御祭神は「倉稲魂神」「猿田彦命」「大宮女命」。

何故か猿田彦社と御祭神がダブっています。社殿は檜皮葺の一間社流造。

昔火災があった際に当社の手前で火の手が止まったと伝えられ、火難除けの神としても信仰されています。

案内板「末社 稲荷神社」

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末社 稲荷神社

祭神

倉稲魂神
猿田彦命
大宮女命

神徳

五穀豊饒
商売繁盛
火難除け

例祭日

二月初午の日

祭神は「稲生りの神」と称えられる通り、五穀(米・麦・粟・豆・稗)豊穣をつかさどり、また商売繁盛の守護神としても代表的な神である。

当社はまた、昔この付近に大火があった際、この神社の手前で火の手がぴたりと止まったという伝えによって『火除け稲荷』とも呼ばれ、信仰を集めている。

 

一之保神社・奇御魂神社

稲荷社の右側(北側)に「一之保神社」と「奇御魂神社」が相殿になった神社が鎮座。

御祭神は一之保神社が「菅原大神」、奇御魂神社が「道真公の奇御魂」です。社殿は銅板葺の三間社入母屋造。

一之保神社は西の京北町に鎮座していた「安楽寺天満宮」を明治年間に当地に遷したもの。

また鎌倉時代以降に菅原道真が宋へ渡ったとする伝説が生まれ、奇御魂神社はこの「渡唐天神」を祀っているようです。

案内板「末社 一之保神社/末社 奇御魂神社」

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末社 一之保神社

祭神

菅原大神(菅原道真公)

神徳

学徳成就

この神社は、道真公が太宰府に残された手作りの木像を持ち帰り、西の京(京都市中京区南西部 天満宮の氏子区域)北町に建てた小さな社に納め、これを「安楽寺天満宮」と称して祭られていたもので、明治になって当地へ遷された。

「安楽寺」とは、菅公の墓所となった寺で、太宰府天満宮の起源とされるが、菅公のご遺徳を偲ぶ人々によって、この寺に因んだ神社名が付けられていたと思われる。

末社 奇御魂神社

祭神

道真公の奇御魂

神徳

文芸・歌道上達の神

「奇御魂」とはさまざまな不思議や奇跡をよびおこす特別な力を持った神霊のことで、鎌倉時代の中頃菅公のご神霊が、東福寺の開祖円爾国師の前に現れ「私はこのたび宋に飛び、一日にして禅の奥義を修得した」と告げられた。その時菅公は唐衣をまとい手に一輪の梅の花を持たれていたため、以来このお姿を「渡唐(宋)天神」と称え祭るようになった。

また昔天満宮の境内でさかんにあった法楽連歌(天神さまをなぐさめるため人々が集い和歌を詠みあう会)は、この「渡唐天神」の肖像の前で行われたことにより、菅公は和歌・文芸上達の守護神として崇敬されるようになる。

 

野見宿祢神社・豊国神社・一夜松社

一之保神社・奇御魂神社の右側(北側)に「野見宿祢神社」「豊国神社」「一夜松社」の三社の相殿が鎮座。

御祭神は、野見宿祢神社が「野見宿祢」、豊国神社が「豊臣秀吉公」、一夜松社が「一夜千松の霊」。

社殿は銅板葺の三間社入母屋造。

野見宿祢は菅原道真はじめ土師氏の祖となる人物です。

豊臣秀吉は天正十五年(1587年)に当社境内で北野大茶湯を大々的に開催し、当社とも関係の深い人物です。

また当社創建に先立ち一夜にして千本の松が生じたとの伝説があり、一夜松社にはこの松の霊を祀っています。

案内板「末社 野見宿祢神社/末社 豊国神社/末社 一夜松社」

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末社 野見宿祢神社

祭神

野見宿祢

神徳

武芸・スポーツ上達

野見宿祢は道真公の十六代前の先祖。文武両道に優れた勇士で、垂仁天皇の御前試合において、最強の力士を豪語する当麻蹴速を打ち破り相撲の祖と仰がれた。このため大相撲京都場所の際は、力士の参拝も多い。

のち宿祢は朝廷に仕え、古いしきたりを改めた功績により土師の姓を賜った。

末社 豊国神社

祭神

豊臣秀吉公

神徳

開運・立身出世の神

豊臣秀吉公は、天下統一を達成し豊太閤と称えられる安土桃山時代の武将である。秀吉公は北野天満宮への崇敬がことのほか篤く、天正十五年(一五八七)には当宮境内地において北野大茶湯を催され、また天満宮現本殿(国宝)の造営を遺命とするなど数々の歴史的偉業を残された。

末社 一夜松社

祭神

一夜千松の霊

神徳

延命長寿の神

一夜千松の霊とは、北野天満宮創建に先立ち、「私の魂を祭るべき地には一夜にして千本の松を生じさせる」という道真公のお告げによって、この一帯に生えた松に宿る神霊をいう。境内に多い松の樹々は、この一夜千本の名残りとされる。

 

社殿周辺の様子

本社社殿の周囲にも数多くの境内社が鎮座しています。西廻廊から西側へ出たところから時計回りに紹介していきます。

 

神明社

本社拝殿前から左(西側)へ、西廻廊の出入口を出てすぐのところに「神明社」が北向きに鎮座。御祭神は不明。

銅板葺で朱塗りの一間社流見世棚造です。

元々は本社の北200mほどの上京区神明町に鎮座していたと言われ、そのすぐ近隣に「高橋町」の地名があることから式内社「高橋神社」は当社ではないかとする説があります。

ただし当社についての来歴は不詳で、当社が式内社であるかを確認する術は無さそうです。

 

神明社の右側(西側)に銅板葺の一間社流見世棚造の境内社が北向きに鎮座していますが、こちらは社名・祭神共に不明。

 

七社相殿

神明社の北側に七社が相殿となった境内社が東向きに鎮座。

祀られているのは左側から順に「大判事社」「三位殿社」「和泉殿社」「宰相殿社」「周枳社」「一挙社」「那伊鎌社」。

 

四社相殿

七社の相殿の右側(北側)に四社が相殿になった境内社が東向きに鎮座。

祀られているのは左から順に「若松社」「八幡社」「松童社」「夷社」。

 

八社相殿

四社の相殿の右側(北側)に八社が相殿になった境内社が東向きに鎮座。

祀られているのは左から順に「荒神社」「貴布禰社」「今雄社」「早鳥社」「御靈社」「安麻神社」「高千穗社」「福部社」。

 

十二社相殿

八社の相殿から右に折れ、本社本殿の後方(北側)にあたる空間に十二社が相殿になった境内社が南向きに鎮座。

祀られているのは左から順に「崇道天皇社」「吉備大臣社」「櫻葉社」「白太夫社」「老松社」「太宰少貳社」「淳仁天皇社」「文大夫社」「藤大夫社」「橘逸勢社」「大門社」「寛筭社」。

 

老松社

十二社の相殿の右側(東側)に「老松社」が南向きに鎮座。御祭神は「島田忠臣翁」。檜皮葺の一間社流造。

何故か三光門の前に鎮座している境内社と同名・同神の境内社がこちらにも鎮座しています。

社前に立てられている案内板も全く同一の内容。

 

地主神社

老松社の右側(東側)に「地主神社」が南向きに鎮座。御祭神は「天神地祇」で、相殿に「敦実親王」「斎世親王」「源英明朝臣」を祀っています。

檜皮葺で朱塗りの一間社流造。本社社殿と共に豊臣秀頼の命で建てられたもの。

本社創建以前からこの地で祀られていた神とされています。

『続日本後紀』承和三年(836年)二月朔の条に遣唐使のために天神地祇を北野に祀るとあるのは当社とも考えられます。

案内板「摂社 地主神社」

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摂社 地主神社

祭神

天神地祇

(相殿)

敦実親王
斎世親王
源英明朝臣

神徳

招福
交通安全
諸願成就

例祭日

四月十六日

当宮は、『続日本後紀』に「承和三年(八三六年 菅公ご生誕の九年目)二月一日、遣唐使のために天神地祇を北野に祭る」と記録されている通り、天満宮創建以前よりこの地に鎮座していた神社である。

主祭神の天神地祇とは、日本国内六十余国に祭られたすべての神々のことであり、ともに祭られる三人の皇子はいずれも道真公のご血縁など、特に公とゆかりの深い方々である。現社殿は豊臣秀頼公の造営になり、由緒・規模とも天満宮第一の摂社である。

 

文子天満宮

地主神社の右側(東側)から北へ続く道を進むと、境内の北端近くに「文子天満宮」が南向きに鎮座。御祭神は「菅原大神」。

鳥居が建ち、基壇上に瑞垣で囲われて銅板葺の一間社流見世棚造の社殿が建っています。

天慶五年(942年)、右京七条二坊十三町に住む「多治比文子」という少女に神託があって菅原道真の霊を祀るよう告げられ、後に他の人にも神託があったことから北野天満宮が創建されましたが、菅原道真公の神霊は文子の宅地内にとりあえず祀られていたものを遷したと言われています。

後に文子の宅地跡が神殿に改められたのが当社で、いつしか西の京に遷され、明治六年(1873年)に現在地に遷座されました。

案内板「末社 文子天満宮」

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末社 文子天満宮

祭神

菅原大神(菅原道真公)

神徳

入試・学徳成就

例祭日

四月第二木曜 神幸祭
四月第三日曜 還幸祭

道真公が太宰府で生涯を閉じられて四十年を経た天慶五年(九四二)、右京七条二坊(現在の京都市下京区千本通り七条辺)に住む巫女多治比文子に菅公の神霊より、わが魂を右近馬場(現境内地)に祭れとのお告げがあり、文子はとりあえず自宅に菅公の御霊をお祭りした。これが北野天満宮の発症である。

その後、他の霊能者にも同じご神託が相つぎ、天暦元年(九四七)天満宮は現在地に移された。文子の住居跡は神殿につくり改め文子天満宮と称えられてきたが、やがて西の京に移され、さらに明治六年この場所に遷座された。

 

竈社

本社社殿の東側に「竈社」が南向きに鎮座。御祭神は「庭津彦神」「庭津姫神」「火産霊神」。

三基の鳥居が建ち、銅板葺の一間社流造の社殿となっています。

元々本社の神饌を調理する御供所のかまどに祀られていたもので、社殿の下に大釜が納められています。

末社 竈社

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末社 竈社

祭神

庭津彦神
庭津姫神
火産霊神

神徳

台所の守り神

例祭日

六月十七日

庭津彦・庭津姫の「庭」は家庭の意味で、この二神は家庭の守護神、また火産霊神は、火をつかさどる神である。

古来この三柱の神は、かまど・台所の守り神として渡したちの日常生活と密接に結びつき、各家庭で大切に守られて来た。

この神々はもともと天満宮の御供所(神さまへのお供えを調理する台所)のかまどに祭られていたもので、昔から使われてきた大釜が社殿の床下に納められており、かいま見ることができる。

なお、かまどの神については中国にも同様の信仰があり、この神を台所に祭ると福を招くとして守り継がれている。

 

梅園

当社の境内南西部には梅園が広がり、毎年二月下旬から三月上旬頃にかけて梅の花が咲き誇り、観梅を楽しむことができます。

菅原道真は梅をこよなく愛したと言われ、天満宮の神紋が梅鉢紋であるように天満宮の信仰と深く関わる花です。

道真が左遷の旅立ちの際に「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」と詠んだことは殊に有名で、花の時期はこの歌の梅を彷彿させるような幻想的な光景となります。

 

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