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向日神社 (京都府向日市向日町北山)

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社号 向日神社
読み むこう/むかひ
通称
旧呼称
鎮座地 京都府向日市向日町北山
旧国郡 山城国乙訓郡向日町
御祭神 向日神、火雷神、玉依姫命、神武天皇
社格 式内社、旧府社
例祭 5月第二日曜日

 

向日神社の概要

京都府向日市向日町北山に鎮座する式内社です。式内社「向神社」は当社に比定されていると共に、長岡京市井ノ内地区の「角宮神社」と並んで式内社「乙訓坐大雷神社」の論社の一つとなっています。

当社は京都西山から南に伸びる西ノ岡丘陵の南端の上にあり、この丘を「向日山」と称しています。社伝によれば、大歳神の御子である御歳神がこの丘に登って向日山と名付け、この地に鎮まって稲作を奨励し、向日神として鎮座したとしています。また創建年代は不詳ながら養老二年(718年)に社殿を改築したことが伝えられています。

また一方で神武天皇が大和国の橿原から山城国へ移り住んだ時に向日山の麓に火雷大神を祀ったと伝えられています。

前者は式内社「向神社」で「上ノ社」と称し、後者は式内社「乙訓坐大雷神社」で「下ノ社」と称されてきました。両社は同じ向日山に鎮座していましたが、あくまで別々の神社だったようです。ただ、上ノ社・下ノ社の呼称から半ば一体的な信仰はあったのかもしれません。

しかし建治元年(1275年)に下ノ社が荒廃したことにより下ノ社の神は上ノ社に合祀され、それ以来四柱を祀る向日神社として今日に至っています。

当社の本殿は応永二十九年(1422年)に建立された三間社流造で、貴重な建築として国指定重要文化財となっています。

本殿を含む当社社殿は現在は東向きに建っていますが、『山州名跡志』等の記述からかつては南向きに建っていたことがわかっています。古い建築でありながら、社殿の向きをわざわざ変えたのはどういうわけでしょう。神の祟りを恐れて社殿の向きを変える例は全国に多々ありますが(淡路島の「大和大国魂神社」等)、当社の参道は今と変わらず東に伸びていたことから、どちらかというと参拝客の動線を考慮したものだったのかもしれません。

当社の社殿後方には「元稲荷古墳」という墳丘長94mの前方後方墳があります。この古墳は三世紀後半とかなり古い時代に築造されたもので、当社北方にある「五塚原古墳」に次いで京都盆地最古級の古墳であるとされています。他にも西ノ岡丘陵にはいくつかの比較的大きな古墳があり、これらは「向日丘陵古墳群」と呼ばれています。

向日丘陵古墳群は古墳時代でもかなり古い時代に属するため、当社の信仰と直ちに結びつくものとは考えにくいところですが、当地における豪族の動向を知る貴重なものであり、大いに注目しておくべきでしょう。

 

境内の様子

境内入口。鳥居は社殿から250mほど東側に建っており、そこから長い参道が続いています。緩やかな上り坂となっており、丘の上に鎮座していることを身をもって感じられます。

 

参道を進んでいくとだんだん社殿が見えてきます。社殿の建つ空間の少し手前、右側(北側)に手水舎があります。

 

参道の先は一気に開けた空間となっており、石段上に東向きの社殿が建っています。拝殿は京都府で一般的な舞殿風拝殿。

なお、現在東向きの社殿は江戸時代には南向きだったことが『山州名跡志』等からわかっています。

 

舞殿風拝殿の後方にもう一棟別の拝殿が建っています。こちらは他地域でもよく見るような普通の形で、平入の入母屋造に千鳥破風と唐破風の向拝の付いたもの。瓦葺きですが向拝のみ銅板葺きとなっています。

 

拝殿前の狛犬。姿の整った美麗な狛犬です。

 

後方には透塀に囲われた流造状の建築がありますが、どうやらこれは覆屋のようです。本殿はこの中に納められた三間社流造で、応永二十九年(1422年)に建立された貴重な建築として国指定重要文化財となっています。

 

一旦参道を少し戻ります。参道途中の右側(北側)に「勝山稲荷神社」が鎮座しています。御祭神は「倉稲魂命」。

 

勝山稲荷神社の本殿。本殿の背後に回ってみると、下部に穴が開いていることがわかります。一般に神使の狐が出入りする穴であるとされ、京都の稲荷系の神社ではよく見かけるものです。

 

勝山稲荷神社の奥の丘の上にもさらにもう一社稲荷系の祠が鎮座しています。

 

勝山稲荷神社の左側(西側)に隣接して「天満宮」が鎮座しています。御祭神は「菅原神」「大歳神」「屋船神」。

 

今度は社殿側の空間へ。社殿の左側(南側)に鎮座するのは「御霊神社」。御祭神は「伊邪那岐尊」「伊邪那美尊」。

 

御霊神社に隣接して置かれている謎の二つの石。詳細不明ですが注連縄が掛けられており訳ありげです。

 

御霊神社の後方には池があります。

 

社殿の右側(北側)には「五社神社」が鎮座。御祭神は「大己貴神」「武雷神」「別雷神」「磐裂神」「事代主神」。

 

拝殿の右側には屋根付きの橋がありました。その先にある建物は案内板には「祖霊社」とありましたが、祖霊社のためにこのような大仰な設備が設けられるとは考えにくいように感じます。神饌所的な機能も兼ね備えてるのかもしれません。

 

屋根付き橋をくぐると本殿の右側(北側)に「春日神社」が鎮座。御祭神は「武甕槌神」「齋主神」「天津児屋根尊」「姫大神」。

 

本殿の後方には「鶏冠木(かえるで)の苑」と名付けられている空間があります。約170年前までここに本殿があったとされています。恐らく社殿が南向きだった頃のことでしょう。その後は楓と山桜の神苑となり、戦前には土俵もあったようです。近年新たに整備され、石舞台も設けられました。

「鶏冠木(かえるで)」とは楓の古名で、この神苑の象徴であると共に、恐らく隣接する地名の「鶏冠井(かいで)」にも因んだものと思われます。

 

鶏冠木の苑の奥にはこのような石を積み上げた塚があり、その上に「勝山身代不動尊」、石室内には役行者の石像が安置されています。

 

その近くに鎮座する名称不明の祠。

 

鶏冠木の苑の西側から丘陵の下へ下りられる裏参道があり、その下の入口に「増井神社」が鎮座しています。「火雷大神」を祀っているようですが案内板の墨書は判読できません。どうやら祠の奥にある井戸の守護神であるようです。

 

丘陵の西側、裏参道から出たところは紫陽花が綺麗に咲いていました。

 

再び丘陵の東側、当社の表参道側へ。当社のすぐ東方には「長岡宮跡」があります。延暦三年(784年)から延暦十三年(794年)という僅か十年の間でしたが、かつてここに都がありました。

長岡宮跡についての詳細は割愛しますが、もし長岡京への遷都事業が順調に進みその後長らく都として機能していたならば、当社は宮城守護の神社として朝廷から厚い崇敬を受け、全国有数の神社となっていたかもしれません。

 

タマヨリ姫
ここの丘にある古墳は京都でもかなり古いみたい!その古墳を造った人たちが祀ったのがこの神社なのかな?
流石に時代が古すぎて直接的には考えにくいわね。ただ、やっぱり時代を問わずこの地域を治めた人にとってこの丘陵は重要な聖地だったんじゃないかしら。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「向日神社」

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向日神社

向日丘陵南端部、乙訓地域を一望できる最良の地に鎮座する当社は、『延喜式』神名帳に記載された式内社で、「向神社」と称されていました。『向日神社略記』によれば、後に乙訓坐火雷神社を併祭して現在に至っています。後世、向神社を上ノ社と呼び五穀豊饒の神、火雷神を下ノ社と呼び祈雨・鎮火の神として朝廷の崇敬の特に篤い神社であったことは古書に数多く見られます。神社の創建は、養老二(七一八)年に六人部氏が当地を賜ったことに始まるといわれます。

棟札によれば、本殿は、應永二五(一四一八)年より四年の歳月をかけて建造されたもので、造営は、向日市域内外の七ヶ村の共同事業として行ったことを記しています。本殿の建物は、三間社流造で、創建年代のわかる室町時代の代表的な神社建築として重要文化財に指定されています。現社殿は、透塀を囲んで本殿覆屋があり、幣殿、拝殿と連結して権現造のような一連の建物を呈しています。また、明治神宮本殿は、当本殿をモデルとして建立されたとも伝えられています。

現本殿は東面して建っていますが、江戸時代の『山州名跡志』等には、南面した姿が描かれています。本殿の背後には、京都府下最古の前方後方墳・元稲荷古墳が所在しており、当神社の地が、古くから乙訓地域を治める人々の聖域であったことが伺われます。

当社の神官六人部氏は、平安時代以来の由緒を伝える家系で、特に幕末にでた六人部是香は有名です。是香は平田篤胤に師事し、多数の書を著した国学者で、討幕運動の一翼を担っていました。京の情勢を窺うに便利な六人部家には、坂本龍馬や中岡慎太郎も立ち寄ったと言われています。

祭礼

神幸祭~おいで祭り~
還幸祭(五月第二日曜日)

宝物
  • 『日本書紀』神代紀下巻(重要文化財)
  • 本殿棟札(重要文化財)
  • 伝小野道風筆『額』
  • 「向日神社政印」の銅印
  • 天狗久作銘「飾太刀」
  • 豊臣秀吉、徳川家康「朱印状」他

平成二六(二〇一四)年二月 向日市

『都名所図会』

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向日明神は久世の坤のかたなり。祭る所一座鸕鶿羽葺不合尊なり。深き神秘ありとぞ。この所の氏神とす。例祭は四月中辰の日なり。地主の神は本殿の南にありて白日明神と号す。素盞嗚の孫大歳の神の御子なり。白山権現と□□とす。延喜式神名帳三代実録等に記はこの地主の神なり。石座神像□の地は鳥井の内道の半にあり。世に成合塚称するは此なり。

向日山 当社の山をいふ。又鳥見山ともいふ。勝山と号するは豊臣秀吉公朝鮮を征伐として出陣のとき□□まし〱この山の名を社人に尋たまへば勝山と答ふ。太閤喜悦ありてこれより名つけ初めしとぞ。

 

地図

京都府向日市向日町北山

 

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