1.京都府 2.山城国

石井神社 (京都府京都市西京区大原野石作町)

投稿日:

社号 石井神社
読み いわい
通称
旧呼称
鎮座地 京都府京都市西京区大原野石作町
旧国郡 山城国乙訓郡坂本村
御祭神 磐裂大神
社格 式内社、旧村社
例祭 10月21日

 

石井神社の概要

京都府京都市西京区大原野石作町に鎮座する式内社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありません。元々は山上にある「金蔵寺」の境内にある泉の側に鎮座しており、泉の神、水の神として信仰されていました。

現在地に遷座したのは昭和二十八年(1953年)のことで、氏子の人々が近隣で祀りたいとして現在地に鎮座していた山王社に合祀されたようです。現在は荒れた道の先にある藪の中にひっそりと祀られ、半ば忘れ去られたような恰好にもなっています。

 

境内の様子

当社は石作町の奥の坂本集落からさらに藪の中へ入っていったところにあり、かなりわかりにくい場所に鎮座しています。まずは坂本集落を崖沿いに流れる岩倉川を渡る必要がありますが、ここに架かる橋はかなり小さく手すりも無いので気を付けて渡らねばなりません。

 

橋を渡ると藪の中を進んでいきます。「石井神社→」という標はあるものの、道はかなり荒れています。ここもまた気を付けて歩かねばなりません。

 

しばらく歩いていくと当社の鳥居が見えてきます。集落から離れた藪の中に鳥居が現れる様子は、異世界に迷い込んだかのような何とも不思議な趣があります。

 

鳥居をくぐり石段を上ると社殿の建つ空間です。社殿といっても拝殿等は無く、本殿と覆屋があるのみです。

 

本殿は東向きに建つ一間社春日造です。神具等が倒れておりあまり手入れがなされていないような感じです。神具の中に狐の置物のようなものがありますが、当社は稲荷系の信仰なのでしょうか?

元々この地は山王社が鎮座しており、金蔵寺に鎮座していた石井神社が昭和二十八年(1953年)に遷座、合祀されました。集落に近いところで祀りたいとのことだったようですが、個人的にはこの立地は不便極まりなく、余計に集落から遠くなってるのではという気がします。

 

本殿の側の石段上に祠が祀られていました。社名・祭神等は不明。

 

参道を戻って石作町の坂本集落へ。深い入母屋屋根の民家が残るなど古めかしい雰囲気のある集落で、奥に京都盆地の街が見えているように山際のやや標高の高い地となっています。

 

坂本集落から山上への道を上っていくと、天台宗の寺院である「西岩倉山 金蔵寺」があります。本尊は十一面観音像で、養老二年(718年)に元正天皇の勅願により隆豊禅師が開創し、聖武天皇や桓武天皇が経典を埋めたと伝えられています。当寺の創建には向日神社の神助があったとも言われ、神の導きによりクスノキで千手観音を刻んだと伝えられています。

案内板「金蔵寺」

+ 開く

金蔵寺

山号を西岩倉山と号し、天台宗に属する。寺伝によれば、養老二年(七一八)、元正天皇の勅によって隆豊禅師が開創し、聖武天皇は勅願を賜り経典を書写して埋めたといわれ、桓武天皇は平安京遷都に当たり王城鎮護のため経典を埋め西岩倉山と号するに至ったと伝えられる。また、隆豊禅師の開創に当たり、向日町にある向日明神の神助があり、明神の手引きで楠木で千手観音を刻んだことが「金蔵寺略縁起」に見えている。平安時代以後、当寺は西山の名刹として栄えたが、応仁の乱へと続く戦乱によって当寺の建物はすべて焼失し、当寺の正確な歴史を伝える古文書、記録も失われた。

現在の建物は、元禄四年(一六九一)、将軍綱吉の母、桂昌院によって再建されたもので、本堂には十一面観音像を安置する。本堂背後には、明治初年に愛宕山より本尊、勝軍地蔵像を移して祀っている。このほか、山内には当寺にまつわる遺跡が多く、本堂の北、長嘯亭からは京都市内が一望の下に見下ろされる。

京都市

 

金蔵寺境内の小さな泉。これを守護する神としてこの側に石井神社は鎮座していたようです。

祠の基壇が残っているとのことですが未確認。

 

タマヨリ姫
すごい藪の中にひっそりとある神社だね!参拝するのも一苦労だなぁ。
これでも集落の近いところへということで現在地に遷座されたみたいよ。元は山の上の金蔵寺というところに鎮座していたのよ。
トヨタマ姫

 

地図

京都府京都市西京区大原野石作町

 


-1.京都府, 2.山城国
-,

Copyright© 神社巡遊録 , 2019 All Rights Reserved Powered by STINGER.