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小倉神社 (京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前)

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社号 小倉神社
読み おぐら
通称
旧呼称
鎮座地 京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前
旧国郡 山城国乙訓郡円明寺村
御祭神 武甕槌神、斎主神、天児屋命、比売大神
社格 式内社、旧郷社
例祭 5月3日

 

小倉神社の概要

京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社とあり、古くは有力な神社だったようです。

当社は養老二年(718年)の創建と伝えられていますが、その他の由緒については殆ど何もわかっていません。当社の社地は天王山の北側、小倉山の麓の久保川に沿った奥まった谷間で、現在も清冽な清水の湧く水源の地であり、乙訓地域の開発に必要な水を司る神社として祀られたのかもしれません。

桓武天皇の御代、平安京への遷都の際には御所の鬼門除けとして祈願がされたと伝えられています。その後文徳天皇の御代には正一位の神階を授けられたとも伝えられますが、国史にはその事蹟は見えません。

天正年間には豊臣秀吉が山崎の合戦において家臣の片桐祐作と脇坂陣内を使わして戦勝を祈願し、毎年米三千俵を寄進したと言われています。

江戸時代に至っても山地二十余町が寄進されるなど厚く保護され、現在でも広い境内を有する神社となっています。

かつては当社と同じく春日神を祀る長岡京市奥海印寺の「走田神社」へ当社から神輿の渡御があったとも伝えられています。

前述のように『延喜式』神名帳には大社とありながらも由緒は詳らかでありませんが、全国有数の要衝である天王山の麓に鎮座するだけあってその時々の権力者からの信仰が厚かったようです。

 

境内の様子

当社入口と入口両脇の花崗岩製の狛犬。参道の前は新興住宅地や団地が立ち並んでいます。

 

一の鳥居は北東向きで元禄年間の建立。これをくぐると長い参道が延びています。参道は途中まで第二大山崎小学校に沿っており、その先は谷筋へと続いています。

 

参道を進んでいくと二の鳥居。これもまた元禄年間の建立と伝えられています。これをくぐると左側(南側)に手水舎があります。

 

当社は全体的に鬱蒼とした森になっていますが、二の鳥居をくぐった先は開けた広場となっています。綺麗なトイレも完備されており、天王山への登山客にも配慮した空間となっています。

 

社殿へは先の広場の奥にある石段を上っていきます。いよいよ本格的に谷の奥といった雰囲気です。

 

社殿は北東向きで、複数の建物で構成されています。

まず最も手前にあるのは割拝殿。壁の無い吹き放ちの構造になっています。絵馬も掲げられており絵馬殿としての機能も兼ね備えられています。

 

割拝殿の通路をくぐると、割拝殿とは別に京都府でよく見かける舞殿風拝殿があります。当社には二棟の異なる種類の拝殿があるということになります。割拝殿は大阪府や奈良県に多い形式なのに対し、舞殿風拝殿は京都府や滋賀県に多い形式です。この両方があるのは京都府と大阪府の境界に近い当地らしい配置と言えましょう。

拝殿の傍らには御神木のモミと杉が並んで聳えています。

 

舞殿風拝殿の後方からさらに石段を上ると本殿の建つ空間です。

 

本殿は真新しい三間社流造で瑞垣に囲まれています。

 

本殿前の狛犬。砂岩製のようで、こちらはやや古めかしさを感じます。

 

舞殿風拝殿の右側(北側)に三社の境内社が一つの覆屋に納められています。左から「八幡宮」、「天照皇太神宮」、「若宮社」です。

 

また、舞殿風拝殿の左側(南側)には天王山・小倉山からの湧き水があり、大変美味な水です。

水の集まる谷筋に鎮座することを実感でき、当社に祀られる神の性格が偲ばれます。

 

社殿の左側(南側)にある通路には干支の動物の石像がそれぞれ置かれています。

 

さて一旦参道を戻ります。参道の右側(北側)には境内社への参道が支線のように伸びており、その入り口にそれぞれ鳥居が建っています。

 

手前側から参拝していきましょう。最も手前に鎮座するのは「龍王神社」。

 

龍王神社の左側(西側)に隣接して「稲荷神社」が鎮座。龍王神社と稲荷神社は二の鳥居より手前側に鎮座しています。

 

二の鳥居の奥側へ。こちらは「若宮神社」。

 

若宮神社の左側(西側)に隣接して「天満宮」が鎮座しています。

 

二の鳥居奥の広場には「熊野神社」が鎮座。

参拝客の動線から外れたところに背を向けて鎮座していおり、他の境内社と雰囲気を異にしています。

 

広場の奥、社殿への石段の左側(西側)に「方除交通安全やちまた宮」と石碑にある祠が建っています。

自動車のお祓いのための祠でしょうか。

 

さて境内入口から来た道を戻っていきます。当社への道と府道との交差点に「石倉神社」という小さな神社があるのですが、興味深いことにかつてこの社に石を投げる風習があったと伝えられています。流石に危険な為か今では行われていないようです。

案内板「石倉神社(投石信仰)」

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石倉神社(投石信仰)

「今年も豊作、無病息災で過ごせます様に」と社に石を投げました。一般の神社では考えられませんが、この小さなお社は「おはらい」と「みそぎ」を授ける社であり人の身代わりと伝えられています。そのあと「お礼の本参り」に小倉神社へおまいりしたとのことです。この習慣は明治中頃まで続いたと言い伝えがあります。社は昭和四十年ごろ、つくりかえられました。

大山崎ふるさとガイドの会

 

タマヨリ姫
この神社は拝殿が二つあるんだね!珍しい!
手前側の拝殿は大阪府に多い形式、後ろ側の拝殿は京都府に多い形式よ。大阪府と京都府の境界に近いからこその配置って感じがするわね。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「由緒」

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由緒

祭神

建甕槌命 天兒屋根命 斎主命 比売大神

當神社は第四十四代元正天皇養老貳年今を距てる壱千貳百有余年前の創建にして延喜式の大社として正一位小倉大明神と朝野の崇敬を聚め桓武天皇京都に奠都し給ひし時御所の鬼門除として祈願あらせられ年二度の厚き奉幣あり。天正年間豊臣秀吉山崎合戦の節宝寺に本陣を構えし時特に當社に戦捷幸運の祈願をこめ其本懐を達したるを以て家臣片桐祐作、脇坂陣内を使者として来参千俵の寄進在り。其後徳川時代に至り御朱印地として山地二十余町を賜りたり。如斯往古より格別の由緒を以て民衆の崇敬もきわめて篤く社殿は結構素朴幽邃の淨地に鎮りまし社側一条の渓流は清冽掬すべく賽者のこの水に浴して祈願を籠むるもの古より尠からず。参道二基の大鳥居何れも元禄年間に創建せられたるものにして、これに奉掲する神額は小野道風の筆と云う。

昭和四十三年一月吉辰

小倉神社

案内板「小倉神社」

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小倉神社

平安時代に編纂された延喜式神名帳に所載される古社で、今日も長岡京市を含む広い範囲を氏子にもっています。小倉山の麓、久保川の谷奥に位置していることから、古来、神が宿りくる神聖な地と考えられ、神社が生まれたのではないかと伝えられています。また、境内の北東に四世紀末に築造された鳥居前古墳があり、その被葬者は小泉川を広く支配し、大きな力を持っていたと思われ、やがて神格化され、小倉神社となって、長い歴史を刻むことになったともいわれています。

『都名所図会』

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小倉のやしろは円明寺の里往還より十余町西の山林にあり。本殿は正一位小倉大明神。例祭は四月五日にしてこのほとりの産砂とす。毎歳四月二日に猿楽あり。京六条巽氏よりこれを勤む。

 

地図

京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前

 


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