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神足神社 (京都府長岡京市東神足)

社号神足神社
読みこうたり
通称
旧呼称
鎮座地京都府長岡京市東神足
旧国郡山城国乙訓郡神足村
御祭神天神立命 or 舎人親王
社格式内社、旧村社
例祭6月5日

 

神足神社の概要

京都府長岡京市東神足に鎮座する式内社です。元々はもう少し西側に鎮座していましたが、明治年間に鉄道建設の為現在地に遷ったようです。

当社の創建・由緒は詳らかでありません。御祭神も『先代旧事本紀』に山背久我直等の祖とある「天神立命」とする説、天武天皇の御子である「舎人親王」であるとする説などがありはっきりしません。多くの古い資料では祭神は不詳であるとしています。

当社には桓武天皇の夢として次の伝説が伝わっています。

かつて神足村は田村と呼ばれた。桓武天皇は田村の池に天から神が降り立ち、宮中を南から襲おうとした悪霊を防いだという夢をご覧になったという。天皇は田村にこの神を祀る社を建てさせ、そこに太刀と絹を納めさせた。以後、この社は「神足神社」と呼ばれ、また村の名前も「神足村」と呼ばれるようになったという。

この伝説からは淀川・桂川に沿って遡上する悪霊を防ぐためにサイノカミ的に祀られたことが示唆されているように思えます。サイノカミや道祖神は足の神ともされることから神足村の名から連想された可能性も考えられるかもしれません。

さて、「神足」は元々は「こうだに」と呼ばれていました。足を「たに」と呼ぶのは珍しいように感じますが、他にも奈良県宇陀市榛原の上井足(かみいだに)・下井足(しもいだに)などの例があります。一方で谷を「たり」と読む例がある(長野県の小谷村など)ことから、「タニ」と「タリ」は相通じる語なのでしょう。

ただし当地は全くの平地であり、到底谷らしい地形ではありません。式内社では他に奈良市法華寺町の「宇奈太理坐高御魂神社」も平城京のすぐ側の平地に鎮座している(ただし他所から遷座してきた説が有力)ことから、タニ=タリは地形でなく他の要素を示す語なのかもしれません。

「神足」の社名には惹かれるものがありますが、現状ではその語意を明らかにするのは難しそうです。

また、当地付近は「神足遺跡」として知られており、旧石器時代から江戸時代の遺物が出土しています。特に弥生時代には環濠のある大規模な集落や方形周溝墓のあったことが明らかになっています。当社の信仰と直接結びつくわけではないですが、当地で古くから人々の営みのあったことがわかります。

 

境内の様子

神足神社

境内入口。工場の多い住宅地の中に境内があります。一の鳥居はピカピカの真新しいもの。

 

一の鳥居をくぐると二の鳥居が建っています。こちらは補修がなされているものの古いもので、元禄十七年(1704年)の銘があります。

 

二の鳥居をくぐるとちょっとした石段があり、その先に社殿が建っています。境内は木々に覆われ、住宅地の多い当地においては貴重な緑あふれる空間となっています。

 

参道の左側(西側)には手水舎があります。

 

神足神社

社殿は南向き。拝殿は京都府で一般的な舞殿風拝殿とは雰囲気が異なっています。屋根は平入の入母屋造となっており、床の無い土間で、本殿を囲う瑞垣と一体化した拝所的なものとなっています。

 

狛犬は花崗岩製の真新しいもの。胸を大きく張った堂々とした出で立ちです。

 

本殿は銅板葺きの一間社流造。それほど古い建築ではなさそうです。

 

境内の東側に鎮座する「野神天神」。いかなる神なのかは不明です。天神というからには菅原道真公を祀ってるのかとも思うのですが、幕に描かれている神紋は梅鉢でなく巴紋になっています。

 

本殿の左側(西側)にも小さな祠があります。社名・祭神等は不明。授与品のようなものが置かれており、納札所なのかもしれません。

 

  • 当社の御神木のクスノキ。
    当社は鉄道建設の為に社地が移転したようで、境内に大きな樹木は無いですが、住宅や工場の多い当地では十分に立派な樹木です。

 

タマ姫
桓武天皇の夢で創建されたって伝説があるんだ!それくらい古い神社なんだね。
あくまで伝説よ。でも式内社だからそれくらい古くてもおかしくないわね。
トヨ姫

 

由緒

案内板

神足神社

 

地図

京都府長岡京市東神足

 

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