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福王子神社 (京都府京都市右京区宇多野福王子町)

社号福王子神社
読みふくおうじ
通称
旧呼称
鎮座地京都府京都市右京区宇多野福王子町
旧国郡山城国葛野郡福王子村
御祭神班子皇后
社格式内論社、村社
例祭10月第3日曜日

 

福王子神社の概要

京都府京都市右京区宇多野福王子町に鎮座する神社です。当社及び当社境内社の「夫荒社」それぞれが式内社「深川神社」の論社となっています。

当社は「仁和寺」の鎮守社として信仰されています。御祭神の「班子皇后」は仁和寺の開基である宇多天皇の母君で、班子皇后の陵墓がこの近くにあったと言われています。

当社の創建がいつなのか、創建当初から班子皇后を祀っていたのかは不明で、一説に言われるように式内社「深川神社」が当社だった可能性もあります。

元々深川神社だったのが仁和寺の鎮守社となったのか、それとも最初から仁和寺の鎮守社として創建されたのか、残念ながら資料に乏しく不明としか言いようがありません。

 

一方で当社の境内社「夫荒社」は「松尾大明神」とも呼ばれました。

伝承によれば夫荒社は、平安時代に洛北の氷室から宮中へ氷を献上する際、氷を運ぶ役夫が疲労の為に当地で倒れ命を落としたので、その霊を慰めるために祀ったと伝えられています。

氷の運搬者が行き倒れになったとする事件を当社の創建とするのはやや疑問です。

一方で当地は周山街道沿いにあり、北山や丹波の周山方面とを結ぶ交通の要衝です。

当地は平地の都と山間の北山との境界の地であると言え、交通安全と除災を願って境界の神として祀られたというのは夫荒社の創建として近いのかもしれません。

 

先述の通り当社「福王子神社」及び境内社の「夫荒社」が式内社「深川神社」の論社となっているものの、いずれも音韻の類似性以上の論拠はありません。

当社の西方に御室川が流れているとはいえ小さな川であり、これを深川と称したとするのも考えにくいでしょう。

しかし他に「深川神社」の論社となりそうな神社が見当たらず、当社や夫荒社が式内社でないと言い切れるものでもありません。

多くの神社で見られるように、元々祀られていた神が新しい神の勧請により隅に追いやられることはままあり、当社もそうした歴史があったのかもしれません。

 

さて当社は鳥居、拝殿、本殿が国指定重要文化財となっています。

応仁の乱の際に仁和寺と共に焼失したと伝えられ、その後長い年月を経て寛永二十一年(1644年)になって徳川家光と仁和寺の僧・覚深法親王が仁和寺と共に社殿を造営したものが現在も残っています。

小さな神社ながら貴重な文化財の多い神社と言えましょう。

 

境内の様子

福王子神社

境内入口。石垣の上に朱の玉垣で囲われており、色鮮やかで印象的です。

 

福王子神社

石段の上に鳥居が建っています。この鳥居は仁和寺と共に寛永二十一年(1644年)に徳川家光と仁和寺の僧・覚深法親王によって造営されたもので、貴重な建築として国指定重要文化財となっています。

 

福王子神社

鳥居の正面に南向きの社殿が所狭しと並んでいます。

拝殿は京都府に多い舞殿風拝殿に分類されますが、屋根が入母屋造の平入で、正面が三間なのに対して奥行きが二間で長方形になっているのが特徴的。(一般的には舞殿風拝殿は妻入の正方形が多い)

こちらの拝殿も鳥居と同様、寛永二十一年(1644年)に造営された貴重な建築で国指定重要文化財となっています。

 

拝殿の後方は瑞垣と二ヶ所の中門(拝所)があり、右側(東側)の大きな中門が本社、左側(西側)の中門が境内社の「夫荒社」です。

 

 

本社の中門と本殿。本殿は朱の施された美しい杮葺きの一間社春日造です。大きく反った海老虹梁が特徴的でしょうか。

本殿も鳥居・拝殿と同じく、寛永二十一年(1644年)に造営された貴重な建築で国指定重要文化財となっています。

 

本殿の左側(西側)に隣接して「夫荒社」が鎮座しています。

中門の奥の瑞垣内、本社本殿の左側(西側)に隣接して、銅板葺の流見世棚造に朱塗りの施された社殿が建っています。

 

夫荒社の狛犬は花崗岩製。狛犬は一般に身体を横に向けますが、こちらの狛犬は正面に向けており、やや珍しいです。

 

手水舎は社殿の左側(西側)にありました。

 

タマ姫
福王子神社と境内社の夫荒社の両方が式内社の「深川神社」の論社ってどういうこと?
どちらも音韻が似ているからで、正直根拠としてはかなり薄いわね。でも古い歴史のある神社だと思うわ。
トヨ姫

 

由緒

案内板

福王子神社由来

 

地図

京都府京都市右京区宇多野福王子町

 

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