社号 | 日向大神宮 |
読み | ひむかい |
通称 | |
旧呼称 | 粟田口神明宮、日岡神明宮 等 |
鎮座地 | 京都府京都市山科区日ノ岡一切経谷町 |
旧国郡 | 山城国宇治郡日岡村 |
御祭神 | 内宮:天照大御神、多紀理毘賣命、市寸島比賣命、多岐都比賣命/外宮:天津彦火瓊々杵尊、天之御中主神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月16日、17日 |
式内社
日向大神宮の概要
京都府京都市山科区日ノ岡一切経谷町に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒については詳らかでありませんが、社伝によれば、顕宗天皇の御代に日向の高千穂の峰から神霊を勧請したとも伝えられています。一方で清和天皇が勅願により天照大神を粟田口に勧請したことを創建とする伝えもあるようです。
応仁の乱で焼失したとされ、その後江戸時代初期に伊勢の人によって再建されたと伝えられています。その一方で、時代時代に朝廷から厚い崇敬を受けたと伝えられ、時の天皇より賜ったとされる勅額や掛軸が多数所蔵されています。
当社はその規模の大きさの割に来歴が全くはっきりせず、謎の多い神社です。ただ、当地は京から東国へ通じる粟田口のすぐ側にあり、交通の要衝です。道からやや奥まった谷にあるとはいえ、京都盆地を守護し災厄を防ぐ役割があったのかもしれません。
茅葺の神明造の社殿や秋の美しい紅葉は見事であり、現代では隠れた京の名所になっています。
境内の様子
一の鳥居は京都市営地下鉄の蹴上駅近く、京都から山科へ抜ける三条通に面したところに西向きに建っています。当社は神宮系の神社なので鳥居は全て神明鳥居です。
参道を進んでいくと二の鳥居。
境内への参道はちょっとした谷間になっています。
参道を奥まで進むと左側(北側)に長い石段があり、その上に三の鳥居が建っています。秋にはここでとても豪勢で美しい紅葉を見ることができます。あまり知られておらず、京都の隠れた紅葉の名所と言えますが、谷間に位置するために太陽の陰になりやすく、良い条件での紅葉狩りはやや難度の高いところではあります。
石段の右側(東側)には手水舎があります。
石段を上ると三の鳥居の先の空間に社殿が並んでいます。この空間の右側(東側)に「外宮」が、奥側(北側)に「内宮」が鎮座しています。
三の鳥居をくぐって右側(東側)に鎮座する外宮。前面には銅板葺きの妻入入母屋造の舞殿風の拝殿が建っています。後述のように本殿は神明造であり、舞殿風拝殿と神明造の組み合わせは珍しいものと思われます。
拝殿の後方には中門と神明造の本殿が建っています。建物自体はそう古いものでなさそうですが、茅葺の屋根は古式ゆかしさが感じられます。千木は外削ぎ、鰹木は七本です。
外宮の御祭神は「天津彦火瓊々杵尊」「天之御中主神」。どういうわけか豊受大御神を祀る伊勢神宮の外宮とは全く異なる神を祀っています。しかし日向の高千穂の峰から勧請したとする社伝を鑑みれば天津彦火瓊々杵尊を祀るのは妥当なのかもしれません。
境内を奥へ進み、橋を渡ると石段の上に四の鳥居が建っており、その先に内宮が鎮座しています。こちらもまた美しい紅葉が見られます。
外宮の拝殿は銅板葺きの平入切妻造。壁や床の無い土間となっています。
拝殿の後方には中門と神明造の本殿。千木は内削ぎ、鰹木は八本です。見えにくいですがこちらも茅葺屋根で古式が感じられます。
内宮の御祭神は「天照大御神」「多紀理毘賣命」「市寸島比賣命」「多岐都比賣命」。天照大御神以外の三柱は宗像三神です。
内宮拝殿の傍らに「影向石」があります。
影向とは神仏が仮の姿で顕現することですが、この影向石には神の憑代となる磐座的な信仰があるのでしょうか。
当社の紅葉。茅葺の神明造と紅葉の組み合わせは他にあまり例がなく、独特の趣があります。京都のみならず、日本全国を見回しても当社のような神社は他になかなか無いのではないでしょうか。
内宮から左側(西側)の斜面を上って行ったところに「天の岩戸」と呼ばれる岩を穿った洞窟があります。暗いので写真には撮れませんでしたが中には「戸隠神社」が鎮座しています。節分の際にはこの天の岩戸をくぐって罪や穢を祓う習わしがあるようです。
道を戻って、外宮の右側(東側)の境内社へ。
大小二棟の祠があり、大きい方は「恵美須神社」と「天鈿女神社」の相殿です。
小さい方の祠は「朝日泉」と額がありどうやら井戸のようです。
社伝によれば、貞観年間に疫病が流行した際、当社境内の湧水を民に与えるべしとのお告げがあり、菅原道真に命じてその通りにしたところ疫病がおさまったのでこの泉を朝日泉と名付けたと伝えられています。
その南側には「猿田彦神社」が鎮座。石碑には「花祭」と刻まれています。著名な祭礼なのでしょうか。
外宮拝殿から右側(東側)へ進むと「福土神社」が鎮座。神明造の社殿です。
福土神社から斜面を上る石段が伸びています。その途中に「多賀神社」と「春日神社」の相殿が鎮座。
さらに奥へ進み東側の森へ入っていくと石碑に「菅公御胞衣所」と刻まれたところがあります。胞衣とは胎盤や卵膜のことで、これを埋めることで子供の健やかな健康を祈る習俗が各地に見られ、また著名人の胞衣を埋めたとする伝説も各地に伝わっています。
ここも恐らくその一つで、菅原道真の胞衣を埋めたと伝えられているのでしょう。しかし菅原道真公の出生地だとされるところは数多くあれど、当地にそのような伝説はなく、付会に過ぎないと考えられます。
その近くには仁孝天皇皇女である成宮内親王の「御胞衣所」があります。こちらは幕末の人物なので実際に胞衣が埋められたのかもしれません。
さらに奥へ進むと稲荷系の「お塚」がいくつか祀られています。
最奥部にはこのような祠が鎮座していますが、社名や御祭神は不明です。
最奥部からは来た道を戻ることなく下側へ行ける道が続いています。
こちらの途中に「朝日天満宮」が鎮座。恐らく先の朝日泉に関連して祀られたものでしょう。
そのまま境内の下側に戻ってきて、手水舎の右側(東側)に「神田稲荷神社」が鎮座しています。
森の中の稲荷系のお塚はこの神社に属するものなのでしょうか。
神田稲荷神社の奥側(東側)には「厳島神社」が鎮座。
神田稲荷神社の側からは山の上へ続く石段があるので上ってみましょう。
石段を上っていくと伊勢神宮の遥拝所があり、南東向きの神明鳥居が建っています。そこから振り返ってみると北西方向に京都盆地が見渡せ、丁度平安神宮の大鳥居が眺められます。
御朱印
由緒
案内板
日向大神宮略記