社号 | 火幡神社 |
読み | ほばた |
通称 | |
旧呼称 | 八幡 等 |
鎮座地 | 奈良県北葛城郡王寺町畠田5丁目 |
旧国郡 | 大和国葛下郡畠田村 |
御祭神 | 天児屋根命、息長帯比売命、誉田別命、玉依姫命、天照皇大神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 7月14日 |
火幡神社の概要
奈良県北葛城郡王寺町畠田5丁目に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列せられ、古くは非常に有力な神社だったようです。
当社は大同元年(806年)の創建と伝えられていますが、その他の由緒については特に何も伝わっておらず全くの不明です。
現在は「天児屋根命」「息長帯比売命」「誉田別命」「玉依姫命」「天照皇大神」の五柱を祀っています。江戸時代以前は「八幡」と呼ばれていたことから八幡神(息長帯比売命、誉田別命)を中心に祭神が加えられたのでしょう。
一方、この五柱は当初からの祭神とは考えにくく、社名から「火之戸幡姫命」を祀っていたのではないかとする説が有力です。
一般に栲幡千千姫命は高皇産霊神の娘とされていますが、『日本書紀』の第六の一書にのみ「亦云はく」として、高皇産霊尊の娘を火之戸幡姫、そして火之戸幡姫の娘を栲幡千千姫命としています。
ただ、『日本書紀』の原文「高皇産霊尊児火之戸幡姫児千千姫命」の読み下し方には様々な解釈があり、栲幡千千姫命は火之戸幡姫命の娘でなく「火之戸幡姫児千千姫命」で一つの神名であり、つまり栲幡千千姫命の別名であるとする説もあります。
「火之戸幡姫命」なる独立した神があったのかは諸説ありますが、いずれにせよこの『日本書紀』第六の一書にのみ出てくる名であり、考察の難しい存在です。
栲幡千千姫命が一般に織物に堪能な神として信仰されており、火之戸幡姫命についても当社の案内板は布織の信仰の対象だと記しています。
案内板は付近には布織の集落が多かったと推察できるとありますが、そのような伝承が見られるわけでなく、あくまでその可能性があるとするに留めておくべきでしょう。
また江戸時代の地誌『大和志』は何故か「火幡神社」でなく「大幡神社」としており、これに倣って「火幡」は誤りで「大幡」とするのが正しいとする説も見られます。
先述のように当社は名神大社でしたが、「幡」の字から織物に関係しそうだとは推測されるものの、伝承に乏しく神格を明らかにするのは難しそうです。
境内の様子
当社は畠田地区の新興住宅地の背後にある自然豊かな丘の上に鎮座しています。
こんもりとした森の南端に鳥居が南向きに建っています。この鳥居は朱を基調とし稚児鳥居を黒く塗った両部鳥居。
鳥居をくぐった様子。境内は非常に鬱蒼としており古くからの神域であることを伺わせます。
森の中に石段が伸び社殿前の空間まで続いています。
石段を上って右側(東側)に手水舎があります。
石段上にやや広い空間があり、その正面の石垣の上に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺・平入入母屋造りに唐破風の向拝の付いたもの。
また石垣下の石段左右には石灯籠が整然と並んでいます。
拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製です。
拝殿後方にはさらに石垣があり、その上に本殿が建っています。
本殿は見えづらく、案内板には檜皮葺の三間社神明造とありますが、見える範囲では銅板葺の流造で大きな唐破風の向拝の付いたもののように思われます。
また、資料によれば本殿の右側に境内社「若宮神社」が鎮座しているようです。
社殿前の空間の左側(西側)には絵馬殿が建っています。桟瓦葺・平入切妻造に向拝状の庇の付いたもの。
中には夥しい数の絵馬が奉納されています。男児が生まれた際に武者の絵馬を、女児が生まれた際に尉姥の絵馬を奉納する習わしとなっており、近隣ではよく見られる風習です。
由緒
案内板
火幡神社
地図