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志都美神社 (奈良県香芝市今泉)

社号 志都美神社
読み しずみ / しつみ
通称
旧呼称 志都美八幡、清水八幡 等
鎮座地 奈良県香芝市今泉
旧国郡 大和国葛下郡今泉村?(上里村?)
御祭神 天児屋根命、誉田別命、中筒之男命
社格 式内社
例祭 9月9日

 

志都美神社の概要

奈良県香芝市今泉に鎮座する式内社です。

社伝によれば、弘仁四年(813年)に従四位民部少輔の片岡綱利という人物が片岡家の鎮守として創建したと伝えられています。

片岡氏は中臣・藤原氏の一族です。片岡氏の始まりはいくつかの説があり、藤原南家の藤原武智麻呂の孫、縄麻呂が葛下郡片岡に居住し、その子の綱利が片岡を称したのに始まるとする説や、藤原仲麻呂の乱で功のあった中臣片岡連五百千麻呂という人物を始祖として十代孫の利次が片岡を名乗ったのに始まるとする説などがあります。

片岡氏が居住した「片岡」とは具体的には不明ですが、北方の王寺町本町に「片岡神社」が鎮座する一方、北東の上牧町下牧には中世城郭である片岡城跡があり、大和川左岸側の葛下川沿いを広く「片岡」と称したことが窺えます。

当社も境内に隣接して武烈天皇陵の「傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)」があり、当地もまた「カタオカ」と呼ばれていたことが窺えます。ただ、この古墳が武烈陵と治定されたのは明治二十二年(1889年)のことであり、それまでこの古墳が武烈陵とは認識されていなかったことには注意が必要です。

 

一方、当社は江戸時代以前は「志都美八幡」あるいは「清水八幡」と称していました。社伝によれば元禄年間に盲目の僧侶が境内の清水で目を洗ったところ目が見えるようになったと伝えられ、これに因み清水八幡と称するようになったとされています。

ただ、清水八幡と呼ばれていたのは一時的だったようで、本来は志都美八幡と呼ばれていたのを、音韻の近さや石清水八幡宮への肖りで清水八幡と称したのかもしれません。また、現在は境内に清水は特に湧き出ていません。

また、『大和志』はじめ近世以降の殆どの資料で当社は「上里村にあり」と記されています。当地は古くから今泉村だったはずで、当社が遷座した・合祀されたとの記録も無いため不審です。

『大和志』の誤った記述が後世の資料にも援用されたことも考えられますが、『大和志料』のような大正年間に刊行された資料にも「大字上里清水にあり」とあるため、誤りとも言い切れません。或いは当地は上里村の飛び地だったのでしょうか。

 

現在の御祭神は「天児屋根命」「誉田別命」「中筒之男命」です。天児屋根命は中臣・藤原系の氏族である片岡氏の祖神で、誉田別命は恐らく後世に勧請され、八幡と呼ばれていた頃の主祭神だったと思われます。

それに加えて中筒之男命が祀られているのはよくわかりません。想像するならば、いつの頃か住吉神が勧請され、春日神、八幡神、住吉神からそれぞれ一柱ずつ選んで祀ることになって現在の形になったのかもしれません。

別の説では「鹿葦津姫(かしつひめ)命」を祭神とするものもあります。コノハナノサクヤヒメの別名の一つですが、現状では(阿多隼人の居住した吉野川沿いならともかく)コノハナサクヤヒメを当地に祀る必然性は見当たらず、志都美(シツミ)からの連想に過ぎないと思われます。

 

上記のように当社の鎮座地については疑問がありますが、当地が古くからの神域だったことは間違いないようで、境内の社叢は椎の木を中心とした貴重な原生林が残っており、県指定天然記念物となっています。

 

境内の様子

当社の一の鳥居は境内の東方100mほどの地に東向きに建っています。一の鳥居からは参道が西へ境内入口まで続いています。

 

一の鳥居をくぐって右側(北側)に「祓殿神社」が南向きに鎮座。御祭神は「祓戸大神」。社殿は小さな銅板葺の流見世棚造。

奈良県のいくつかの神社では参道上などに祓戸神社が鎮座し、本社へ参拝する前に参拝して穢れを祓い身を清める習わしがあります。恐らく当社でもそうなのでしょう。

 

志都美神社

志都美神社

一の鳥居からさらに参道を進んでいくと右側(北側)に二の鳥居が南向きに建っており、境内入口となっています。

境内は非常に広い空間で、二の鳥居から社殿までまっすぐ石畳が伸びています。

 

二の鳥居をくぐって左側(西側)に手水舎があります。手水鉢にはかつての呼称である「八幡宮」と刻まれています。

 

志都美神社

志都美神社

正面に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は桟瓦葺・平入入母屋造に銅板葺の唐破風の向拝の付いたもの。どっしりとした趣が感じられます。

 

拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製です。

 

拝殿後方、瑞垣に囲われて銅板葺の三間社流造の本殿が建っています。特に文化財には指定されていませんが江戸時代中期の建立と考えられ、朱などの彩色が施されています。

本殿前の中門と拝殿との間は屋根付きの廊下で結ばれています。

 

本社拝殿の左側(西側)、竹藪の中の基壇上に「太神宮社」が東向きに鎮座。御祭神は「天照皇大神」。社殿は銅板葺の小さな神明造。

 

天照皇大神の前に配置されている狛犬。こちらも花崗岩製ですが、本社拝殿前のものよりも古めかしく感じられます。

 

本社拝殿の右側(東側)に「稲荷神社」が西向きに鎮座。御祭神は「稲荷大神」。朱鳥居が建ち、社殿は銅板葺の流見世棚造。

基壇には「大阪松島廓」と刻まれており、かつて大阪にあった松島遊廓の従事者が信仰し、奉納したのでしょう。

 

稲荷神社の左側(北側)に絵馬殿が建っています。桟瓦葺の平入入母屋造で立派な建物です。

 

本社本殿の右側(東側)に、先の稲荷神社とは別の「奥之稲荷神社」が南向きに鎮座。

手前側に朱鳥居が建ち、基壇上に朱の瑞垣に囲まれて鎮座しています。社殿は小さな銅板葺の神明造。

 

奥之稲荷神社の左側(西側)には二基の石碑があり、それぞれ「玉垣大神」「金比羅宮」と刻まれています。

 

本社本殿の後方に石垣に石碑が埋め込まれています。

明治年間にコレラが流行した際、氏子がコレラの侵入防止を当社で祈願した結果、氏子に一人の患者も出なかったと言われ、これを記念したものです

 

当社境内背後の森は椎の木を中心とした貴重な原生林となっており、奈良県指定天然記念物となっています。

ただし2019年参拝時はやや荒れ気味でした。2018年の台風21号の被害があったのかもしれません。

 

境内周辺の様子

当社境内の北側に隣接して武烈天皇陵である「傍丘磐坏丘北陵」があります。

北今市地区にある顕宗天皇陵「傍丘磐坏丘南陵」と対になる形で立地しています。

ただこの古墳が武烈陵とされたのは明治二十二年(1889年)の治定によるもので、それ以前は武烈陵とは認識されていなかったようです。

また、これは古墳でなくただの自然丘であるとの説もあるようです。

 

当社の近く、国道168号沿いに和菓子店「紅乃屋」さんがあり、おはぎが名物となっています。

小豆そのものの粒が大胆に残った粒あんは上品な甘さである一方、おはぎはずっしりとしており食べ応えがあります。

当社参拝の際には是非とも一緒に寄ってみてはいかがでしょうか。

 

タマヨリ姫
武烈天皇の陵のすぐ隣にあるんだね!やっぱり関係あるのかな?
由緒を見る限りでは特に関係無さそうね。そもそも武烈天皇陵はただの自然の丘だって説もあるみたいよ。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「式内社 志都美神社(今泉)」

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式内社 志都美神社(今泉)

志都美神社は、弘仁四(八一三)年、従四位民部少輔片岡綱利が宮を片岡に造り、片岡家の鎮守として創建され、往古は清水神社と称されていたことが社伝に見えます。現在の本殿は三間社流造で、江戸時代中期の建立と考えられ、天児屋根命・中筒男命・誉田別命が祀られています。

江戸時代の元禄年間(一六八八~一七〇四)、盲目の僧侶が境内に湧いていた清水で目を洗って霊験があつたとの伝承があります。そのため、『大和志』や『大和名所図会』には「清水八幡」として紹介され、境内の石鳥居や手水鉢にも「清水八幡」と刻まれています。

また、境内には神宮寺の明王院がありました。天文二二(一五五三)年三月、三条西公条(きんえだ)の『吉野詣記』には高野山・吉野参拝からの帰途、「片岡清水明王院」で一夜を明かしたことが記されています。明治期の神仏分離令で廃寺となりましたが、近くの念通寺には鎌倉時代の不動石仏(市指定文化財)が、万善寺(上中)には木造阿弥陀如来坐像が遷されています。

なお、神社の背後に広がる森(社そう)は県の天然記念物に指定され、北の武烈陵の樹そうと一体となって自然林として残されています。巨樹は少ないですが、見事な林相が形成されていて、学術上きわめて貴重な自然が保たれています。

平成二十二年三月
香芝市教育委員会

案内板「延喜式内 志都美神社」

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延喜式内 志都美神社

御祭神

天児屋根命
中筒男命
誉田別命

創建

弘仁四年癸巳年八月九日(今から約千百八十年前)大職冠藤原鎌足六世の孫従四位民部少輔片岡綱利により創建された古社である

社殿

本殿三間社流れ造銅板葺・拝殿は唐破風向拝を持つ桟呉葺・他に祭具殿・社務所絵馬殿

志都美神社は香芝市今泉に位置するが江戸時代には上里村・中筋村・今泉村・高村の五ケ所の氏神であり厚い信仰をあつめていた 特に明治十三年八月にコレラが流行し氏子が氏神侵入防止を祈願した結果ひとりの患者も出なかったのを喜んだ人々が感謝の意味で本殿背後石垣に「明治十二年八月虎列拉病流行氏子祈願無一人患者無人歓呼奉納」ときざみ奉納した記念碑がある 日本ヘコレラが最初に侵入したのは文政五年で第二次流行の安政五年は日本中をコレラ流行禍にまきこみ死者二万八千人に達した 明治に入ってから同十二年に全国に流行しての余波が十二年にまで及んだという 死者が出ないということは本当にめずらしくご神徳がうかがえる また本神社の神宮寺として清水山明王院が明治の神仏分離令が出るまであり現在明王院という石灯篭が一基のこっている

ある日盲目の法師が境内にある井戸で目を洗うと水の霊験で目があいたという伝説がありそれゆえ一時期清水八幡宮と呼ばれた時代があった。今も手水舎の石に八幡宮の文字がのこっている

本殿裏の社そうは椎の木を中心とした原生林で県指定の天然紀念物となっている

万葉集(巻七一・九)に「片岡のこの向う峰に椎蒔かば今年の夏の陰にならむか」とある。 椎の原生林とかさね合せばこの附近ではないかと思われる歌碑は神社参道入口右側にある

攝社

祓戸大神
稲荷大神
奥之稲荷社
天照皇大神

案内板「志都美神社の社そう」

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県指定 天然記念物

志都美神社の社そう

平成八年三月二十二日指定

この社そうは、コジイ(ツブラジイ)を優占種とし、アラカシ、クスノキ、サカキ、スギ、ヒノキなどで構成される照葉樹林で、林内にはヤブツバキ、アオキ、ヒサカキ、シャシャンボ、シロバイ、カクレミノ、リョウブが、また、林床にはベニシダが優占しているほか、上層木の幼樹に交じってイヌマキなどの実生が育成している。

コジイ林の高さは一八ないし二〇mあって、優占種であるコジイの最大木は地上一・三mで幹周二・一五mある。巨樹と呼べる個体は少ないものの、長年にわたり人出が加えられることなくみごとな林相を形成しており、学術上極めて貴重である。

平成九年三月
奈良県教育委員会

 

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