1.奈良県 2.大和国

長尾神社 (奈良県葛城市長尾)

社号長尾神社
読みながお
通称
旧呼称
鎮座地奈良県葛城市長尾
旧国郡大和国葛下郡長尾村
御祭神天照大御神、豊受大神、水光姫命、白雲別命 他
社格式内社、旧郷社
例祭10月4日

 

長尾神社の概要

奈良県葛城市長尾に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、当地は古くからの官道である竹内街道と長尾街道の交差する地であり、交通の要衝でした。このため古くから交通安全の神として信仰されてきたことが考えられます。

現在の御祭神は「天照大御神」「豊受大神」「水光姫命」「白雲別命」「住吉大神」「熱田大神」「諏訪大神」です。

これらの神々は当社に関する様々な記録に見える神を合わせたもののようで、各記録を分類すると、

  1. 「天照大御神」「豊受大神」の二柱を祀るとするもの
  2. 「水光姫命」「白雲別命」の二柱を祀るとするもの

の二説に大きく分けることができます。

 

1.の「天照大御神」「豊受大神」を祭神とする説は『放光寺古今縁起』という正安四年(1302年)に著された資料に記録されています。

放光寺とは王寺町本町に鎮座する片岡神社の神宮寺だった寺です。

同縁起によれば、同寺の鎮守の南御殿に「長尾五所」が祀られ、この神は伊勢の内宮・外宮の神で、天武天皇が大友皇子から逃れて吉野に至った際に伊勢の大神宮を遥拝し壬申の乱に勝利したので、即位の後に葛下郡に大神宮の神を祀り、さらに諏訪・住吉・熱田を加えて長尾五所としたとする旨が記載されています。

さらに同縁起によれば、神が城上郡の女を嫁にしたが、その神が姿を表さないので神の衣の裾に緋の糸をつけて、それを辿っていったところ長尾宮に入った。糸が長く尾を引いたので長尾と名付けた、とする地名説話を記しています。

これは三輪山(大神神社)を代表とするいわゆる「苧環型蛇婿入り」の話型であり、当社の神が龍蛇の類であることを示唆すると共に大神神社との関係も窺えるもので、これは次に述べる2.の説とも親和性の高い伝承です。

 

2.の「水光姫命」「白雲別命」を祭神とする説は江戸時代以降に著された当社の社記などの記録に記されています。

「水光(ミヒカ)姫命」は「イヒカ:井氷鹿(古事記)/ 井光(日本書紀)」と同神で、記紀にはイワレヒコ(後の神武天皇)が吉野に至ったとき、光った尾の生えた人が井戸から出てきたので、イワレヒコが「お前は誰か」と問うと「私は国津神で、名はイヒカと言う」と答えたと記され、さらにこれは吉野首らの祖であるとも記されています。

『新撰姓氏録』には大和国神別に加弥比加尼の後裔であるという「吉野連」が登載されており、さらに次のように記されています。

『新撰姓氏録』(大意)

神武天皇が吉野に行幸した際に神瀬に至り、従者に水を汲ませたところ戻ってきて「井に光る女がいた」と報告した。天皇はこれを呼び出して「お前は誰か」と問うと、「私は天より降り来た『白雲別神』の娘である。名を『豊御富』という」と答え、天皇は「水光姫」と名づけた。今吉野連の祀る「水光神」はこれである。

記紀の記述とほぼ同じですが、「イヒカ(水光姫)」が「白雲別神」なる神の娘で、当初は「豊御富」と名乗っていたとあり、より詳細に記されています。

2.の説の二柱はこの父娘ということになります。

当社に伝わる社記には、社家の吉川家は吉野連の子孫であり、竹ノ内村の三角磐(岩)に水光姫命が白蛇となって降臨し、長尾の地に御蔭井を造ってこの白蛇を遷した、と記されています。

イヒカ(水光姫)は光る尾を持っており、井から出てきたとあることから水神、井戸の神であり、ひいては龍蛇に近い存在であったことが考えられます。現に上記の社記には白蛇として顕れています。

『大和志料』などの明治以降の資料は2.の説を「長尾」の地名・社名から連想した付会であろうとして退けており、確かに当地に吉野氏が居住した経緯が不明で疑問もあるものの、現に当社は龍蛇の類を祀っていたと長らく信仰されており一概に否定できるものでもありません。

桜井市三輪の「大神神社」が龍の頭、大和高田市片塩町の「石園座多久虫玉神社(龍王宮)」が龍の胴、そして当社が龍の尾とする伝承もあり、『放光寺古今縁起』における地名説話もあいまって、奈良盆地南部において東西に龍蛇に関する線的な信仰的広がりがあったことが窺えます。

 

また別の説として「長尾氏」が当地に居住し祖神を祀ったとするものもありますが、『日本書紀』の壬申の乱において「長尾直真墨」なる人物が登場するのみで、『新撰姓氏録』はじめ他に資料には一切見えず、詳細不明です。

当初がどうだったかはともかく、当社は歴史的には龍蛇の類を祀った神社として信仰されてきています。

龍蛇にしても他に様々な龍蛇的な神がある中で、通常あまり神社に祀られる事の無いイヒカを持ちだすのはやはり異例であり、『大和志料』のように2.の説を無下に退けられるものでもないと思われます。

小さな神社ですが、こうした神秘的な伝承・信仰が評価され、近年は大神神社に対する神社として参拝客が増えてきているようです。

 

境内の様子

当社の一の鳥居は境内の東方350mほどのところに東向きに建っています。鮮やかなほどに真っ赤な鳥居です。

 

長尾神社

一の鳥居からまっすぐ進むとこんもりとした森となった境内があり、入口には二の鳥居が東向きに建っています。

二の鳥居も真っ赤な塗色が施され、稚児鳥居の黒く塗られた両部鳥居となっています。扁額の上に立派な向唐破風が設けられているのも特徴的。

 

二の鳥居前の灯籠の傍らに小さな狛蛙が配置されており珍しいものです。花崗岩製でしょうか。そう古いものではありません。

 

二の鳥居をくぐった様子。社叢が左右に迫り、正面の広い空間の奥に社殿が建っています。

 

この社叢を抜けて左側(南側)に手水舎があります。

 

長尾神社

長尾神社

正面の玉垣奥に並んでいる社殿は東向きです。拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造。

 

拝殿前の狛犬。砂岩製で、こちらはやや古めかしいもの。

 

拝殿の側面に瑞垣が設けられ奥の様子が見えにくいですが、拝殿後方には銅板葺・一間社春日造で軒唐破風の付いた本殿が二棟並んでいます。

左側(南側)の本殿の千木は外削ぎ、右側(北側)の本殿の千木は内削ぎとなっています。

一般に内削ぎの本殿は女神を祀るとされている(例外あり)ので、恐らく左側に男神の白雲別命、右側に女神の水光姫命を祀っていたのを踏襲しているのでしょう。

現在は多数の神々が祀られており、いずれの本殿にいずれの神が祀られているのかはよくわかりません。

 

本社本殿の右側(北側)に「厳島神社」(御祭神「市杵島姫命」)と「春日神社」(御祭神「武甕槌命」「経津主命」「天児屋根命」「比売神」)の相殿社が東向きに鎮座しています。

元々は村内の南西部に鎮座していたのを大正四年(1915年)に遷座したもの。

社殿は銅板葺の春日見世棚造で手前に鳥居が建っています。本社拝殿右側の瑞垣が拝所となっており鈴緒と賽銭箱が設けられています。

 

境内の北東側に「御陰井跡」と呼ばれる空間があり、いくつかの石造物(?)が散在しています。

ここは井戸跡とされており、御祭神である「水光姫命」が竹ノ内村の三角磐に白蛇の姿で顕れた後、ここに遷座したと伝えられています。

案内板

御陰井跡

 

境内の北側には桟瓦葺・平入切妻造の絵馬殿が建っています。格子越しに大小の絵馬が多数掲げられている様子が伺えます。

これらの大半は氏子内に子供が生まれた際に奉納されたものですが、中には安永八年(1779年)に奉納された絵馬も掲げられているようです。

案内板

絵馬殿

 

タマ姫
ここの神様は人間の見た目なのにしっぽが生えてたの!?
古代氏族である吉野氏の祖神よ。きっと龍や蛇に近い神様だったと思うわ。
トヨ姫

 

由緒

案内板

長尾神社

案内板

式内大社 長尾神社

 

地図

奈良県葛城市長尾

 

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