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鹿島神社 (奈良県香芝市下田西)

社号 鹿島神社
読み かしま
通称
旧呼称
鎮座地 奈良県香芝市下田西1丁目
旧国郡 大和国葛下郡下田村
御祭神 武甕槌命
社格 式内論社
例祭 1月6日

 

鹿島神社の概要

奈良県香芝市下田西1丁目に鎮座する神社です。上牧町上牧に鎮座する「貴船神社」と共に式内社「深溝神社」の論社となっています。

社伝によれば、承安二年(1172年)三月に源義朝の家臣であった鎌田小次郎政光という人物が当地に居住し常陸国から「鹿島神宮」の神を勧請したと伝えられています。

さらに詳しく見ると、鎌田小次郎政光は相模国の武士である鎌田兵衛藤原政清の子とされ、平治の乱で義朝と共に東国へ逃れたものの、義朝や政清らは暗殺され、辛うじて難を逃れた政光はさらに東へ逃れ常陸国の鹿島神宮に辿り着き、源氏再興を願って参籠したとされています。そして満願の夜に「西へ行くと良い」との神託があったので西へ向かい、当地に至るとこの景色が鹿島に近いものだったので、ここに鹿島の神「武甕槌命」を勧請して居住し、神社の地を「森の宮」と称し、南方にある「鎌田」の地名も彼に因むものとされています。

ただし鎌田兵衛藤原政清は実在の人物であり、義朝らと共に殺されたのは史実ですが、その子に政光なる人物がいたとは諸史料から確認できず、上記の伝承には疑問があります。

一方、上記伝承によれば『延喜式』が編纂されて250年も経ってからの創建ということになり、伝承に疑問があるとはいえ式内論社であることも大いに疑問があります。

江戸時代から近代にかけての資料では式内社「深溝神社」は所在不明とされており、当社が式内論社とされたのは志賀剛氏らが比較的最近になって提唱したものです。

承安二年以前から当社が鎮座していた可能性があること、かつて比較的有力かつ大きな神社だったこと、式内社の分布密度からして当地が適切であること、近隣の葛下側などの川が「深溝川」と言ってよいものであること、などが式内社の根拠として挙げられています。

しかしいずれも極めて曖昧かつ抽象的なもので具体的な根拠は何一つ無く、残念ながら当社が式内社であると主張できるレベルには到底達していないと言わざるを得ません。

とはいえ、当社が特に中世以降に有力な神社だったことは事実で、当社には鎌倉時代以来の宮座に関する文書である「結鎮座(けいちんざ)文書」が伝わっており、奈良県指定有形文化財となっています。

日本最古の宮座の記録であるとされており、中世における村落構造や宮座の構成を知る貴重な資料となっています。

また現在も毎年1月26日に行われている宮座行事「渡御行事」は奈良市指定文化財となっており、中世に成立した宮座の祭礼が現在も連綿と受け継がれていることが窺えます。

式内社であるかは微妙なところですが、中世以降は集落の中心として、また住民の結束の場、心の拠所として重要な役割を果たしてきたことが記録として伝わっており、歴史ある神社であることは間違いないでしょう。

 

境内の様子

鹿島神社

当社は近鉄下田駅とJRの香芝駅の中間地点に立地。境内入口は境内の南東側にあり、鳥居が南東向きに建っています。

鳥居は朱塗りで、稚児柱が石製の両部鳥居となっています。

 

鳥居をくぐった様子。砂地になっている広い空間の奥に社殿があり、比較的簡素な境内です。

 

鳥居をくぐって左右に配置されている狛犬。砂岩製で古めかしさが感じられます。

 

さらに境内を進むと左側(南側)に手水舎が建っています。

 

鹿島神社

鹿島神社

境内奥に社殿が東向きに建っています。

拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造で銅板葺の唐破風の向拝が付いています。比較的新しい建築。

拝殿の後方には本殿が建っていますが、塀で囲われている上に樹木が鬱蒼としており全く見ることができません。資料によれば本殿は春日造のようです。

 

拝殿前に配置されている狛犬。こちらは花崗岩製で新しいものです。

 

拝殿前の左側(南側)には絵馬殿および神庫が並んでいます。

桟瓦葺・平入入母屋造の絵馬殿は用途の割に規模の大きな建築です。或いは旧拝殿を移築したのでしょうか?

 

境内の東側、池の傍らに灯籠が並んでいます。紀年銘などは確認できませんでしたが江戸時代のものでしょう。

比較的新しいものが多い当社境内において、狛犬と共に古い遺構であると言えます。

 

タマヨリ姫
あれ、式内社なのに『延喜式』より後に創建?どうなってるの?
それより古くから神社があったという説があるのよ。式内社かは正直微妙なところだけど、古い記録がたくさん残っている神社なのよ。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「鹿島神社結鎮座文書と渡御行事」

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鹿島神社結鎮座文書と渡御行事

鹿島神社は、承安二(一一七二)年三月、源義朝の家臣であった鎌田小次郎政光が常陸国(現茨城県)鹿島本宮の御分霊(武甕槌命)を勧請したのが始まりと伝えられています。

本社には氏子の宮座である結鎮座があり、神社に奉仕して祭礼をおこなっていたことから、座の組織や年中行事などを記した四六点から成る「結鎮座文書」(県指定文化財)があります。村落構造や宮座構成の変遷を考えるうえで貴重な史料となっています。とくに宮座への入衆記録である「座衆帳」は、建久七(一一九六)年の「一番行西、貞常」から慶応二(一八六六)年まで六七〇年間書き継ぎされた一三枚三巻があり現在も継承されています。ほかにも応安二(一三六九)年以前の祭礼や神饌物を記録した「経営古記」、文安元(一四四四)年、法楽寺と本社の縁起や祭礼を整理した「座衆経営録」、永正元(一五〇四)年の「下田法楽寺座法則次第」、「鹿島宮法則次第」の各一巻などで構成されています。

また、宮座の伝統的行事として「渡御行事」(市指定文化財)があります。毎年一月二六日、十人衆が輪番する頭屋宅に鹿島大明神の御神霊を奉迎する行事で、中世に成立した宮座の祭礼が連綿と受け継がれており、市内で最も古くからおこなわれている行事です。

平成二十二年三月
香芝市教育委員会

 

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