社号 | 水口神社 |
読み | みなくち |
通称 | |
旧呼称 | 天王社 等 |
鎮座地 | 奈良県天理市渋谷町 |
旧国郡 | 大和国式上郡渋谷村 |
御祭神 | 誉田別命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月14日 |
式内社
水口神社の概要
奈良県天理市渋谷町に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
奉斎氏族は不明ですが、『新撰姓氏録』左京神別に伊香賀色雄の子、大水口宿禰の後裔であるという「穂積臣」が、また右京神別に同じく神饒速日命の六世孫、大水口宿禰の後裔であるという「采女朝臣」が登載されており、一説にこうした「大水口宿禰」を祖とする物部系氏族が当地に居住していた可能性が考えられます。
『日本書紀』崇神天皇七年八月七日の条に大水口宿禰を含む三人の夢に、大田田根子命に大物主大神を、また市磯長尾市に倭大国魂神を祀らせるようお告げがあり、それぞれ「大神神社」、「大和神社」の創建由緒となっています。
当地は大神神社と大和神社の中間点であるため、このように大水口宿禰は間接的ながらも、やや無理があるとはいえ当地一帯と関係があると言えなくもない人物となっています。
現在の当社の御祭神は「誉田別命」。江戸時代以前は「天王社」と称し、牛頭天王と八幡神を併せ祀っていたと伝えられていますが、現在は何故か後者のみが祀られているようです。
また当社は墳丘長144mの四世紀後半に築かれたと推定される前方後円墳「上の山古墳」の南側に鎮座しています。
しかしここは当初からの鎮座地でなかったようで、その旧地と伝わる地は
- 東方1kmほどのイモノミナグチ(具体的な場所は不明)
- 東方の鎌砥池の側
- 西方一帯にあった大市庄内
の三つの説があり錯綜しています。
当社に関する伝承は極めて乏しく、六国史などにも神階昇叙の記録が見えず、当社の由緒を明らかにするのは難しそうです。
境内の様子
当社は渋谷町の北西、「上の山古墳」の西側に鎮座。境内は後円部の墳丘の一部となっており、石垣の上に玉垣が設けられています。
入口の手前側(南側)に配置されている手水鉢。
境内入口には鳥居が南向きに建っています。
鳥居をくぐって正面奥に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺・平入切妻造に妻入切妻造の破風が付いたもの。
拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製です。
拝殿後方、塀に囲まれて銅板葺・一間社春日造の本殿が建っています。
本殿前には鳥居も建っています。
本社本殿の右側(東側)には「金比羅権現」と刻まれた花崗岩製の石碑が建っています。
当社背後の「上の山古墳」の前方部。
上の山古墳は渋谷向山古墳(景行天皇陵)のすぐ北方にあり、同古墳の陪塚とされています。
墳丘長約144mと陪塚としては大規模なもので、四世紀後半に築造されたと考えられています。
案内板
上の山古墳
地図