社号 | 高橋神社 |
読み | たかはし |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県奈良市八条5丁目 |
旧国郡 | 大和国添上郡八条村 |
御祭神 | 磐鹿六雁命、栲幡千千姫命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 3月11日 |
式内社
高橋神社の概要
奈良県奈良市八条5丁目に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、内膳司(天皇の日常の食事の調理・配膳を担当する宮内省の機関)を勤めた「高橋氏」が当地に居住し祖神を祀ったのが当社であると考えられています。
『新撰姓氏録』には左京皇別に大稲輿命の後裔であるという「高橋朝臣」が、摂津国皇別に大彦命の後裔であるという「高橋朝臣」が登載されています。大和国には同族の別氏族しか登載がありませんが、恐らく登載から漏れたのでしょう。
高橋氏の由来については、『日本書紀』景行天皇五十三年の条に、天皇が上総国に至った時にハマグリを得たので、磐鹿六鴈(いわかむつかり)という人物がこれを膾(刺身)にして献上すると天皇はその美味しさを気に入り、磐鹿六鴈に膳(かしわで)臣の姓を賜い、十世の後に高橋朝臣を賜ったことが記されています。
「磐鹿六鴈」とは孝元天皇の皇子、大彦命の孫にあたる人物で、高橋氏の祖にあたります。「栲幡千千姫命」と共に当社の御祭神にもなっており、上の記事から料理神としても信仰されています。
当社の来歴については殆ど不明ですが、元々は現在地の100mほど北方に鎮座していたものの、永禄年間に松永久秀の兵乱により焼失したため現在地に遷座したと伝えられています。
旧社地からは古鏡が三面出土しており、現在は当社の神宝となっています。
境内の様子
境内入口。佐保川沿いのほんの小さな一画に立地しており、神社もかなり小規模なものです。
道路から社殿へ向かって三基の朱鳥居が南向きに建ち並んでおり、まるで稲荷系の神社のような印象も受けます。
当社に拝殿は無く、三の鳥居の奥に桟瓦葺・妻入切妻造の中門が建っており拝所となっています。
拝所の左右に玉垣が設置されており、本殿の建つ空間を区画しています。
中門の後方に銅板葺・一間社流造の本殿が建っています。本殿は基壇の上に建ち、朱が施されています。
本殿前の狛犬。花崗岩製で比較的新しいものです。
当社の社前には佐保川が流れています。堤防に桜が植えられており、花の時期には美しい光景となることでしょう。
地図