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阿陀比売神社 (奈良県五條市原町)

社号阿陀比賣神社
読みあだひめ
通称
旧呼称
鎮座地奈良県五條市原町
旧国郡大和国宇智郡原村
御祭神阿陀比売神、彦火火出見命、火須勢理命、火照命
社格式内社、旧村社
例祭10月19日、20日

 

阿陀比賣神社の概要

奈良県五條市原町に鎮座する式内社です。

当社の創建は崇神天皇十五年と伝えられ、その後奈良時代の神亀五年(728年)に藤原武智麻呂から神戸を寄進されたと伝えられています。

南九州、特に薩摩半島を拠点としていた「阿多隼人」と呼ばれたが当地に移住し、彼らの信仰する神を祀ったのが当社だと考えられます。

『新撰姓氏録』大和国宇智郡に見える「阿陀郷」とは当地一帯と推定される一方、薩摩国には「阿多郡」および「阿多郷」が見え、現在の鹿児島県南さつま市の北部一帯と考えられます。その辺りが阿多隼人の本拠だったのでしょう。

阿多隼人が畿内の内陸である当地に移住した経緯は不明ですが、彼らについては記紀の神武東征の段に既に見えており、極めて古くから当地に居住したことが推測されます。

『古事記』ではイワレヒコ(後の神武天皇)が大和を迂回し熊野を経由して吉野へ至った際に次のように記しています。

『古事記』(大意)

八咫烏の案内により吉野河の河尻に至った時、筌(魚を閉じ込めて捕らえる籠状の漁具)で魚を取る人がいた。イワレヒコは「お前は誰だ」と問うと、「私は国津神で、名は贄持之子(ニヘモツノコ)と申します」と答えた。これは阿陀の鵜養の祖である。

『日本書紀』でもほぼ同様の記述となっています。

「贄持之子」とはその名の通り「贄」、つまり供え物を持つ者の意であり、その贄とは神への供え物であるとも天皇への貢納物とも考えられます。いずれにしてもその「贄」のために筌で魚を取っていたのでしょう。

そして彼は「阿陀の鵜養の祖」とされています。鵜飼は南方系の人々によって行われた漁法と言われており、紀ノ川水系で行われた鵜飼は南九州を本拠とした阿多隼人によってもたらされたことが推測されます。

『古事記』に記される「吉野河の河尻」も当地と思われ、南九州から移住した阿多隼人の畿内における一大拠点となっていたことが窺えます。

また当地から吉野川を下った二見地区に鎮座する「二見神社」も隼人の一族が祖神を祀ったと考えられ、当地のみならず旧・宇智郡(五條市北部)における吉野川沿岸一帯で南九州の人々が暮らしていたことが考えられます。

 

当社の御祭神は「阿陀比売神」「彦火火出見命」「火須勢理命」「火照命」の四柱です。阿陀比売神とはコノハナサクヤヒメのこととされ、『古事記』では「神阿多都比売」、日本書紀では「神吾田津姫」を本名としています。

コノハナサクヤヒメは記紀ではいわゆる天孫降臨の後、ニニギの配偶者として登場しており、皇祖神を中心に体系化した記紀神話に組み込まれていますが、本来はその本名が示すように阿多隼人の神だったことが考えられます。

「彦火火出見命」「火須勢理命」「火照命」の三神はニニギとコノハナサクヤヒメの子で、弟の山幸彦こと彦火火出見命(ホオリ)の子孫が皇孫となった一方、『日本書紀』では兄の海幸彦ことホスセリの子孫が隼人となったと記されています。(『古事記』では海幸彦はホデリとなっている)

このように記紀の天孫降臨~海幸山幸の段は南九州的色彩が極めて濃く、隼人らの伝承が組み込まれていることが考えられます。

 

一方、当社は安産の神として古くから信仰されており、男児を望む際には白の、女児を望む際には赤の鈴の緒を頂いて腹帯にし、無事に出産すると新しい鈴の緒を奉納することが習わしでした。現在は例祭の際に腹帯を供えて祈祷するのが例となっているようです。

記紀ではコノハナサクヤヒメが妊娠した際、ニニギは僅か一夜で身籠ったことを不審に思って国津神の子ではないかと疑い、コノハナサクヤヒメはその疑いを晴らす為に「天津神の子であるなら無事に産めるだろう」として産屋に火をかけ、その中で三神を産んだと記しています。

こうした困難の元で無事に出産した伝承を反映して当社が安産の神として信仰されるようになったかもしれません。

また当社の東方に「ヒメヒカケ(シメシカケ)の森」と呼ばれる森があり、漢字では「比賣火懸」と表記し、コノハナサクヤヒメが産屋に火をかけたことに因むものと伝えられています。

このように当社は遥か昔に南九州の人々が移住して祭祀し、彼らの伝承が現代にも伝えられている神社であると言えましょう。

 

境内の様子

当社は五條市原町の北端、まっすぐ西進してきた吉野川が大きく湾曲する地帯に差し掛かったところに鎮座しています。

境内は杉などの巨樹で覆われてちょっとした森になっています。

 

境内入口は境内の南側にあり、入口は桟瓦葺・平入切妻造の簡素な薬医門が南向きに建っています。

 

阿陀比売神社

阿陀比売神社

門をくぐると塀で囲われた内側は手狭な空間で、すぐ左側(西側)に鳥居と社殿が東向きに並んでいます。

鳥居と拝殿は近接して建っており、拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造となっています。

 

拝殿と鳥居の間に配置されている狛犬。砂岩製です。

 

阿陀比売神社 本殿

後方に建つ本殿は檜皮葺の一間社春日造で朱が施されています。女神が祀られているだけに千木は内削ぎになっています。

江戸時代初期の建築と推定され、五條市指定文化財となっています。近年に修復工事が行われたようで、ピカピカの綺麗な姿を取り戻しています。

 

本社本殿の右隣(北側)に境内社の「八阪神社」が東向きに鎮座。御祭神は「素盞嗚命」。

こちらの社殿は形式としては檜皮葺の春日見世棚造ですが、見世棚造としてはかなり大規模な建築です。同様に朱が施され、五條市指定文化財となっています。

 

本社拝殿の右側(北側)に五社の境内社が一つの覆屋に納められて南向きに建っています。

それぞれどの神社であるかは何の表記も無いため不明ですが、案内板には次の境内社があると記しています。

  • 天照皇太神社」(御祭神「天照大御神」)
  • 熊野神社」(御祭神「伊弉諾尊」)
  • 春日神社」(御祭神「武甕槌神」)
  • 八幡神社」(御祭神「誉田別尊」)
  • 金刀比羅神社」(御祭神「大物主命」)

社殿はいずれも板葺の春日見世棚造で、最も右側(東側)の社殿のみやや大きなものとなっています。

 

拝殿の手前側(東側)にはこのような桟瓦葺・平入切妻造の建物が建っています。

内部には「舞殿改築」と記された額が掲げられているものの、開放的な建築とは言えず舞殿としての機能を果たせる構造にはちょっと見えません。

内部には腰掛けが設置されており、実質的には休憩所といったところではないでしょうか。

 

この「舞殿」は境内の東端の石垣の上に建てられており、境内の外からは最も目立つ建築となっています。

恐らく境内を東へ拡張して建てられたものなのでしょう。

 

境内周辺の様子

当社境内の東方、阿太ミニ体育館のすぐ側にちょっとした森が形成されており、これは「ヒメヒカケの森」もしくは「シメシカケの森」と呼ばれています。

「比賣火懸」の意とされ、当社の祭神であるコノハナサクヤヒメが産屋に火をかけて三柱の御子を産んだことに因むと伝えられています。

古くから禁足地であるとされ、もし立ち入ると必ず祟りがあるとして恐れられています。

 

ヒメヒカケの森のすぐ側を流れる吉野川。中央構造線に沿ってまっすぐ西へ流れて来た吉野川はこの辺りから突如大きく湾曲する流路をとります。

『古事記』に贄持之子がいたと記される「吉野河の河尻」とは恐らくこの辺りだったのでしょう。

 

タマヨリ姫
南九州の人達がはるばるここに移住してきたんだ!しかも結構古い時代のことみたいだね!
そうね。そして今でも南九州を思わせる伝承が残っているのは神秘的に感じられるわね。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板

式内社 阿陀比賣神社 御由緒

案内板

阿陀比売神社(原町24)

 

地図

奈良県五條市原町

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