社号 | 御杖神社 |
読み | みつえ |
通称 | |
旧呼称 | 上津江之御宮、国津大明神社、九頭大明神、葛明神、牛頭天王社 等 |
鎮座地 | 奈良県宇陀郡御杖村神末 |
旧国郡 | 大和国宇陀郡神末村 |
御祭神 | 久那斗神、八街比古神、八街比女神 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 12月5日 |
式内社
御杖神社の概要
奈良県宇陀郡御杖村神末に鎮座する式内社です。
当社は倭姫命が天照大神の鎮座するべき地を求め伊勢へ向かう途中、当地に立ち寄って行宮を作って杖を祀ったと伝えられています。
ただしこれは当社が式内社とされ、また後述のように「元伊勢」の候補地とされて以降に創出されたものと思われ、伝統的には当社の創建・由緒は特に伝わっておらず不詳です。
江戸時代中期の地誌『大和志』などで当社を式内社としており、恐らく当地の地名「神末(こうずえ)」が「御杖」に通じるとして比定されたものと思われます。
当社は江戸時代以前には「上津江之御宮」「国津大明神社」「九頭大明神」「葛明神」「牛頭天王社」など様々な呼称がありました。この中で「国津」と「九頭(葛)」は転訛しやすく、同じ神の表記を変えたものとも考えられます。
一方で境内にある延宝四年(1676)年の二基の石灯籠には「牛頭天王」「九頭大明神」のそれぞれが刻まれており、江戸時代にはこの二神を併せ祀っていたことが考えられます。
また「上津江之御宮」については天文二十三年(1554年)の棟札に記されており、現在は「神末」となっている地名が元は「カミツエ」と呼ばれていたことを示唆し、当社が式内社「御杖神社」であることを補強するものとなっています。
なお、自治体名「御杖村」は式内社に比定された当社に因み明治二十二年(1889年)に成立したものであり、伝統的な地名でないことには注意が必要です。
当社の社名「御杖」とは「御杖代」のことと考えられ、神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者を意味し、後には斎王(伊勢神宮や賀茂社の巫女として奉仕した未婚の内親王。伊勢神宮は「斎宮」、賀茂社は「斎院」とも)のことを指しました。
また杖は神の宿る依代ともなり、また神域の境界を画定する呪術的な道具でもあったため、とりわけ神に仕えるに相応しい巫を特に御杖代と称したことも考えられます。
一方、上述の「元伊勢」とは、「伊勢神宮」が現在地に鎮座する以前に一時的に「天照大神」を祀っていたとされる地のことです。
崇神天皇の御代、天皇が宮中に天照大神を祀るのを畏れたために天照大神の鎮まるべき地を豊鍬入姫命に求めさせ、途中倭姫命が代わって探し求め、各地を転々としつつ最終的に現在の伊勢神宮の地に落ち着くことになります。
その様子は『日本書紀』に簡単に記され、『皇太神宮儀式帳』『倭姫命世記』といった後世の史料に詳細に記されています。
『日本書紀』においては豊鍬入姫命から倭姫命に代わる際に「天皇以倭姫命為“御杖”」とあり、まさに倭姫命は御杖代だったことが示されています。
式内社「御杖神社」もこの御杖代となった倭姫命に関わるものと考えられ、その比定社たる当社もまた元伊勢の候補地とされています。『日本書紀』に「菟田筱幡」、『皇太神宮儀式帳』『倭姫命世記』に「佐佐波多宮」とある地が当社であるとされています。
『大和国風土記』逸文にも宇陀郡の篠幡庄に「御杖の神の宮」が鎮座し、倭比売命が天照大神を戴いてその地に至った旨が記されています。
ただしその候補地は当社の他に山辺三地区の「篠畑神社」、同地区の「葛神社」などもあり、特にかつてその地を篠畑と呼んでいたことから篠畑神社が最有力となっており、篠畑神社こそが式内社「御杖神社」であるとする説もあります。
現在の当社の御祭神は「久那斗神」「八街比古神」「八街比女神」となっており、災厄や悪霊などの侵入を塞ぐ神格を持ついわゆるサイノカミ、境界の神を祀っています。
元伊勢の伝承とは一切関係の無い神であり、また江戸時代以前に「牛頭天王」「九頭大明神」を祀っていたこととも繋がりが見えず、どのような経緯があって現在の御祭神となったかはよくわかりません。杖が境界を確定する呪具であることから祀られたのでしょうか。
また或いは当地は大和国の東端にあたり、伊賀国、伊勢国との境界であり、こうした立地だからこそ境界の神を祀ったとも考えられるかもしれません。
境内の様子
当社は大和国(奈良県)の最東端、神末地区の名張川沿いに鎮座しています。
社前の道が狭いため境内全体を撮ることができないのが惜しいですが、非常に巨大な杉の木が境内のあちこちに聳えており、古くからの神域であることが感じられます。
境内の南東側に入口があり、神明鳥居が南東向きに建っています。
鳥居前の左側(南西側)に手水舎が建っています。
境内は砂利が敷き詰められており清々しい空間。
鳥居をくぐって正面奥に社殿が南東向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の平入入母屋造で、唐破風付きの向拝が付いたもの。
拝殿前には狛犬や灯籠と並んで左右に杉の巨樹が一対聳えており、まさに随身の如く神社を守っているかのような厳かな印象を受けます。
拝殿前の狛犬。花崗岩製の新しいもので、口腔などに彩色が施されています。
拝殿後方の石垣上、瑞垣の奥に銅板葺の神明造の本殿が建っています。
石垣の前に建つ二基の石灯籠。いずれも延宝四年(1676)年のもので、左側には「牛頭天王」、右側には「九頭大明神」と刻まれています。
江戸時代以前はこの二神を併せ祀っていたことが窺えます。
本社社殿の右奥(北西側)に八社の神社の相殿が南東向きに鎮座しています。
朱塗りの鳥居が建ち、後方に桁方向に長い銅板葺の流見世棚造の社殿が建っています。
祀られている神社は左側(南側)から次の通り。
- 「山神神社」
- 「木花佐久夜毘女神社」
- 「龍田神社」
- 「藪中神社」
- 「愛宕神社」
- 「秋葉神社」
- 「金刀毘羅神社」
- 「稲荷神社」
当社境内の様子。疎らながらも多くの大きな杉が生えています。中には樹齢600年を超すものもあるようです。
当社の社前を流れる名張川。名張川は伊賀の西部を流れ、上流側の当地付近だけ大和国となっています。(正確には中流域の一部も大和国)
このため当地付近は大和国でありながら伊賀に近い風土を併せ持っているように感じられます。
地図
関係する寺社等
篠畑神社 (奈良県宇陀市榛原山辺三)
社号 篠畑神社 読み ささはた 通称 旧呼称 鎮座地 奈良県宇陀市榛原山辺三 旧国郡 大和国宇陀郡山辺村 御祭神 天照皇大神 社格 式内社 例祭 10月17日、18日 式内社 大和國宇陀郡 御杖神社 ...
続きを見る