社号 | 櫻實神社 |
読み | さくらみ |
通称 | |
旧呼称 | 弁才天 等 |
鎮座地 | 奈良県宇陀市菟田野佐倉 |
旧国郡 | 大和国宇陀郡佐倉村 |
御祭神 | 木花咲夜姫命 |
社格 | 式内社 |
例祭 |
式内社
櫻實神社の概要
奈良県宇陀市菟田野佐倉に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
当社境内には「八つ房杉」と呼ばれる極めて巨大かつ樹勢の素晴らしい杉があり、国指定天然記念物となっています。その名の通り八本の幹が伸び、それが互いに絡み合う複雑な樹形となっています。
伝承では八つ房杉は神武天皇が大和平定の際に「菟田の高城(たかき)」に陣を張った際に植えたものだとも伝えられています。
記紀では神武天皇が熊野から宇陀へ至りエウカシと交戦した際にオトウカシが帰順し、その戦後に行われた宴で歌ったという久米歌に「菟田の 高城に 鴫罠張る…」云々とあります。
大和平定の拠点として「菟田の高城」を築きエウカシとの戦に勝利したことを称賛する歌であり、この「菟田の高城」だと伝えられる地は当社のすぐ北方にあります。
ただ、当社と「菟田の高城」との関連性は明らかでありません。
江戸時代以前は「弁才天」と称し、八つ房杉の根元に鎮座していたようですが、慶応四年(1868年)に八つ房杉の西側に隣接して新たに社殿を造営したと伝えられています。
現在見るような神社の体裁が整えられたのは明治維新直前で、恐らくそれまでは小さな祠だったのでしょう。
現在の御祭神は「木花咲夜姫命」です。社名からの連想で新たに祀られたものと思われ、近世以前は上述のように弁才天を祀っていたようです。
その他当社に関する伝承は乏しく、当社の神の神格を明らかにすることは難しそうです。
当地は旧・宇陀郡と旧・吉野郡との境界である佐倉峠のすぐ近くであり、また社名の「サク」は「坂」「境」「堰」などに通じることから境界の神としての神格があったのかもしれません。
境内の様子
当社は佐倉地区の南西、谷間の奥の小高いところに鎮座しています。
斜面上に当社の境内があり、入口には鳥居が南西向きに建っています。
鳥居の傍らには砂岩製の狛犬が配置されています。古めかしいもので、歯がやたら多いのが特徴。
鳥居をくぐると砂利の敷かれた空間があり、そこに社殿が並んでいます。鳥居が南西向きなのに対して社殿は南東向きなのでちょっと回り込む動線。
拝殿は銅板葺の平入切妻造でコンクリート製の基壇上に建ち、朱に塗られています。床や壁の無い開放的な構造。
後方の石垣上に中門と瑞垣が設けられ、その内側に本殿および境内社が建っています。
本殿はトタン葺の一間社春日造。中門、瑞垣、本殿ともに鮮やかに朱が施されています。
本殿の左側には同規格の社殿が、右側には一回り小さな境内社が建っています。これらの社名・祭神は不明。
本社拝殿の右側(北東側)に「八つ房杉」があります。樹高14m、幹周り9mにもなる非常に巨大な杉であり、八本の幹が複雑に絡み合った迫力のあるものです。国指定天然記念物。
伝承では神武天皇が大和平定の際に植えたと伝えられています。
案内板
八ツ房杉(天然記念物)
なお、当社参拝時(2015年)は境内は工事中でした。
現在はより綺麗に整備されていることでしょう。
菟田の高城
当社の北方に記紀の久米歌に登場する「菟田の高城」と伝えられる地があります。
当社の東方の分岐を右(北西方面)へ進んだ先にあります。山の中の道を進むことになりますが、上の写真のように「菟田の高城⇀」と記された看板が建っているので迷うことはないでしょう。
道を進んでいくと丘の上のちょっとした平坦な地があり、ここが神武天皇がエウカシと交戦するにあたって布陣した「菟田の高城」であると伝えられています。当地に「高かき」と呼ばれる小字があるようで、これが「高城」に通じるということで有力な候補地となっているようです。
「神武天皇御東征菟田高城」と刻まれた石碑が建っており、これは明治三十二年(1899年)に治外法権撤廃の改正条約の実施を記念して建てられたものです。
案内板と石碑の建っていること以外には特に何もないところであり、また木々に覆われているため眺望も利かず、ここが戦の拠点だと言われてもイマイチピンときません。
ただ当地はエウカシの本拠地に比定されている宇賀志地区に隣接しており、また吉野との往来の道である佐倉峠がある交通の要衝であり、神話的要素の強い伝説であることはさておくとしても、こうした条件を踏まえれば確かにエウカシとの戦に際しては合理的な地と言えるかもしれません。
案内板
菟田(宇陀)の高城
案内板
地図