社号 | 葛神社 / 九頭神社 |
読み | くず |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県奈良市藺生町 |
旧国郡 | 大和国山辺郡藺生村 |
御祭神 | 出雲建雄神 |
社格 | 式内論社 |
例祭 | 11月3日 |
葛神社の概要
奈良県奈良市藺生町に鎮座する神社です。天理市布留町の「石上神宮」境内摂社の「出雲建雄神社」、都祁白石町の「雄神神社」と共に式内社「出雲建雄神社」の論社となっています。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
奈良県では各地に「九頭」「葛」「国津」などと称して水神・龍神を祀る例が多く見られ、当社もその一社です。これらは「クズ(クヅ)」と読み、古く吉野地域に居住していた人々である「国栖」との関連性を指摘する説もあります。
当社の鎮座する藺生(イウ(ヰフ))町は大和高原の都祁地域にあり、その大部分がそうであるように当地も淀川水系ですが、西側は大和川水系ともなっておりその源流となっています(当地から100mほど隔てた一つ西側の谷は大和川水系になる)。
そのため大和川(初瀬川)の水源地としてかつて大きな溜池(會我尾池)が築造されたといい、この池については大正三年(1914年)に刊行の地誌『大和志料』に記されています。
それによればその堤には「泊瀬社」なる祠があり、六月朔日には「泊瀬祭」が行われたと言われています。
そしてその堤には女郎塚、馬塚の二つの塚があったといい、伝承によれば宇陀郡東郷の娘が馬に乗って嫁入りに通っていたところ、生きながらにしてこの堤に埋めたため「東郷が池」といい、それ以来嫁入りの際にはここを通らないとされていたとされています。
そしてこの池は後になくなり、その跡地に藺草が生えたため当地は「藺生」と称するようになったのであろうとしています。
この池とそれにまつわる伝承、および「泊瀬社」なる祠が当社と関係するものであるかは不明ですが、当社案内板は上記の「泊瀬祭」が後の夏祭りになったと伝えているとしています。
また当社では古くから宮座が行われ、文明六年(1474年)以来の名簿が伝えられており貴重な資料となっています。
一方、式内社「出雲建雄神社」は江戸時代には所在不明となっていたようで、江戸時代中期の地誌『大和志』は所在未詳としつつ「或いは曰く」として当社を挙げています。
どのような根拠があって当社を挙げたのかは不明。しかし当社の社記は御祭神を「出雲建雄神」としているといい、また案内板は上記の「泊瀬祭」を「泊瀬のたけを祭」としており、こうしたことを根拠にした可能性があります。
現在では式内社「雲建雄神社」は「石上神宮」境内社に比定する説が有力となっていますが、当社もまた上述のように水利上重要な地であること、上記の社記や「たけを」の称が見られる(?)こと等から、当社が式内社であるとする可能性も考えられるかもしれません。
境内の様子
当社は藺生町の集落の南方、小さな池を超えた先の谷間に鎮座しています。
当社境内へさしかかるところには道を横切るように「勧請縄」が掛けられています。
勧請縄とはつまり道切りの一種で、本来は集落の境界などで災厄や疫病などを防ぐために掛けられたものです。いつの頃か神社で行うようになったものでしょう。
奈良県から滋賀県にかけては勧請縄が非常に盛んに行われており、多種多彩な勧請縄が各地で見られます。
当社の勧請縄は飾りが乏しい一方で数多くの束が付けられているのが特徴。
勧請縄をくぐって左側(東側)に当社の鳥居が西向きに建っており、境内入口となっています。
鳥居の左側(北側)に手水舎が建っています。
鳥居の傍らに配置されている狛犬。花崗岩製の比較的新しいもので、口腔内などが真っ赤に塗られています。
鳥居をくぐって右側(南側)に「祓戸社」があります。「社」とはいいながらも社殿は無く、注連縄で囲った中に神木が聳えているものとなっています。
奈良県の主要な神社では本社参拝前にまず祓戸社に参拝することで穢れを祓い身を清める風習があるので、当社でも恐らくそうなのでしょう。
鳥居をくぐって正面奥に社殿が西向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の平入切妻造に妻入切妻造の向拝の付いたもの。
拝殿目に配置されている狛犬。こちらも花崗岩製ですが、鳥居傍らに配置されているものよりも些か古いもののように思われます。大きく胸を張っているのが特徴。
拝殿後方、瑞垣の奥に銅板葺・一間社春日造の本殿が建っています。比較的新しい建築。
本社拝殿の左側(北側)に屋根付き廊下が設けられ、ここに鈴の緒が設けられており拝所を兼ねたものとなっています。
この奥、本社本殿の左側(北側)には境内社が西向きに建っています。
案内板に末社として「天満社」(御祭神「菅原道真公」)が記されているので恐らくこれがそうなのでしょう。
社殿は春日見世棚造。
境内の北側に社務所が建っています。大型の建築で、神事の際の詰所などにも用いられているのでしょう。
上述の屋根付き廊下で本社拝殿と接続しています。
本社拝殿の右側(南側)に遥拝所があります。
どこへ遥拝するものかは不明ながら、東を向いていることから恐らく伊勢神宮でしょう。
遥拝所の奥側(東側)には「建湧井」なる泉があります。
境内の南東側から道が伸びており、ここから森の中を進んでいくと大きな窪みがあります。これは「氷室」の跡であるとされています。
氷室とは冬季に氷を貯蔵し夏季に取り出すためのもので、都祁地域のような寒冷地では朝廷に献上するためにいくつかの氷室が作られています。
都祁地域における氷室は『日本書紀』仁徳天皇六十二年の条に記されており、奈良盆地や大阪平野に皇居を置いていた時代には良質な氷の産地として知られていたようです。
案内板
氷室について
境内南側には池が整備されてあり、小さな神社ながらも風流を感じられます。


由緒
案内板
式内 葛神社
地図
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