社号 | 大名持神社 |
読み | おおなもち |
通称 | 大汝宮 等 |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県吉野郡吉野町河原屋 |
旧国郡 | 大和国吉野郡河原屋村 |
御祭神 | 大名持御魂神、須勢理比咩命、少名彦名命 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 10月17日 |
大名持神社の概要
奈良県吉野郡吉野町河原屋に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には名神大社に列せられ、古くは極めて有力な神社だったようです。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、当社の背後に聳える標高249mの「妹山(いもやま)」を神体山として神を祀ったことが考えられます。
一説に「妹山」とは「忌山」の意とも言われおり、多くの山林が人工林となっている吉野地方にありながら、この妹山は現代に至るまで禁足地として木を伐ることなく神域として守り伝えられ、この地方では極めて貴重な極相林となっています。
妹山の植生はツルマンリョウ・ルリミノキ・テンダイウヤク・ナガバジュズネノキ・ホンゴウソウ・ホングウシダなどの暖地性の植物が繁茂し、原生林が良好な状態で残っていることが評価され、この「妹山樹叢」は国指定天然記念物となっています。
一方、『三代実録』の貞観元年(859年)正月二十七日条では当社を指すと考えられる大和国の「大己貴神」が正一位という極めて高い神階を授かっています。この当時既に正一位だったのは「春日大社」のみ、またこの時同時に正一位を授かったのは他に「枚岡神社」のみであり、まさに異例と言うほかありません。
当社が当時なぜこのような極めて高い神階を授かったのかは全くの不明です。上述のように当社は名神大社に列せられ、朝廷から極めて厚い崇敬を受けたのは間違いありません。
また吉野川の対岸には妹山と対になるように標高272mの「背山」が聳えており、川を挟んで秀麗な妹山・背山が並ぶ光景は印象的です。
『万葉集』で互いに思い合う男女を重ねて数多く詠まれた「妹背山」はこれであるともされていますが、吉野川=紀ノ川を下ったところにも同じく「妹山」「背山」と呼ばれる山が川の左右にあり(JR和歌山線の西笠田駅あたり)、こちらであるとする説も有力です。
『万葉集』に登場する妹背山は上述のように男女を重ねたものが多いですが、次の一首は趣を異にしています。
『万葉集』巻7 1247番
大穴道 少御神の 作らしし 妹背の山を 見らくし良よしも
(訳:オオナムチの神とスクナヒコナの神が作ったという妹背の山を見ると素晴らしいものだ)
歌聖・柿本人麻呂が詠んだとされており、妹背山はオオナムチとスクナヒコナが作ったと信仰されていたことがわかります。
現在の当社の御祭神は「大名持御魂神」「須勢理比咩命」「少名彦名命」の三柱で、少名彦名命が祀られているのは上記の歌に因み、元々は背山に祀られていたものを当社に合祀したとする説があります。
しかしながらこの歌も当地でなく下流側の妹山・背山のことであるとする説があるため注意が必要です。
ただ、当社が平安時代初めには全国有数の極めて有力な神社とされたこと、さらに当社の社叢が現代に至るまで禁足地とされていたことの意味は大きく、当地の妹山が古くからとりわけ神聖な山と見做されてきたことは間違いないでしょう。
境内の様子
当社は吉野川の右岸側に聳える妹山の南麓に鎮座しています。
入口には神明鳥居が南向きに建っています。
鳥居の背後は石段が続き、鬱蒼とした社叢となっています。妹山は古くから禁足地となっていたため吉野地方では貴重な暖帯林が残されており、国指定天然記念物となっています。
石段を上って左側(西側)に手水舎があります。
石段を上って正面に社殿が南西向きに並んでいます。
拝殿は神明造に似た銅板葺のまっすぐな平入切妻造で、壁の無い開放的な構造となっています。
背後の石垣の上に、瑞垣に囲まれて檜皮葺・妻入切妻造の幣殿、そして檜皮葺・神明造の本殿が建っています。
鳥居も神明鳥居だったようにどういうわけか多く天津神を祀る伊勢系の神社構成で統一されており、国津神の主宰神たるオオナムチ=オオクニヌシを祀る神社とは一見思えないような外観の神社となっています。
本社本殿の左側(西側)の石垣上に二社の境内社が南西向きに建っています。社名・祭神は不明。
社殿はいずれも銅板葺の春日見世棚造。
本社社殿の右側(東側)に社務所があります。
かつてはこの場所に神宮寺の「大海寺」がありましたが、神仏分離により廃寺になりました。
当社の社前を流れる吉野川。当社背後の妹山と向かいの背山の間を流れた吉野川はここからゆるく左へ曲がって下っていきます。
社前には「潮生淵(しおうぶち)」があり、毎年六月三十日に海水が湧き出て、この日に人々が「大汝詣り」と称して禊をしたと言われています。
潮生淵が具体的にどこを指していたのかはよくわかりません。社前の吉野川も淵と言えるようなものとは言えず、現在はなくなっているのかもしれません(案内板には「大汝詣りが今日も続いている」とあるが…)。
特定の日に海水が湧き出るというのは不思議な現象ですが、塩気を含む鉱泉が湧き出ていたのでしょうか。
西方から見た妹山(写真左側)と背山(写真右側)。二つの山が吉野川を挟んで聳えている様子がわかります。
この地は吉野川沿いから伊勢街道が分岐する交通の要衝でもあり、ここで二つの美しい山が対峙している様子は古くから印象深い光景として捉えられていたことでしょう。
由緒
案内板
大名持神社(大汝宮)
地図