社号 | 荒見神社 |
読み | あらみ |
通称 | |
旧呼称 | 五社大明神 等 |
鎮座地 | 京都府久世郡久御山町田井荒見 |
旧国郡 | 山城国久世郡田井村 |
御祭神 | 武甕槌命、応神天皇、仲哀天皇、別雷大神、倉稲魂命 |
社格 | 旧村社 |
例祭 | 10月9日 |
式内社
荒見神社の概要
京都府久世郡久御山町田井荒見に鎮座する神社です。式内社「荒見神社」の論社の一つです。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。寛永七年(1630年)の木津川の水害により壊滅的な被害を受け、寛文四年(1664年)に社地を移して再建したと伝えられています。当社の南方200mほどの地に西荒見・東荒見の地名が見え、その付近が旧社地だったと思われます。
近世には「五社大明神」と称しましたが、式内社「荒見神社」は富野の荒見神社でなく当社であるとの見方が強かったようです。
当社の御祭神は「武甕槌命」「応神天皇」「仲哀天皇」「別雷大神」「倉稲魂命」で、この五柱を以て五社と称したようです。しかしこの五柱を祀るようになった経緯は不明で、著名な神を合わせ祀った感が否めません。
『山城国風土記』逸文に「荒海の社(祗の社)名は大歳神」とあることから、当社が式内社「荒見神社」ならば本来は「大歳神」を祀っていたものと思われます。大歳神は年ごとの収穫、豊穣を司る穀物神・農業神であり、この神が同様の神格を持つ倉稲魂命へ変わっていったことは考えられるかもしれません。
境内の様子
境内入口。鳥居は西向きに建っています。
境内の一部が幹線道路である国道1号に面しているものの、そこから境内に入る手段はなく、西側へ遠回りする必要があるので注意が必要です。
鳥居をくぐった様子。両脇に針葉樹の並ぶ参道が50mほど続きます。参道のすぐ側まで民家が迫っており、集落の奥まったところに神社が鎮座する印象があります。
参道を進んでいくと社殿の建つ空間があります。
社殿は南向きに並んでいます。
拝殿は瓦葺・平入入母屋造の割拝殿。山城国では主に舞殿風拝殿が見られますが、南部では割拝殿も多く見られるようになります。当社の場合は洪水により移転した際に作り替えられたかもしれません。
拝殿前の狛犬。砂岩製で均整のとれた顔立ちです。
拝殿後方、石垣の上に向唐破風の中門と透塀に囲われて銅板葺・一間社流造の本殿が建っています。当地に移転した寛文四年(1664年)の建築とされています。
高い石垣を積んでいるのは、過去の苦い経験を踏まえ洪水による流失から社殿を守るためなのでしょう。
本殿の左側(東側)に境内社が鎮座しています。社名・御祭神は不明。
祠の前に建つ灯籠には「正一位五社大明神御寶前」とありますが、五社大明神とは本社の旧称であり、正一位も本社御祭神の倉稲魂命(稲荷神)に対するものと思われます。この境内社のために奉納されたものではなさそうです。
拝殿の左側(西側)にも境内社が鎮座しています。こちらも社名・御祭神は不明。
境内の片隅には石仏の残骸らしきものが安置されています。
境内の東側は遊具が設置してあり公園化しています。
集落から見れば最も奥まった一帯ですが、柵を一つ越えれば交通量の非常に多い国道1号であり、静と動の隣り合った絶妙な均衡の元に成り立つ空間と言えましょう。
地図
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荒見神社 (京都府城陽市富野荒見田)
社号 荒見神社 読み あらみ 通称 旧呼称 五社天神宮 等 鎮座地 京都府城陽市富野荒見田 旧国郡 山城国久世郡富野村 御祭神 天火明尊、天香語山尊、天村雲尊、阿比良依姫尊、木花開耶姫尊 社格 式内社 ...
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