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福長神社 (京都府京都市上京区室町通武者小路下ル福長町)

社号福長神社
読みふくなが
通称
旧呼称福長稲荷 等
鎮座地京都府京都市上京区室町通武者小路下ル福長町
旧国郡山城国京都福永町
御祭神福井神、綱長井神、稲荷神
社格式内社
例祭

 

福長神社の概要

京都府京都市上京区室町通武者小路下ル福長町に鎮座する式内社です。

当社は神祇官西院に鎮座していた座摩巫祭神五座の内、「福井神」と「綱長井神」だったと伝えられています。

平安時代から中世にかけての宮中(内裏)では神祇官西院において「御巫(みかんなぎ)」と呼ばれる女性の神職が置かれ、その内の「座摩巫(いかすりのみかんなぎ)」が祭祀した五柱の神々(「生井神」「福井神」「綱長井神」「波比岐神」「阿須波神」)が「座摩(いかすり)神」です。

その内の二柱が当社で祀られています。座摩神は大阪府大阪市中央区に鎮座する「坐摩神社」、大阪府岸和田市積川町に鎮座する「積川神社」でも祀られています。

この五柱が如何なる神であるかははっきりしませんが、「生井神」「福井神」「綱長井神」はそれぞれ「井」が付くことから水に関する神であり、「波比岐神」「阿須波神」は諸説ありますが土地の神・家屋の神であるとも言われています。実際、福井神と綱長井神を祀る当社も水神として信仰されているようです。

『古語拾遺』には坐摩神について、神武天皇が即位の際に天照大神と高皇産霊神の神勅を受けて祀った神々の一つで、「大宮所の霊」であり「今、坐摩巫の奉斎するところ」であると記載されています。「大宮所の霊」とは特に宮中で祀ることを示したものと思われます。

座摩神はじめ神祇官西院において祀られていた神々は中世以降に衰退し、応仁の乱の頃には完全に廃れたと考えられていますが、どういうわけか福井神と綱長井神は合祀されて現在に伝わっています。

神祇官西院のあった地は現在地の南西1.6kmほど、二条公園の一つ北方の区画だと推定されています。

現在地に遷座したのは天正年間、豊臣秀吉が聚楽第を造営、もしくは廃城した際だと伝えられています。一方、天正二年(1574年)の『洛中外図屏風』には既に現在地に当社が描かれています。

天明八年(1788年)の大火により被害を受け、それ以降非常に小さな神社として祭祀されています。

人々に忘れられたかのような住宅地に挟まれた小さな神社ですが、平安時代の皇室の重要な祭祀を担った歴史ある神社です。

 

境内の様子

境内入口。室町通りに面しており、住宅地に埋もれるように鎮座しています。入口には西向きの木造神明鳥居が建っており、石垣で境内と道路が区分けされています。

 

鳥居をくぐって左側(北側)に手水舎があります。

 

鳥居をくぐった様子。正面に西向きの社殿が建ち、それ以外は何もない非常に無機質な空間となっています。

 

拝殿は桟瓦葺・平入切妻造の正面に妻入切妻造の庇が付いたもの。

 

本殿は銅板葺の一間社流見世棚造で覆屋に納められています。構造的に拝殿後方の空間へ立ち入ることはできません。

 

境内入口の北側には京都に多い「化粧地蔵」を安置するお堂があります。

 

タマ姫
とっても小さな神社だね!ここも式内社なの?
そうよ。もともと内裏で祀られていた神様が今でもこのようにひっそりと町中で祀られているのよ。
トヨ姫

 

由緒

案内板

福長神社

 

地図

京都府京都市上京区室町通武者小路下ル福長町

 

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