社号 | 漢國神社 |
読み | かんごう |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県奈良市漢国町 |
旧国郡 | 大和国添上郡奈良町 |
御祭神 | 大物主命、大己貴命、少彦名命 |
社格 | 式内論社、旧県社 |
例祭 | 10月17日 |
漢國神社の概要
奈良県奈良市漢国町に鎮座する神社です。式内社「狹岡神社」の論社の一つ。
社伝によれば、推古天皇元年(592年)、大神君白堤という人物が勅命により園神を祀り、その後元正天皇の養老元年(717年)に藤原不比等が韓神二座を相殿として祀ったのが当社であり、古くは春日率川坂岡神社と称したと伝えられています。
また園神と韓神を祀ったことから韓園神社とも称し、後に韓が漢に、園が國になり漢國神社となったとも伝えられています。
「園神」「韓神」とは、『延喜式』神名帳の宮中神の宮内省坐神に「園神社」「韓神社 二座」とある神であり、平安京の宮内省内で皇室の守護神として祀られた神です。
社伝では宮内省の園神社・韓神社は当社から勧請されたと伝えています。しかし平安時代以降の各種資料(『江家次第』『古事談』など)には、園神と韓神は平安京遷都以前からその地に鎮座していた神で、他所へ遷そうとしたところ神託があったのでそのまま宮内省に鎮座したとあり、当社の社伝と全く異なる伝承となっています。
『江家次第』『古事談』などは園神と韓神を平安京以前からの京都の在来の神としていますが、当社の社伝では勅命で突如当地に祀られた神となっています。
園神と韓神の神格について見てみると、園神は記紀に記されておらず全く不明の神です。
一方の韓神は大年神と伊怒比売との間に生まれた五柱の神の中に見えます。ただし『延喜式』神名帳に「韓神社 二座」とあることに加え、当社社伝でも韓神二座とあるため、韓神は二柱の神であると見なければなりません。
韓神と同時に生まれた曾富理神を韓神のもう一座とする説があり、一方で曾富理神を園神とする説もありますが、また一方で大年神と伊怒比売との間に生まれた韓神は当社の神や宮内省の韓神社とは別の神だとする説もあります。
いずれにせよ両神は出所不明で神格もよくわかりません。韓の字が用いられることから渡来系の神、特に京都一帯を支配していた秦氏の神だったのではとも考えられるものの、想像の域を超えるものではありません。
現在の御祭神は「大物主命」「大己貴命」「少彦名命」となっています。園神を大物主命、韓神二座を大己貴命と少彦名命として祀ったもので、これは大和神社の古文書『大倭神社註進状』の記述に依ったもののようです。
また当社は先述の通り春日率川坂岡神社とも称しました。このため式内社「狹岡神社」は本来は「狹加岡神社」で「加」の字が脱落したものとして、これを当社に比定する説があります。
しかし根拠としては弱く、式内社「狹岡神社」は八座であることも当社の社伝からは考えにくく、疑問が残ります。
当社のその後の様子は詳細は不明なものの、平安末期の南都焼討で炎上し、文治4年(1188年)興福寺の覚昭大僧正の奏聞によって再建されたと伝えられています。
さらに慶長年間に徳川家康によって社殿の修理が行われ、現在の社殿はこの時のものです。
境内の様子
一の鳥居は朱鳥居で、近鉄奈良駅南方、やすらぎの道に沿って東向きに建っています。
鳥居をくぐって道を進むと正面に神門が東向きに建っており、ここが境内入口となります。
神門は本瓦葺の平入切妻造で小型の高麗門形式。
境内と外界は白い塀で隔てられています。
神門をくぐって左側(南側)に手水舎があり、手水鉢の隣にある井戸の上に「水神社」が鎮座しています。
神門をくぐって正面に二の鳥居が東向きに建っています。こちらも朱塗りの鳥居。
二の鳥居の両脇に配置されている狛犬。砂岩製です。
さらに狛犬の後方に石造の随身像が配置されています。こちらも砂岩製。
随身像は一般に木造で随身門など専用の部屋に安置されることが多く、屋外で石造のものが置かれるのは珍しい例です。
二の鳥居をくぐり若干の石段を上ると正面に社殿が東向きに並んで建っています。
拝殿は檜皮葺・妻入切妻造。床の無い土間となっており、梁行一間、奥行二間の縦に長い拝殿となっています。
拝殿後方に本殿が透塀に囲まれて建っています。檜皮葺の三間社流造で、拝殿と接続したもの。
慶長年間に建立されたもので、桃山時代の特徴の見られる貴重な建築として奈良県指定有形文化財となっています。
本社本殿の左奥(南西)に「八王子社」が東向きに鎮座。御祭神は「八王子神」。一説に「宗像正前大神」もしくは「神屋楯姫命」を祀るとも言われています。
社殿は本瓦葺の春日見世棚造。
本社本殿の右奥(北西)に「葵神社」が南向きに鎮座。御祭神は「東照大権現」。
社殿は本瓦葺の春日見世棚造。
葵神社の東側に隣接して「饅頭塚」と呼ばれる岩石があります。
次に紹介する林神社に関連し、紅白饅頭を埋めたものと伝えられています。
本社拝殿の右側(北側)に「林(りん)神社」が南向きに鎮座。御祭神は「林浄因」「田道間守」。
林浄因は貞和五年(1349年)に元から来日した人物で、本社社頭に居住して日本で初めて饅頭を作り好評を博したと伝えられています。
この林浄因を祀る当社は日本唯一の饅頭の神として信仰されており、社殿前にも饅頭(というより餅?)を象ったオブジェが左右に配置されています。
林浄因の命日である4月19日には「饅頭まつり」が行われ、神前に全国各地の銘菓が献上されます。
昭和五十三年(1978年)には菓子の神とされている田道間守を勧請・合祀し、現在は饅頭のみならず菓子全般の神として信仰されています。
社殿は銅板葺で朱塗りの流見世棚造。
林神社の敷地内にある岩石。縄で囲われコンクリートで固められており、何らかの信仰の対象である可能性がありますが詳細不明。
神門をくぐってすぐ左側(南側)に「源九郎稲荷神社」が北向きに鎮座。御祭神は「宇賀御魂神」。大正十三年(1924年)に勧請されたもの。
朱鳥居が建ち、社殿は銅板葺で朱塗りの春日造。
当社に伝えられる神宝として慶長十九年(1614年)に大坂冬の陣に際して徳川家康が奉納した鎧があり、奈良市指定有形文化財となっています。
現物は現在奈良国立博物館に保管されていますが、境内北東にある神楽殿で複製が展示されています。
御朱印
由緒
案内板
漢國神社本殿 一棟 桃山時代
地図