社号 | 高角神社 |
読み | たかつの/たかすみ |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県宇陀市大宇陀守道 |
旧国郡 | 大和国宇陀郡上守道村 |
御祭神 | 高倉下命 |
社格 | 式内社 |
例祭 | 9月11日 |
高角神社の概要
奈良県宇陀市大宇陀守道に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
当社は高倉山と呼ばれる標高440mの丘の山頂に鎮座しています。
『日本書紀』の神武天皇即位前三年九月の条によれば、神武天皇は「菟田高倉山」に登って辺りを見渡したところ賊軍が要害の地を埋め尽くしており道が塞がれていたことを知ったとあります。
この「菟田高倉山」が当地であると伝えられており、古くからの伝承なのか後世に新たに説が唱えられたのかは定かではありませんが、当社本殿脇にこれを顕彰した寛政十一年(1799年)の石碑が建っており、江戸時代後期にはそのように知られていたようです。
その後昭和十五年(1940年)に紀元2600年祭の一環で神武天皇聖蹟として文部省から正式に認定され、新たに石碑が建てられています。
しかし現在の当地は木々で覆われていて一切の眺望が不可能となっています。仮にこれらの木々が無かったとしても、当地の北方にも多くの丘陵があり、神武天皇が見渡したという男坂(半坂峠に比定)や女坂(針道峠に比定)は見えそうですが、墨坂(萩原地区の「墨坂神社」付近)まで見渡すのは難しそうです。
この近辺では北方の宇陀松山城のあった標高471mの城山(神楽岡とも)の方が高く、広範囲を眺望するにはそちらの方が適しているようにも思われます。現に、元は城山にあったのを宇陀松山城の築城の際に当地へ遷座したとの伝承もあるようです。
現在の当社は「高倉下命」を御祭神としています。古くからの祭神であるかは不明ですが、神武東遷に関わる人物であることと、社名や山名の連想から恐らく新たに祀られるようになったものと思われます。
一方、『延喜式』神名帳には二座とあり、本来は二柱の神を祀っていたようです。
明治頃には当社を「大高角神社」と称し、下守道(現在の守道地区東部)に鎮座する「八坂神社」を「小高角神社」と称してこの二社を対の神社としていたようで、或いはこの二社を併せて『延喜式』神名帳の二座とも解釈できるかもしれません。
なお、式内社「高角神社」は東吉野村平野と三重県松阪市飯高町舟戸の境界に聳える標高1248mの「高見山」に鎮座する「高角神社」に比定する説もあります。
江戸時代中期の地誌『大和志』もそちらを採用しており古くから唱えられている説ですが、その地は到底宇陀郡とは考えられず疑問も多い説となっています。
境内の様子
当社は高倉山の山頂に鎮座しており、その登山道の入口は守道地区の西側の県道219号沿いにあります。
一見わかりにくいですが、「高倉山 神武聖跡⇒」と書かれた看板があるので迷うことはないでしょう。
登山道入口から少し進むと当社の鳥居が北西向きに建っています。
その傍らには社号標と共に変体仮名を交えた「たかくら□(山?)」と刻まれた石碑も建っています。いつ頃のものでしょう?
木々に覆われた中を登山道が伸びています。
高倉山は標高440mですが、麓の標高も比較的高いので登山道はそう長くありません。
登山道を10分ばかり進むと山頂となり、広く平らな空間となっています。そこからV字に折り返したところに当社社殿が東向きに並んでいます。
基壇上に拝殿らしき建物が建っています。銅板葺の切妻造で後方に小さな庇が付いています。
本殿の位置からすると石段正面は拝殿の側面ということになるのでしょうが、二面に雨戸が設けられておりおよそ拝殿に見えず、社務所を兼ねた建物なのかもしれません。
拝殿(?)の左側(西側)、玉垣の奥に銅板葺・一間社春日造の本殿が建っています。
本殿の手前側には花崗岩製の比較的新しい狛犬も配置されています。(個別の記録は失念)
本殿の左側(南側)には「神武天皇望軍之舊蹟」と刻まれた石碑が建っています。
寛政十一年(1799年)の建立で、江戸時代後期には既に『日本書紀』の「菟田高倉山」は当地だとする説があったことがわかります。国学の隆盛の中で神武天皇の旧跡を顕彰する動きがあったのでしょう。
本社社殿の南側は平らな空間が広がっており、奥にぽつんと大きな石碑が建っています。
こちらの石碑はモノリス状の角柱の石碑で、「神武天皇聖蹟菟田高倉山顕彰碑」と刻まれています。
昭和十五年(1940年)に紀元2600年祭の一環として文部省から神武天皇の聖蹟と認定され建立されたものです。
石碑
神武天皇聖蹟菟田高倉山顕彰碑
『日本書紀』によれば高倉山から辺りを見渡し形勢を確認したことが記されていますが、現在の当地は完全に木々に覆われており残念ながら全く眺望を得ることができません。
道を戻ります。高倉山への登山道の途中に「五社大明神」が鎮座しています。
道の分岐に朱鳥居が建ち、そこから伸びる参道にも朱鳥居が建っており、社殿前のものも含めて計五基の朱鳥居が続いています。
参道の先のちょっとした丘の上に「五社大明神」の朱鳥居および社殿が南向きに建っています。
社殿は板葺の一間社春日造で、朱塗りの春日造風の覆屋に納められています。
狛狐が配置されていることから稲荷系の神社なのでしょう。
五社大明神の社殿左側(西側)に「神武天皇」と刻まれた石碑が建っています。
ここも神武天皇ゆかりの地とされているのでしょうか?詳細不明。
由緒
石碑
式内高角神社
地図