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雲甘寺坐楢本神社 (奈良県生駒郡平群町梨本)

社号雲甘寺坐楢本神社
読みうんかんじにますならもと
通称
旧呼称白山権現社、野間田明神 等
鎮座地奈良県生駒郡平群町梨本
旧国郡大和国平群郡梨本村
御祭神菊理姫命
社格式内社、旧村社
例祭10月第2日曜日

 

雲甘寺坐楢本神社の概要

奈良県生駒郡平群町梨本に鎮座する式内社です。

当社は石見国迩摩郡の「国分寺霹靂神社」(島根県大田市仁摩町仁万に鎮座)と共に、『延喜式』編纂当時において寺院に鎮座していたことが明らかな数少ない式内社の一つです。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、社名の通り雲甘寺の鎮守社として鎮座していたのが当社だと考えられています。

雲甘寺は現在地の東方500mの丘の上にあったと言われ、当社もその地に鎮座していましたが、雲甘寺は明治元年(1868年)に廃寺となり、当社は明治二十四年(1891年)頃に現在地に遷座されました。

雲甘寺は霊感寺などとも称したようですが詳細は全く不明で、『大和志』に記載が無いことから明治年間よりさらに前、江戸時代には既に廃絶していたとする説もあります。

当社は近世以前は「白山権現社」「野間(馬)田明神」とも称してきました。現在も白山信仰の神である「菊理姫命」を御祭神としています。

古来より雷除けに霊験があるとして信仰されたようです。

当社について明らかな部分は乏しく、雲甘寺の鎮守社として当社が創建されたのか、それとも当社の神宮寺として雲甘寺が創建されたのかも不明ですが、古くからの神仏混淆の様子が垣間見れる神社として貴重な存在と言えるかもしれません。

 

境内の様子

雲甘寺坐楢本神社

当社の境内。梨本の集落の西方、畑のある一帯に鎮座しています。

当地に遷座したのは明治二十四年(1891年)頃とされていますが、そうとは思えないほどこんもりとした森が形成されています。

 

当社には二カ所の入口があります。

こちらは東側の入口。鳥居が東向きに建っており、鳥居をくぐってすぐ右側(北側)が社殿となっています。

 

東側の鳥居の両脇に配置されている狛犬。古めかしさの感じられるものです。

 

一方こちらは南側の入口。南向きの鳥居が建っています。

鳥居のすぐ手前側は畑になっているため正面から写真を撮るのは困難です。

鳥居の傍らに二対の真新しい花崗岩製の狛犬が配置されています。

 

南側の鳥居をくぐった様子。左右に灯籠が並んでいます。

大きなクスノキも聳えており、とても130年程度の社地とは思えません。もしかしたら当社が遷座する前からここに何らかの神社が鎮座していた、もしくはお旅所だったのかもしれません。

 

南側の鳥居をくぐって右側(東側)に手水舎があります。

手水鉢は元禄十六年(1703年)のもので、かつての呼称である「白山権現」と刻まれています。

 

雲甘寺坐楢本神社

雲甘寺坐楢本神社

境内の北東に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は本瓦葺・平入切妻造の割拝殿。桁行四間・奥行二間で、通路は中央でなく東から二間目にあります。

 

雲甘寺坐楢本神社

拝殿後方、瑞垣に囲まれた空間に本殿や境内社が建っています。

本殿は銅板葺の一間社春日造。朱が施され、千木は内削ぎとなっています。

 

本社本殿の左側(西側)に二社の境内社が南向きに鎮座しています。

本社本殿のすぐ左隣に鎮座している銅板葺・春日見世棚造の境内社は「春日社」。かつて吉田村の氏神だったようです。

春日社の左隣に鎮座している銅板葺・流見世棚造の境内社は「稲荷社」です。

 

本社本殿の建つ瑞垣の左側(西側)に建つ謎の建物。桟瓦葺の平入切妻造。民家の引き戸のような出入口がある一方、注連縄や賽銭箱が掛けられています。

神輿か神宝でも納められているのでしょうか。

 

境内西側にある社務所。桟瓦葺の平入切妻造。

なかなか渋い建物です。

 

タマ姫
「雲甘寺坐」ってあるけどお寺の中にあったってこと?式内社としては珍しいね!
そうね。他にも石見国迩摩郡に「国分寺霹靂神社」があるけど、はっきりとお寺にあったとわかるのはそれくらいかしら。
トヨ姫

 

由緒

案内板

楢本神社 平群町梨本

 

地図

奈良県生駒郡平群町梨本

 

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