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畝火山口神社 (奈良県橿原市大谷町)

社号畝火山口神社
読みうねびやまぐち
通称
旧呼称畝火明神 等
鎮座地奈良県橿原市大谷町
旧国郡大和国高市郡大谷村
御祭神気長足姫命、豊受比売命、表筒男命
社格式内社、旧県社
例祭4月16日

 

畝火山口神社の概要

奈良県橿原市大谷町に鎮座する神社で、式内社「畝火山口坐神社」は当社に比定されています。

『延喜式』神名帳には大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。

 

『延喜式』神名帳の大和国・山城国には「○○山口(坐)神社」と称する神社が15社記載されており、その中の一つが当社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、他の「○○山口(坐)神社」と同様、水源となる山間の地に山の神を祀り国家的に管理・祭祀したものと考えられます。

「○○山口(坐)神社」は全て『延喜式』臨時祭の祈雨神祭八十五座に加えられており、このことからも「○○山口(坐)神社」が水を司る神として朝廷から重視されたことが窺えます。

『延喜式』祝詞の祈年祭に飛鳥、石村、忍坂、長谷、畝火、耳無の各山口神社はその山の木材を伐り出し宮殿とした旨が記されており、「○○山口(坐)神社」は用材の産地として樹木を守護する神でもあったことが考えられます。

特に当社は背後に聳える畝傍山を水源の地、また用材の産地としてその守護神たる山の神を祀ったものでしょう。

 

当社は大正以前には畝傍山の山頂に鎮座しており、現在もその跡地が残っています。

しかし江戸時代中期の地誌『大和志』には「昔畝火山腹にあり、今山頂に遷す」とあり、室町時代の文書である『和州五郡神社神名帳大略注解』(通称『五郡神社記』)には「畝火山西山尾」にあったと記されています。元々は畝傍山の西麓、つまり現在地と同じか近い場所にあったようです。

伝承では当地の豪族である越智氏が南方の貝吹山に築城した際に真北に神社を見下すのは畏れ多いとして山頂に遷座したと伝えられています。

しかし昭和十五年(1940年)の紀元2600年祭の一環で、橿原神宮や神武天皇を見下すのはこれまた神威をけがすとして現在地に遷座されました。この遷座は皇国史観に基づくものとはいえ、図らずも旧地、もしくは旧地に近い場所へ戻る形となりました。

このように当社はその時その時の神に対する認識の変化に応じて遷座を繰り返したことになります。

 

一方、「○○山口(坐)神社」の創建を飛鳥時代に遡ると見る場合、飛鳥京や藤原京から見れば畝傍山の東方こそが「山口」に相応しいとし、畝傍山の東麓、現在の畝傍町に鎮座する「東大谷日女命神社」こそが式内社「畝火山口坐神社」であるとする説もあります。

さらに、東大谷日女命神社の「東」とは「ヤマト」の意であり畝傍山の東麓である必要はなく、当社の鎮座する「大谷」こそが地名からしても妥当であるとも考えられ、当社は式内社「畝火山口坐神社」でなく式内社「東大谷日女命神社」とするのが妥当とする説もあります。

式内社「東大谷日女命神社」は桜井市山田にも論社があるため何とも言えませんが、畝傍町の「東大谷日女命神社」もまた山口神社らしさを備えており、その説も一定の説得力があります。少なくとも畝傍山の東西麓に神社があり、このいずれかが式内社「畝火山口坐神社」だったのでしょう。

 

当社の現在の御祭神は「気長足姫命」「豊受比売命」「表筒男命」の三柱です。

当社が式内社「畝火山口坐神社」であるなら本来の神は「大山祇神」であったはずです。境内社に「大山祇命神社」があり、案内板にもこちらが本来の御祭神だったものの境内社に遷して今の御祭神を祀ったのであろうとする旨が記されています。

現在の御祭神となった経緯は不明ですが、「表筒男命」に関しては畝傍山で行われる「埴使神事」が関係しているかもしれません。

これは大阪府大阪市住吉区住吉に鎮座する「住吉大社」の神事で、祈年祭や新嘗祭で用いる平瓮(神事で用いる土器)を作るために、畝傍山の山頂で埴土を採取するものです。

『日本書紀』の神武東征の段で、賊軍に阻まれた神武天皇が夢告により椎根津彦と弟猾に天香具山の土を採取させ、これで平瓮を作って丹生川上で神を祀ったことが記されており、「埴使神事」はこれを受けたものであることが指摘されています。

ただ、『日本書紀』では土を採取したのは天香具山であるのに何故「埴使神事」は畝傍山なのか、また何故住吉大社の神事となっているのかなど、釈然としない点も多くあります。

想像するならば、何らかの事情があって畝傍山と住吉大社が関わりを持ち、その縁で当社に「表筒男命」を、また住吉神と関係の深い「気長足姫命(神功皇后)」を勧請し主祭神としたのかもしれません。

 

境内の様子

畝火山口神社

当社は大谷町の集落の東方、畝傍山の西麓に鎮座しています。

境内入口には真っ赤な鳥居が西向きに建っています。

 

鳥居をくぐって少し進んだ様子。境内はかなり広め。

 

参道の左側(北側)に手水舎があります。

 

畝火山口神社

手水鉢と社殿は互いに向き合うような配置となっており、手水鉢の前から見るとちょうど正面奥の石段上に社殿が西向きに並んでいます。

 

畝火山口神社

畝火山口神社

参道を進み社殿前へ。

拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造で、鮮やかに朱塗りが施されています。基壇上に建ち、床の無い開放的な構造。屋根裏には扁額も多数掲げられています。

 

拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製のもの。

 

拝殿後方、少し土地の高くなった空間に本殿を囲う瑞垣が設けられています。

その中央には長い銅板葺・妻入切妻造の屋根が中門と一体的に設けられており、拝殿から続く屋根付き廊下のようになっています。

 

畝火山口神社 本殿

中門の長い屋根は瑞垣を突き抜けて本殿前にまで達しています。

本殿は銅板葺の三間社流造で、こちらも全体的に鮮やかな朱塗りが施されています。

 

道を戻ります。本社拝殿前の左側(北側)の空間に鳥居が建ち、その奥に境内社が南向きに多数配置されています。

 

これらの境内社の内、最も左側(西側)に鎮座する神社。社名・祭神は不明。

社殿は銅板葺の春日見世棚造。

 

右側(東側)に隣接して、中央には三社の相殿が鎮座しています。社殿は銅板葺の三間社流見世棚造で鮮やかな朱塗りとなっています。

祀られている神社は左側から順に次の通り。

  • 高良神社
  • 八幡神社
  • 嚴島神社

 

さらに隣接して、最も右側(東側)にも三社の相殿が鎮座しています。社殿は同様に銅板葺の三間社流見世棚造で鮮やかな朱塗り。

祀られている神社は左側から順に次の通り。

  • 春日神社
  • 埴安彦命神社
  • 大山祇命神社

この内の大山祇命神社は本来の本社御祭神で、こちらに遷して現在の御祭神が祀ったのであろうとする旨を案内板は記しています。

 

本社拝殿前の右側(南側)、境内社群と相対するように鳥居が建ち、その奥に玉垣で囲われて樹木が植えられています。

これは「祓戸大神」とされ、看板には「先づ手水をつかい心身を清めてこの大神様に私たちの罪穢を取除いていただく大神です」とあります。

奈良県の大規模な神社では参道上などに祓戸神が祀られ、本社参拝前に参拝することで穢れを祓い身を清める風習が見られます。当社でもこの「祓戸大神」がその役目を担っているのでしょう。

 

祓戸大神の左側(東側)に基壇があり、その上に二つの岩石が置かれています。右側のものは男根を、左側のものは女陰を模したいわゆる陰陽石です。

看板には子宝祈願の方法として、男子は向かって左側を、女子は向かって右側を、三回さすって祈願するよう記しています。

当社は応神天皇を生んだ気長足姫命(神功皇后)を祀っていることから安産の神としても信仰されており、恐らくそれに関連して奉納されたものでしょう。

 

陰陽石の左側(東側)、本社本殿の右側(南側)に神庫があります。銅板葺の妻入切妻造の建築。

 

畝傍山

当社の境内入口あたりから畝傍山へ登る登山道が整備されており、山頂まで行くことができます。低山であり、登山には軽装でも問題ありません。

畝傍山の山頂には石で囲われた区画があり、そこに建つ石碑には「畝火山口神社社殿跡」と刻まれています。

当社は昭和十五年(1940年)の紀元2600年祭に伴い現在地に遷座されましたが、それ以前はこの地に鎮座しており、現在もその跡地としてこの区画が残されています。

とはいえこの地も中世頃に畝傍山の西麓から遷座したものとされ、本来の鎮座地ではなかったようです。

 

当社社殿跡の手前右側(南東側)に基壇があり、その上に垣で囲われて数株の木が生えており、ここで住吉大社の「埴使神事」が行われるようです。(詳細は上の概要をご参照ください)

 

畝傍山の山頂は視界が開けており、奈良盆地を見渡すことができます。

上の写真は西方を眺めた様子。金剛山や葛城山といった山々や葛城地域がよく見えます。

 

上の写真は北東方向を眺めた様子。畝傍山と共に大和三山の一つとされる耳成山がちょうど正面に見えます。

 

畝傍山を西方から眺めた様子。馬の背のような山容は奈良盆地南部ではよく目立ち、大和三山の一つとして存在感を放っています。

奈良盆地南部に都を置いていた時代はこの山は特に気を掛けるべき存在だったことが偲ばれます。

 

タマ姫
今は山の麓にあるけど元々は山頂にあったんだ!
そうね。でもさらに古い時代には西側の麓にあったともされているから、もしかしたら元の地に戻った形になってるのかもしれないわね。
トヨ姫

 

由緒

案内板

式内大社 畝火山口神社

 

地図

奈良県橿原市大谷町

 

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