社号 | 大屋都姫神社 |
読み | おおやつひめ |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 和歌山県和歌山市宇田森 |
旧国郡 | 紀伊国名草郡宇田森 |
御祭神 | 大屋都姫命 |
社格 | 式内社、旧県社 |
例祭 | 10月21日 |
大屋都姫神社の概要
和歌山県和歌山市宇田森に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には名神大社に列せられ、古くは非常に有力な神社だったようです。
当社の御祭神「大屋都姫(オオヤツヒメ)命」とはイタケル、ツマツヒメと共にスサノオの子で、『日本書紀』神代記の第八段の一書④にはこの三兄妹が国内に樹木の種を蒔いて青山とした様子が記されています。
この三兄妹は木の神として信仰されており、イタケルは「伊太祁曽神社」(伊太祈曽地区に鎮座)、ツマツヒメは「都麻津姫神社」(吉礼地区と平尾地区に鎮座)、そしてオオヤツヒメは当社で祀られています。(ツマツヒメは禰宜地区の「高積神社」とする説もある)
元はこの三社の神は同所で祀られていたとされています。『続日本紀』大宝二年(702年)二月二十二日条には「伊太祈曽、大屋都比売、都麻都比売の三神社を分け遷す」とあり、この時に三社に分かれたことが示されています。
一方、「伊太祁曽神社」の社伝では元は秋月地区の「日前神宮・国懸神宮」の地に鎮座し、いつの頃か「亥の森」と呼ばれる地へ遷座、和銅六年(713年)に現在地に遷座したと伝えています。(上記『続日本紀』の記述から現在地の遷座は大宝二年(702年)とする説もある)
「亥の森」とは伊太祁曽神社の南東450mほどの地にある小さな森で、ここには現在は「三生(ミブ)神社」が鎮座し、今でも「五十猛命」「大屋津姫命」「都麻津姫命」の三柱を祀っています。
当社の神も「亥の森」までは他の二柱と共に祀られてきたのが大宝二年(702年)に分祀・遷座したものと見られます。
社伝によればこの時の遷座先は当地でなく、北方に隣接する北野地区の「古宮」なる地に鎮座したといい、いつの頃か現在地に遷ったと伝えられています。
なお、この「古宮」なる地の具体的な場所ははっきりしません。
イタケル、オオヤツヒメ、ツマツヒメが分けて祀られるようになった理由は不明ですが、『延喜式』神名帳では「伊太祁曾神社」「大屋都比賣神社」「都麻都比賣神社」が並んで記載されていること、またいずれも名神大社に列せられていることからその後も一体的に祀られたものと思われます。
現在「伊太祁曽神社」では「大屋都比売命」「都麻津比売命」を配祀しており、後世に当社および都麻津姫神社から再度勧請したものと見られています。
なお、この三神についての具体的な考察および奉斎氏族については「伊太祁曽神社」の記事を併せてご覧ください。
境内の様子
当社の参道はかなり変わっています。当社の社地は南北方向に細長い方形となっていますが、参道は社地の中心(やや南寄り)を東西に貫くように伸びています。
上の写真一枚目は西側入口、二枚目は東側入口の参道で、いずれの方向からでも参拝可能となっています。
東側入口から当社境内へ入る様子。鬱蒼とした境内を真横から入る形になります。
なお、当地の地名「宇田森」とは西部の「宇田」と東部の「森」がいつの頃か合併して成立した地名であるといい、「森」とは当社の森を指すと言われています。
ちなみに「宇田」は「大和宇田明神」が鎮座していたことに因むとされています。奈良県宇陀市の「宇太水分神社」を勧請していたのかもしれません。
この神社が現在どうなっているのかは不明。
東側から境内に入ってすぐ右側(北側)に手水舎が配置されています。
この東西に貫く参道の北側に真っ白な神明鳥居が南向きに建ち、その奥の鬱蒼とした森に埋もれるようにして社殿が南向きに並んでいます。
鳥居をくぐってすぐ正面に銅板葺の平入切妻造の中門(拝所)があり、ここで参拝する形になります。
左右は透塀で区切られており、奥の本殿等の建つ空間へ立ち入ることは出来ません。
拝所のすぐ奥には拝殿が建っています。見える限りでは構造がよくわかりません。
ネット上の写真を見る限りでは、背後の本殿に廻廊状の裳階が付き、それと一体になったもの(?)のようです。
本殿は手持ちの資料によれば「王子造」であるようです。王子造とは「恩智神社」(大阪府八尾市恩智中町に鎮座)の実例を見る限りでは春日造から庇を省略したものらしいですが、ネット上の写真では当社本殿はしっかりと庇が付いておりどう見ても春日造です。
本社本殿の左側(西側)に「都麻都姫命」を祀る境内社が南向きに鎮座。木々の間から辛うじて見えます。
社伝は銅板葺の一間社(隅木入?)春日造。
恐らく後世に「都麻津姫神社」(吉礼地区と平尾地区に鎮座)から勧請したものなのでしょう。
本社本殿の右側(東側)に「五十猛命」を祀る境内社が南向きに鎮座。こちらも木々や灯籠の間から辛うじて見えます。
社殿は銅板葺の一間社(隅木入?)春日造。
こちらは恐らく後世に「伊太祁曽神社」(伊太祈曽地区に鎮座)から勧請したものなのでしょう。
本社社殿から参道を挟んで南側、境内の南西部に「若宮神社」が東向きに鎮座。
縦に長い神明鳥居が建ち、その奥に祠を納めた覆屋が建っています。
境内南側は広場となっており、ベンチも配置され憩いの空間となっています。
当社の社地は決して狭いわけではありませんが、参拝客の立ち入れる空間が比較的狭いため小さな神社といった印象を抱きます。
由緒
案内板
御由緒 大屋都姫神社
地図
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