社号 | 津原神社 |
読み | つはら |
通称 | |
旧呼称 | 玉串明神 等 |
鎮座地 | 大阪府東大阪市花園本町 |
旧国郡 | 河内国河内郡市場村 |
御祭神 | 天児屋根命、玉櫛彦命、櫛玉命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月22日 |
式内社
津原神社の概要
大阪府東大阪市花園本町に鎮座する式内社です。
社伝によれば、昔当地付近に荒ぶる凶賊がおり、「天玉櫛彦命」がこれを鎮圧した功により朝廷より所領を賜り子孫が長く治めたと伝えています。
また社伝によれば当社の創建を次のように伝えています。
- 天平勝宝六年(780年)、河内郡は風水害が甚だしく村人が窮乏していた。
- 加美村の八幡宮の祝部に神託があり、「大和川の上流より橘の枝と櫛笥を流し、その櫛笥の流れ留まる地に神を祀れば風水害は鎮まる」と教えられた。
- その通りにしたところ、櫛笥が津原の池の澱みに留まったのでこの池の畔に社を建て神を祀ったところ風水害を受けることがなくなった。
これは大阪市平野区加美正覚寺に鎮座する「旭神社」の摂社「若宮八幡宮」に伝わる由緒に倣ったもののようで、櫛笥の流れ着いたところに当社を、橘の枝が流れ着いたところに「若宮八幡宮」を祀ったとしています。
当社の御祭神の「天児屋根命」「玉櫛彦命」「櫛玉命」はいずれも物部系の史書『先代旧事本紀』においてニギハヤヒの降臨の際に随伴した神として見えています。
しかしそれぞれ「中臣連」「間人連」「鴨県主」と全く別の氏族の祖神であり、当社に一同に祀られる必然性は乏しいと言わざるを得ません。
ただ中世には当地を「玉串荘」といい、これは「玉串明神」と呼ばれた当社に因むとされているため、「玉串」「玉櫛」の呼称もまた古いと思われます。
御祭神は後世の作為による付会の可能性がありますが、串、櫛は神の宿る依代となるもので、古くからこの地に神の祀られたことを感じさせられます。
社伝にもあるように当地は旧・大和川の澱みとなっていたようで、これが良い船溜まりとして「津原」の社名を冠したものと思われます。
現在も当社境内に「津原池」があり、かつて船溜まりとなっていた大和川の澱みの名残とも思われます。
そして当地の旧村名を「市場」と称したことからも、舟運を通して人々や物資の集まる交易の地だったことを反映した可能性が考えられます。
こうした中でこの船溜まりとなった澱みの畔に市場の守護神として、また川の水流の守護神として、また或いは農耕に必要な水を司る水神として祀られてきたのが当社だったのかもしれません。
境内の様子
当社の鳥居は境内の南方600mほど離れた地に南向きに建っています。この鳥居は元禄十二年(1699年)の奉納。
境内から鳥居までの道は馬場と呼ばれています。
鳥居の傍らには神輿台も設置されており、この地はお旅所としての機能もありそうです。
鳥居からまっすぐ道を進んでいくと当社の境内に至ります。
境内入口には灯籠や注連柱はあるものの鳥居は無く、鳥居の場所を知らなければ「この神社は鳥居が無いのかな?」と思ってしまうことでしょう。
注連柱をくぐって左側(西側)に手水舎があります。
入口からまっすぐ正面に進むと南向きの社殿が堂々と建っています。
拝殿は本瓦葺の平入入母屋造に千鳥破風と唐破風が付いたもので、やや豪華な印象を受けます。
吊り灯籠が廻らされているのもアクセントになっています。
拝殿前に配置されている狛犬。前掛けがとてもオシャレ。きっと氏子のお手製のものなのでしょう。
拝殿後方に建つ本殿は覆屋の中に納められています。実見できませんが、資料によれば春日造のようです。
当社には多くの境内社があります。境内左側(西側)から見ていきましょう。
本社本殿の左側(西側)に「若宮神社」が南向きに鎮座。御祭神は天児屋根命の御子神である「天押雲命」。
この神が本社の本来の祭神だとする説もあります。
鳥居が建ち、その後方に桟瓦葺の妻入入母屋造の社殿(覆屋?)が建っています。
若宮神社の手前側にも左右に向き合うように境内社が建っています。
左側(西側)には「一葉神社」(御祭神「秋葉山大権現」)が東向きに鎮座。
そして右側(東側)に「白峯神社」(御祭神「白峯大明神」)が西向きに鎮座しています。
いずれも社殿(覆屋?)は桟瓦葺の妻入切妻造。
さらに若宮神社の左側(西側)に八基の朱鳥居が建ち、その奥の覆屋に稲荷系の石碑が祀られています。
境内の本社本殿奥(北側)に「津原池」があり、旱魃の際はこの池で雨乞いをし、池の水を田に汲みだしたと言われています。
古くから神聖な池だったようで、農耕に必要な水を司る神としてこの池を祭祀したのが当社の初めだった可能性も考えられます。
また旧・大和川の澱みの跡とも考えられ、かつてこれが船溜まりとして人々や物資が集積し市場が成立したことも考えられます。
とすれば当社の神は市場の守護神、水流の守護神としての神格もあったのかもしれません。
池の東側の傍らに「水神社」が西向きに鎮座。御祭神は「八大龍王権現」。
津原池の「主」的な水神を祀っているのでしょうか。ただ、池を背にしたり池の中にあったりするわけでもなく、あまり水神的な祭祀形態ではありません。
社殿(覆屋?)は桟瓦葺の妻入切妻造。
本社拝殿の右側(東側)には「丸津田神」「道明大神」「石榎龍王」を相殿として祀っている境内社が西向きに鎮座。
いずれも聞きなれない神名ですがどのような神なのでしょうか。
梁間方向にやや長い妻入切妻造の覆屋の中に社殿が納められています。
本社拝殿の手前右側(東側)には左から「八幡神社」「稲荷神社」そして同じく「稲荷神社」が相殿となって境内社が西向きに鎮座。近隣から合祀されたのでしょうか。
桟瓦葺の平入切妻造の覆屋にそれぞれ社殿が納められています。
由緒
案内板
津原神社の由緒
『河内名所図会』
地図