社号 | 井関三神社 |
読み | いせきさん |
通称 | |
旧呼称 | 三社大明神 等 |
鎮座地 | 兵庫県たつの市揖西町中垣内 |
旧国郡 | 播磨国揖西郡中垣内村 |
御祭神 | 天照国照彦火明櫛玉饒速日命、瀬織津比咩命、建御名方命、武甕槌命 |
社格 | 式内論社、旧郷社 |
例祭 | 10月10日 |
井関三神社の概要
兵庫県たつの市揖西町中垣内に鎮座する神社です。式内社「粒坐天照神社」の論社の一つとなっています。
社伝によれば、当社の北方約2.4kmほどのところにある「亀山(キノヤマ)」に「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」を道主命に勅してが祀ったのが創建であり、その後現在地に遷座したと伝えられています。
亀山には別に「武甕槌命」が祀られていたといい、現在も亀山の北方に当社の奥宮があり同神を祀っています。この奥宮には岩石があり磐座として祭祀しているようです。(未訪)
亀山から現在地へ神を遷座した年代や経緯ははっきりしないものの、「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」のみを現在地へ遷したようで、弘治元年(1555年)に当地の庄屋である八瀬氏が京都より「瀬織津比咩命」を勧請、その後寛文十二年(1672年)に龍野城に入封した脇坂安政が転封前に治めていた信州より諏訪神である「建御名方命」を勧請し、「三社大明神」と称したと言われています。
当社の主祭神である「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」とは物部系の史書『先代旧事本紀』に登場する神で、物部氏の祖「饒速日命」と尾張氏の祖「天火明命」を同一視したものです。
これは物部氏が尾張氏との連携を図って政治的に作為したものと考えられ、本来は「饒速日命」と「天火明命」は別々の神です。
社伝を見る限りでは勅により当社を祀ったのは四道将軍の一人であり開化天皇の孫にあたる(丹波)道主命とあり、物部氏や尾張氏の存在は特に見出せません。
ただ、『三代実録』貞観四年(862年)六月十五日条に、播磨国揖保郡の人である伊福貞を本姓の五百木部連に復した旨を記しています。この五百木部氏(伊福部氏)は「天火明命」もしくは「饒速日命」を祖とする氏族で、この氏族が当社の祭祀に関わっていた可能性は考えられます。
当社が式内論社であることについて、江戸時代中期の国学者・度会延経が著した『神名帳考証』は式内社「粒坐天照神社」について揖東郡井関村の伊勢宮ではないかと記しています。
揖東郡には井関村なる地名は確認できず、或いは揖西郡に属していた当地を誤って記したものである可能性があります。ただ当社が伊勢宮と呼ばれていた痕跡も無く、全く要領の得ない記述となっています。
恐らく何らかの手違いが修正されないまま記述されたと思われ、この時点で当社が式内社と考えられたのかどうかはっきりしません。
とはいえもし当社が古くから「天照国照彦火明櫛玉饒早日命」を祀っていたとすれば、式内社「粒坐天照神社」の「天照」が天照大神でなく「アマテル」と読むと考えられる(詳細は「粒坐天照神社」(龍野町日山)の記事を参照)ことから、式内社「粒坐天照神社」が当社であった可能性は考えられることでしょう。
なお、当地に関連する水争いの説話として『播磨国風土記』に次のような記事が記されています。
『播磨国風土記』(大意)
出水(イヅミ)里はこの地に清水が出るため名付けた。
ここに美奈志(ミナシ)川があり、その由来は次の通りである。
伊和大神の子の石龍彦命とその妹の石龍姫命は川の利水で争い、兄神は北方の越部村へ流そうと思い、妹神は南方の泉村へ流そうと思っていた。
兄神は山の峰を踏んで水を流し、これを見た妹神は対抗して櫛を挿して水を塞ぎ、峰の辺りに溝を開き泉村へ流した。これに対して兄神は泉村の川の流れを奪って西方の桑原村へ流した。
妹神はこれを許さず、密樋(=地下を流れる水路)を作って泉村の田のある方へと流し出した。このために川の水は絶えて流れず、故に「無水(ミナシ)川」と名付けた。
ここにおける美奈志川=無水川とは当社の社前を流れる中垣内川に比定されています。
『角川地名大辞典』によればこの説話は中垣内川の自然状態をよく組み込んでいるといい、亀の池を源流とする中垣内川が当社奥宮の北方の峰で侵食による河川争奪を受けて北方へ流れたので石垣を築き溝を掘って防いだといい、また密樋はこの地が扇状地を形成しているため伏流水となっている様子を示しているとしています。
出水里=泉村の地名も、この扇状地の扇端から水が湧き出した様子を示したもので、現在の清水地区付近に比定されています。(詳細は「祝田神社」の記事を参照)
当社の社名の「井関」も上記の説話に基づくものであることが考えられ、石垣を築き溝を掘って川の流れを制御したこと、或いは伏流水によって田畑を灌漑したことを示したものと思われます。
とすれば当社の神は水流の安寧を司る水神として、また田畑を潤して豊穣を司る豊穣神としての神格もあったのかもしれません。
境内の様子
当社は中垣内地区に舌状に突き出た丘の南麓に鎮座しています。
境内の手前側には鳥居が南東向きに建っています。
鳥居をくぐって参道を進むと玉垣で囲われた境内があり、入口には石段が設けられています。
石段を上って左側(南西側)に手水舎が建っており、手水鉢と井戸が設けられています。
正面奥には社殿が南東向きに並んでいます。なお、奥宮のある亀山とは全く異なる方向となっています。
手前側には本瓦葺の平入入母屋造に唐破風の付いた割拝殿が建っています。
割拝殿の手前左右によくわからない基壇があります。詳細不明。元々何かが設置されていたのかもしれません。
割拝殿前に配置されている狛犬。目がギョロッとした特徴的な顔つき。
割拝殿の通路の様子。鈴の緒と賽銭箱はこちらに設置されており、珍しくきちんと拝殿として機能しています。
屋根裏には多くの絵馬も掲げられています。
通路をくぐると石段の上に割拝殿とはまた別に拝殿が建っています。
こちらの拝殿は本瓦葺の妻入入母屋造で、左右に庇が伸びて部屋が設けられています。
拝殿後方に建つ本殿は銅板葺の三間社入母屋造。
本社社殿の左側(南西側)に「金刀比羅宮」が南東向きに鎮座。御祭神は「大物主命」「崇徳院」。
社殿は本瓦葺の平入切妻造の拝殿と本瓦葺の一間社流造の本殿で構成されており、他の境内社と一線を画する厚遇となっています。
本社社殿の右側(北東側)のやや小高いところにも境内社が三社ほど鎮座しています。
これらの内、最も手前側(南西側)に「稲荷神社」が南東向きに鎮座。御祭神は「宇気持神」。
社殿は銅板葺の一間社流造。
稲荷神社の右側(北東側)に隣接して「荒神社」が南東向きに鎮座。御祭神は「須盞之男命」。
社殿は稲荷神社と同規格の銅板葺の一間社流造。
荒神社の右奥(北側)、やや小高くなったところに「天満神社」が南東向きに鎮座。御祭神は「菅原道真公」。
社殿は銅板葺の一間社流造。
当社の鳥居の手前側にも灯籠の並ぶ参道が伸びています。10月初旬の訪問時にはこの参道の左右にヒガンバナの花が咲き誇っており、非常に美しい光景が見られました。
由緒
案内板
井関三神社由緒記
地図
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