社号 | 大津神社 |
読み | おおつ |
通称 | 津萬の厄神さん 等 |
旧呼称 | |
鎮座地 | 兵庫県西脇市嶋 |
旧国郡 | 播磨国多可郡島村 |
御祭神 | 大津乃命、品蛇別命、気長足姫命 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 10月第2日曜日 |
大津神社の概要
兵庫県西脇市嶋に鎮座する神社で、式内社「大津乃命神社」は当社とされています。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
一説には天平年間(729年~749年)の創建ともいい、寺内地区の氏神山(北西の山か?)の巨岩の洞窟から神霊が降臨して現在地に社殿が築かれたとする伝承もあるようです。
その他の伝承や記録は乏しく、当社の由緒や来歴を明らかにするのは困難となっています。
式内社「大津乃命神社」について、社名に「命」と付いていることから「大津乃命」は神名と捉えるべきでしょう。前に記される「加都良乃命神社」(論社は多可町中区間子の加都良神社)も同様の記法であることからこの二社は対になっているのかもしれません。
しかしそうだとして「大津乃命」なる神がいかなる神格であるかは不明です。
加古川の舟運の港があったことからその名が付けられたことも考えられるかもしれません。
なお式内社「大津乃命神社」は江戸時代には所在不明となっており、明治以降に当社に比定されたようですがその根拠ははっきりしません。
現在の当社の御祭神は「大津乃命」「品蛇別命」「気長足姫命」の三柱。
「大津乃命」は恐らく式内社に比定された後に『延喜式』神名帳の表記に従って新たに祀られたものと思わます。
残りの二柱はいわゆる八幡神で、管見では記録を確認できないでいるものの元は八幡信仰の神社だったのかもしれません。(案内板は『播磨国風土記』を引き合いに出しているが恐らく無関係であろう)
境内の様子
当社は嶋地区の集落内に鎮座しています。
境内は玉垣で囲われ、入口には両部鳥居が東向きに建っています。
両部鳥居をくぐると正面奥に随身門が東向きに建っています。
随身門の形式は桟瓦葺の平入切妻造の八脚門。
随身門の左右の部屋に安置されている随身像。
正面を向く正面型の配置です。
随身門をくぐって右側(北側)に手水舎が建っており、手水鉢と井戸が配されています。
境内の正面奥に社殿が東向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造。拝所は手前一間分のみ凹部があり割拝殿のような構造となっています。
拝殿前に配置されている狛犬。
拝殿後方には銅板葺の妻入入母屋造(背面は切妻造)の幣殿が建っており拝殿と接続しています。
直線的なデザインの中、側面上部の段違いに設けられた三本の虹梁が印象的。
幣殿後方に建つ本殿は銅板葺の三間社流造に千鳥破風と軒唐破風の付いたもの。
本社本殿の左側(南側)に「東照宮」が東向きに鎮座。御祭神は「徳川家康公」。
鳥居が建ち、奥に銅板葺の一間社流造の社殿が建っています。
反対側、本社本殿の右側(北側)に「高良神社」が東向きに鎮座。御祭神は「高良玉垂命」。
同様に鳥居が建ち、奥に一間社流造の社殿が建っています。
高良神社の後方(西側)に「稲荷神社」が東向きに鎮座。御祭神は「稲荷神」。
鳥居が建ち、後方に玉垣に囲われて小型の銅板葺一間社流造の社殿が建っています。
高良神社の手前側(東側)、本社本殿の右側(北側)に「祇園神社」が南向きに鎮座。四社の相殿で、「金比羅大神」「祇園大神」「皇大神宮」「愛宕大神」を祀っています。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
拝殿手前右側(北側)には桟瓦葺の平入切妻造の舞台が建っています。舞台は西播磨地域に多いのに対し、加古川流域では能舞台が多く分布するため、加古川沿いの当地に舞台があるのはやや珍しい例です。
参道を挟んで舞台の向かい側には土俵が設置されています。
芸能や相撲などがこの神社で行われ民衆の娯楽となっていたことが想像されます。
由緒
案内板
式内社 大津神社
地図