社号 | 加都良神社 |
読み | かつら |
通称 | |
旧呼称 | 勝手大明神 等 |
鎮座地 | 兵庫県多可郡多可町中区間子 |
旧国郡 | 播磨国多可郡間子村 |
御祭神 | 加都良之命、高皇産霊命、天忍穗耳命 等 |
社格 | 式内社 |
例祭 | 10月10日 |
加都良神社の概要
兵庫県多可郡多可町中区間子に鎮座する神社で、式内社「加都良乃命神社」は当社とされています。
当社は江戸時代以前は「勝手大明神」と呼ばれ、社伝によれば天平元年(729年)に大和国の袖振山から「勝手神社」(奈良県吉野町吉野山に鎮座)の神を勧請したと伝えられています。
式内社「加都良乃命神社」は江戸時代には所在不明となっており、恐らく吉野の勝手神社の神をかつて「愛鬘(ウケノリ)命」と称したことから、鬘の字がカツラに通じるとして明治以降に当社が式内社とされたのでしょう。
また『倭名類聚抄』播磨国多可郡に「蔓田郷」が見え、或いはこれが式内社「加都良乃命神社」と関係がある可能性も考えられるものの、その比定地は野間川流域(現在の多可町南西部~西脇市西部)で当地は含みません(ただし諸説あり)。
こうしたことから式内社「加都良乃命神社」が当社であるとする根拠は弱いものとなっています。
式内社「加都良乃命神社」について、社名に「命」と付いていることから「加都良乃命」は神名と捉えるべきでしょう。次に記される「大津乃命神社」(論社は西脇市嶋の「大津神社」)もまた同様の記法であることからこの二社は対になっているのかもしれません。
しかしそうだとして「加都良乃命」なる神がいかなる神格であるかは不明です。
或いは『新撰姓氏録』に見える「縵連」(大和国諸蕃、百済人狛の出自)と関係する、また或いは物部系の史書『先代旧事本紀』に見える物部系氏族「奄智縵連」「三川縵連」「磯城縵連」「比尼縵連」と関係する等の可能性が考えられるかもしれません。
河内国若江郡の式内社に「加津良神社」(大阪府八尾市萱振町に鎮座)があり、これが当社と関係する可能性もあります。
しかしいずれにしても式内社「加都良乃命神社」についてはっきりしていることは殆どありません。
現在の当社の御祭神は「加都良之命」「高皇産霊命」「天忍穗耳命」の三柱。
天忍穗耳命は、現在の吉野の勝手神社の御祭神が同神であることからそれに倣ったものと思われます。
境内の様子
当社は間子(マコウ)地区の東側、山の麓に沿って流れる思出川の左岸側に鎮座しています。
鳥居は川の手前側に西向きに建っています。
社前を思出川が流れており、境内へは社前に架かる加津良橋を渡ることになります。
加津良橋を渡ると広い境内となっており、正面には随身門が西向きに建っています。
随身門の形式は桟瓦葺の平入切妻造で主柱の無い八脚門。
随身門の左右の部屋に随身像が安置されています。互いを向き合う対面型。
随身門をくぐると正面に社殿が西向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の平入入母屋造。
拝殿前に配置されている狛犬。
拝殿後方に銅板葺の妻入切妻造の幣殿が建っており、拝殿と接続しています。
幣殿後方には銅板葺の神明造の本殿が建っています。
当地周辺で本社本殿に神明造を採用するのは珍しい例です。
本社本殿の左側(北側)に四社の境内社が西向きに並んでいます。本社本殿に近い側から見ていきます。
最も本社本殿に近い側(南側)に「大國主神社」「天目一神社」の相殿が鎮座。社名を示す札には後者に「式内」とあります。西脇市大木町新田の「天目一神社」からの勧請かと思われるものの、こちらを式内論社とする説もあるのかもしれません。
社殿は銅板葺の春日見世棚造。
上記の相殿の左側(北側)に「八柱大神社」が鎮座。
社殿は銅板葺の神明造風の流見世棚造。
八柱大神社の左側(北側)に鎮座する神社。社名を示す札には「天照皇大…」と記されており、下部は掠れて読めません。下部の余白の大きさから豊受神宮も相殿としているのかもしれません。
社殿は銅板葺の一間社春日造。本社本殿が神明造なのにこちらが春日造なのはちぐはぐな印象もあります。
上記境内社の左側(北側)に「八幡神社」が鎮座。
社殿は銅板葺の神明造風の流見世棚造。
北側から境内全体を見た様子。
境内の隅には木や岩石に注連縄が掛けられていました。
当社境内から思出川へと下りられる石段が設けられています。かつてはここで禊が行われていたのかもしれません。
由緒
案内板
加都良神社
地図
関係する寺社等
加津良神社 (大阪府八尾市萱振町)
社号 加津良神社 読み かつら 通称 旧呼称 牛頭天王社 鎮座地 大阪府八尾市萱振町 旧国郡 河内国若江郡萱振村 御祭神 素盞鳴命 社格 式内社、旧村社 例祭 10月15日 式内社 河内國若江郡 加津 ...
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