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林神社 (兵庫県明石市宮の上)

社号林神社
読みはやし
通称
旧呼称上宮五社大明神 等
鎮座地兵庫県明石市宮の上
旧国郡播磨国明石郡林村
御祭神少童海神
社格旧県社
例祭10月15日に近い日曜日

 

林神社の概要

兵庫県明石市宮の上に鎮座する式内社です。

社伝によれば、古く海浜の赤石に「少童海(ワタツミ)神」が顕れ、成務天皇八年八月にその赤石が波のために海中に没したため、翌九年に高台のこの地に社殿を建てて同神を祀ったと伝えられています。

ここにいう「赤石」とは当社西方の浜から沖へ20mほどのところの海底にある1.5mほどの赤い石で、かつては大潮の干潮の際には姿を見せていたと言われています。

現在は地上から見えることは無いようですが、ダイバーによってこれが現存していることが確認されています。

この「赤石」は「明石」の地名の由来になったとも言われています。(なお『明石市史』は「明石」の由来を「赤磯」とし、「赤石」説は付会であろうとする)

これに関連し、明石と小豆島の間には「鹿の背」と呼ばれる浅瀬があり、漁業関係者や釣り人の間ではよく知られています。

伝承では明石には「オササ」もしくは「オササオ」という名の雌鹿が、小豆島には雄鹿が住み、雌鹿がこの「鹿の背」を通って小豆島へ通い夫婦の契りを結んでいたものの、その鹿が矢で射られたため石が血で染まって「赤石」となったとも伝えられています。

(なお別の伝承では、小豆島へ渡る、もしくは明石へ戻る漁師が、僧侶もしくは美しい美女に一緒に船に乗せて欲しいと乞われ、船に乗った僧侶 or 美女が寝たところ鹿になったので四つ脚を忌む漁師はその鹿を殺してしまった、とも伝えられる。)

 

当社と海の関係

また上記社伝の「少童海神」とは海神(綿津見神)のことで、現在も当社の主祭神となっています。

他に当社では「彦火々出見命」「豊玉姫命」「葺不合尊」「玉依姫命」「御崎大神」を配祀しています。

配祀神の内「御崎大神」は明治年間に近隣の神社から合祀した神ですが、他は全て海に関する神で、いずれも記紀で山幸彦(彦火々出見命)が海宮を訪問する「海幸山幸」の神話に登場する神です。

当社は江戸時代以前は「上宮五社大明神」と呼ばれ、「五社」とは上記祭神の内「御崎大神」を除く五柱の神を指したものでしょう。

ただし石碑によれば「彦火々出見命」以下三神は寛弘二年(1005年)に合祀したもののようです。

上記社伝からしても当社は極めて海洋的要素の強い神社であるといえ、現在の当地は海岸からやや離れているものの、かつては高台となっている社地の麓にまで海が迫っていたとも言われています。

漁撈や海運など海を舞台に活躍した人々が当地に居住し、海の神を祀ったのが当社だったのかもしれません。

明石郡内には神戸市垂水区宮本町に「海神社」が鎮座しており、明石海峡を支配した海人族が奉斎したことが考えられます。

或いは彼ら明石海峡を支配した海人族の西側の拠点が当地だったのかもしれません。

上記の「鹿の背」の伝承からは、「鹿の背」における漁業権を持ち小豆島との交通を担っていた人々の存在も示唆されています。

こうした海人らを統率していたのが海神である「綿津見命」を祖とする「安曇氏」であり、当社の具体的な奉斎氏族として考え得る存在と言えるでしょう。

 

大伴氏の一族「林氏」

一方、当社の社名・地名から大伴氏の一族である「林氏」が当地に居住し当社を奉斎したとする説もあります。

『新撰姓氏録』河内国神別に大伴宿禰同祖、室屋大連公の子、御物宿禰の後である「林宿禰」を登載しています。

この氏族を祀るとする説は江戸時代の国学者・度会延経が『神名帳考証』で主張して以降いくつかの文献も支持しています。

可能性の一つとして参考にすべき見解でしょう。

 

伝説の海人「男狭磯」

その他、当社境内には「男左磁社」が鎮座しており、伝説の海人「男狭磯(オサシ)」を祀っています。

この人物は『日本書紀』允恭十四年九月十二日条に登場し、次のように記されています。

  • 天皇が淡路島で狩猟したが獲物を得ることができず、占ってみると島の神の祟りであり、「明石の海底の真珠を供えたら獲物が獲れるであろう」と告げた。
  • そこで白水郎(=海人)を集めて海底を探らせたところ誰も底まで潜れなかったが、ただ一人、阿波の「男狭磯」という海人が海底で大きな鮑を抱いて浮上し、そのまま息絶えてしまった。
  • 鮑を割いてみると桃の実ほどの大きさの真珠があり、これを島の神に祀ると多くの獲物を獲ることができた。
  • 天皇は男狭磯の死を悲しみ、墓を築いて厚く葬った。

この男狭磯の墓がどこであるかははっきりしないものの、淡路市の「石の寝屋古墳」、徳島県鳴門市里浦の「十二神社」境内の塚などが伝承地となっています。

当社近隣に鎮座する「貴崎神社」でも「男狭磯」を祀っており、当地でもゆかりの人物として信仰されているようです。

 

「立石」の伝承

また、当社の東方に「立石の井」と呼ばれる井戸があり、これについて次のような伝承があります。

  • 昔、当地近隣の岸崎に「西窓后」「東窓后」なる二人の后がいたが、海中の大タコがこの二人を狙っていた。
  • 二見の武士「浮須三郎左衛門」がこの大タコを退治しようとしたところ、大タコは山伏となり松江村へと逃げた。
  • 三郎左衛門は当社東方の小谷で追いつき、山伏と化けた大タコを四つに断ち斬り、石となったのが今の立石である。
  • いつしか石の下からきれいな清水が湧き出るようになり「立石の井」と言われるようになった。

明石では弥生時代の蛸壺が出土しており、非常に古くから蛸壺漁が行われ、今では「明石タコ」としてブランド化しており非常に有名です。

古くは明石におけるタコも海神、あるいはその使いとして神聖視されていたのがいつしか零落し、退治される物語となっていったのかもしれません。

ただ、海の怪物である大タコが当地で退治されたことは、やはり当社が海と関わりの深いことが示されていると言えそうです。

 

境内の様子

林神社 明石市

当社は明石川の形成した段丘の上に鎮座しています。

段丘の麓に境内入口があり、鳥居が南向きに建っています。

 

鳥居の先の石段を上って右側(東側)に手水舎が建っています。

 

林神社 明石市

林神社 明石市

石段上の段丘面は非常に広く平らな空間となっており、まっすぐ伸びた石畳の奥に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造に唐破風の向拝の付いたもの。

拝殿前は玉垣によって仕切が設けられており、この右側(東側)に聳える桜の木は花が咲く頃は非常に美しく社殿を彩ります。

 

拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製です。

 

拝殿後方は松などの木々が生い茂って見えにくいものの、銅板葺の一間社流造の本殿が建っています。

 

拝殿前の桜は非常に美しいもの。この桜は比較的咲くのが遅く、見頃はソメイヨシノより一週間ほど遅い印象です。

 

境内社等

本社社殿の左側(西側)に、木々に埋もれるようにして三社の境内社が東向きに鎮座しています。

これらは左側(南側)から順に「龍田社」「男左磁社」「猿田彦社」。この内の「男左磁社」については上記概要に記した通り。

社殿はいずれも銅板葺の流見世棚造。

 

また、表参道となる石段の左側(西側)に脇参道となる石段があり、この途中にも境内社が鎮座しています。

 

これらの内、最も左側(西側)に「三笠稲荷社」が南向きに鎮座。

朱鳥居が建ち、奥に銅板葺の妻入切妻造に朱塗りが施された社殿が建っています。

 

三笠稲荷社からさらに右側(東側)へ石段を少し上ったところに「貴船社」が南向きに鎮座。

社殿は銅板葺の流見世棚造。

 

貴船社の右側(東側)に隣接して南向きに建つ境内社。社名・祭神は不明。

社殿は鉄板葺の流見世棚造。

 

上記二社の手前側にはコンクリ製(?)の小祠があり、傍らの石碑には「八禮大明神」と刻まれています。

 

当社周辺の様子

当社の鳥居から右側(東側)へ進んだところに「立石の井」と呼ばれる井戸があります。

これについての伝承は上記概要を参照。

立石の下から清水が湧き出たと伝えられているものの、どの辺りが「立石」なのかはよくわかりませんでした。

案内板

立石の碑

この「立石の井」の場所は非常にわかりにくいので以下にGoogleマップを貼り付けておきます。

 

当社の西方1kmほどの海岸に、当社の神が顕れたという「赤石」を顕彰した岩石のモニュメントが設置されています。

上記概要の「鹿の背」の伝承に因み、岩石には雌雄の鹿を刻んだプレートが埋め込まれています。

案内板

赤石のいわれ

 

モニュメントの辺りから海を見た様子。ここから20mほど沖の海底に「赤石」があるようです。

海の向こうには淡路島が見え、当地付近は重要な漁港にもなっています。

恐らく古くから海を舞台に活躍した人々が住み、海神を信仰したのでしょう。

 

タマ姫
へー、明石の由来って海にある赤い石なんだ!
あくまで伝承の一つだけれどね。恐らく海人たちがここに住んで海の神様を祀ったんじゃないかしら。
トヨ姫

 

御朱印

 

由緒

石碑

當社由緒

 

地図

兵庫県明石市宮の上

 

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