社号 | 岩屋神社 |
読み | いわや |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 兵庫県明石市材木町 |
旧国郡 | 播磨国明石郡中庄町 |
御祭神 | 伊弉諾尊、伊弉冊尊、大日靈尊、月讀尊、蛭子尊、素盞嗚尊 |
社格 | 式内論社、旧県社 |
例祭 | 10月第2日曜日 |
岩屋神社の概要
兵庫県明石市材木町に鎮座する神社です。式内社「伊和都比賣神社」及び式内社「彌賀多多神社」を当社に比定する説があります。
社伝によれば、成務天皇十三年六月十五日に当地の対岸、淡路島の岩屋より神を勧請したのが当社であると伝えられています。
その様子は詳細に伝えられており、江戸時代の地誌『播磨鑑』によれば次のように記しています。
- 願主二人が四人の水主と船二艘で淡路島へ渡り、神霊を船に遷した。
- 明石へ戻る際、八百潮早く浜に着けることができなかったので西方の林崎の岸崎前の海中にある赤石の辺りで夜を明かした。
- 翌朝、風波も静かになったので今の地に鎮座した。
- この時浦人六人で遷宮が行われ、六艘の船で遷し奉った。また明石から迎船が二艘、淡路島から送船が一艘あり、合わせて九艘が着いた。今、社前の浜を九艘浜と呼ぶのはこのためである。この時の総数十二人は例年正月の頭人である。
ここでいう「赤石」とは当社の西方約3kmの浜から沖に20mほどの海中にあるという岩石で、「明石」の語源になったともいい、「林神社」(宮の上に鎮座)の神が顕れたとも伝えられています。(詳細は「林神社」の記事を参照)
また、淡路市岩屋には「石屋神社」が鎮座しており、この神社が勧請元であるとも言われています。
さらに当社では上記の由緒に基づき「おしゃたか舟神事」と呼ばれる特殊神事が行われています。これは氏子の青年らが2mほどの小船を持って海を泳ぎ、「オシャタカー」と唱えながら500mほど先の沖へ押し進めるもの。「おしゃたか」とは「(神様が)おいでになったか」の意。
往時は岩屋まで行われていたようですが、現在は漁船で小船を引き上げ、林崎の松江海岸(赤石の辺り)まで渡御しているようです。
この神事は明石市指定無形民俗文化財となっています。
明石の港に鎮座する当社は当地の漁民からはもちろん、江戸時代には明石城の鎮守として藩主からも篤い崇敬を受けました。
現在の御祭神は「伊弉諾尊」「伊弉冊尊」「大日靈尊」「月讀尊」「蛭子尊」「素盞嗚尊」の六柱。『播磨鑑』にも同神が記されており、御祭神は江戸時代から変わっていないようです。
また江戸時代の国学者・度会延経は著書『神名帳考証』で式内社「伊和都比賣神社」を当社に比定し、これに対して江戸時代の地誌『播磨名所巡覧図会』は式内社「彌賀多多神社」を当社に比定しています。
前者は「岩屋」の社名からの連想(ただし岩はイワでなくイハである点に注意)と思われますが、後者はどのような根拠で比定したのかはっきりしません。
その後の文献では概ね前者を支持する見解が多いものの、根拠が薄いことには変わりなく、はっきりとは断言できないのが正直なところでしょう。
とはいえ当社は明石郡内でも有数の古社として認識されており、現在も当地の漁業関係者はじめ多くの人々から崇敬を集めています。
境内の様子
当社は明石港のすぐ近隣に鎮座しています。
境内入口には注連柱が建っているものの鳥居はありません。
『播磨鑑』には浜辺に石鳥居があると記しており、『播磨名所巡覧図会』の挿絵にもその様子が描かれているものの、現在は鳥居の無い神社となっています。
当社は御祭神に「蛭子尊」が含まれることに加え、漁業関係者からの崇敬が篤いことから、入口の脇にはエビス像が配されています。
注連柱をくぐってすぐ右側(東側)に手水舎が建っています。
注連柱から石畳がまっすぐ伸び、正面奥に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の平入入母屋造に唐破風の向拝と千鳥破風の付いたもの。
拝殿後方に塀に囲われて幣殿、本殿と並んでいます。本殿は銅板葺の二間社流造。
境内社等
本社拝殿前の左側(西側)に二社の境内社が東向きに鎮座。
これらの内、左側(南側)が「稲荷社」、右側(北側)が「八幡社」。
一つの朱鳥居と基壇を共有し、社殿はいずれも銅板葺の一間社流造。稲荷社にのみ千鳥破風が付いています。
上記二社の右側(北側)に二間社流見世棚造の社殿が東向きに建っています。
社名・祭神は不明。コンクリートブロックの上に建っていることから仮置きといった雰囲気で、祭祀されているのかどうかも不明。
上記の境内社(?)の右側(北側)に境内社が東向きに鎮座。社名・祭神は不明。社殿は石製の流造。
この境内社のすぐ右側(北側)に何故か玉垣に張り付くように朱鳥居が建っています。何のためのものか不明。
境内の北西隅に境内社が南向きに鎮座。社名・祭神は不明。
社殿は銅板葺の一間社流造に千鳥破風の付いたもので、玉垣に囲われて建ち、木製灯籠も設けられています。
本社本殿の背後(北側)に七社の相殿が南向きに鎮座。
祀られているのは左側(西側)から順に「隋神社」、「水分神社」、「粟島神社」、「竈神社」、「八幡神社」、「住吉神社」、「弓洲恵神社」。
社殿は銅板葺の七間社流見世棚造。
境内周辺の様子
当社周辺は明石港となっており、関西有数の漁業基地となっています。
かつてはこの辺りは浜辺となっており、上述のように当社の鳥居が建っていたようです。
港の南東隅には古い石造の灯台が建っており、「波門崎燈籠堂」と呼ばれています。
明暦三年(1657年)に明石藩主の松平忠国によって灯台が建立されたといい、その後改修されて昭和三十八年(1963年)まで使われていました。
現存する灯台としては(設置時期基準で)二番目に古いものであるといい、現在は国登録有形文化財となっています。
案内板
明石港旧灯台の沿革
波門崎燈籠堂の辺りから明石海峡を見た様子。
この海峡の対岸にある淡路島の岩屋から当社の神が遷されたのが当社であると伝えられています。


御朱印
由緒
案内板
式内社 岩屋神社(元県社)
地図
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