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伊佐具神社 (兵庫県尼崎市上坂部)

社号 伊佐具神社
読み いさぐ
通称
旧呼称 稲荷明神 等
鎮座地 兵庫県尼崎市上坂部3丁目
旧国郡 摂津国川辺郡上坂部村
御祭神 五十狭城入彦尊
社格 式内社、旧郷社
例祭 10月22日

 

伊佐具神社の概要

兵庫県尼崎市上坂部3丁目に鎮座する式内社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありません。

『延喜式』玄蕃寮には、新羅からの使節が来朝した際に供する酒の原料となる稲を12の神社から集めたことが記されていますが、当社はその中の一社に選ばれています。当社などから集められた稲は「中臣住道神社」へ送られ醸造されたようです。

これら酒の原料となる稲を集めた神社は畿内の比較的有力な神社が選ばれています。その中に当社が選ばれているのは、朝廷から当社の祭祀が重視されたことを示しているのかもしれません。

事実、『延喜式』神名帳には摂津国川辺郡で唯一「鍬靫」を受ける神社として記載されています。ただし大社ではないので、古代における当社の立ち位置を評価することは難しそうです。

 

当社の鎮座地の地名「上坂部」から、当社を奉斎したのは坂合部氏とする説があります。『新撰姓氏録』摂津国皇別に大彦命の後裔である「坂合部」が登載されており、允恭天皇の御代に国境の標を立てたことから坂合部連の姓を授かったことが記されています。

このことから「坂合」とは「境」の意であると推測され、坂合部氏は境界の画定に携わった氏族であることが考えられます。ただし、当地といい、河内国若江郡(大阪府八尾市)の「阪合神社」といい、坂合部氏との関係の考えられる式内社は何らかの境界であると直ちに考えにくいような地であることは気になるところです。

別の説では、上記の酒の原料となる稲を提供した神社であることから、当社を奉斎した氏族を酒造関係の氏族と見て「酒部」としたとも言われています。

しかし当社の南方に見える「久々知」の地名は坂合部氏と同じく大彦命の子孫である「久々智氏」に因むとも考えられ、やはり当地付近は坂合部氏と併せて大彦命の子孫の地であると見るべきでしょう。

 

一方、当社の御祭神は「五十狭城入彦尊」です。元々当社は稲荷明神と呼ばれ、稲荷神を祀っていたと思われます。恐らく明治以降に式内社と確定されて以降に御祭神が変更されたことが考えられますが、景行天皇の御子である五十狭城入彦尊が当てられた理由は不明です。坂合部氏や久々智氏らの祖である大彦命は孝元天皇の皇子であり、関係性を見出せません。

また、南東250mほどに式内論社の「伊居太神社」が鎮座しており、共に式内社ならばあまりにも距離が近すぎることになり不自然です。

「上坂部」の地名は恐らく古いものでしょうが、当地付近の神社は古い時代の様子を探るのは難しそうです。

 

境内の様子

近松公園の北方の住宅地に当社が鎮座。境内の南側に新しい鳥居が南向きに建っています。

 

また境内の南西側にも入口があり、こちらにはやや古い鳥居が西向きに建っています。

 

南側の鳥居をくぐると右側(東側)に手水舎があります。井戸の上に祠が一基。恐らく水神を祀っているのでしょう。

 

伊佐具神社

伊佐具神社

正面の基壇の上に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は瓦葺・平入の入母屋造に唐破風の向拝が付いたもの。

 

拝殿前には花崗岩製の真新しい狛犬が一対。

 

また、拝殿前に「伊佐具社」と刻まれた石碑が建っています。

これは江戸時代中期の地理学者である並河誠所が当時所在が不明となっていた式内社を研究し、式内社に比定された神社に記念として建立されたもの。

摂津国の式内社ではよく見かけるものです。

 

拝殿に掲げられている五つの扁額。「伊佐具神社」の他に「金刀比羅神社」「天満宮」「宮八幡宮」「愛宕神社」とそれぞれ刻まれています。

恐らく明治年間に合祀された神社でしょう。

 

拝殿の後方に本殿が建っています。平入入母屋造の覆屋に納められているようです。

 

本社社殿の右側(東側)に隣接して「白龍稲荷神社」が鎮座しています。

社殿は宝形造であり明らかに仏堂を流用したものとわかります。実際、元々は当社の神宮寺だった真言宗の寺院「福円山浄徳寺」の仏堂です。

かつて当社は江戸時代には「稲荷明神」と呼ばれていたため、恐らく明治の廃仏毀釈と式内社の認定に伴い、元々本社社殿に祀られていた稲荷神をこちらに遷したのではないでしょうか。

 

白龍稲荷神社の前には砂岩製の古めかしい狛犬が一対置かれています。恐らく本社の前代の狛犬だったのでしょう。

 

境内の東側には赤松円心の墓とも伝えられる石塔があります。

元弘三年(1333年)に鎌倉幕府を打倒すべく当地付近で戦った際に当社で必勝祈願を行なったと伝えられています。

この石塔は「五輪塔」と呼ばれていますが、実際は五輪塔の火輪が欠けており、地輪も水輪の大きさに合わないため別の塔のものを転用してるようです。

案内板

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この五輪塔水輪部と石造物は赤松円心とその他ゆかりの人々の墓とされている

元弘年間(一三三三)赤松円心は久々知酒部(坂部)で激戦す。

その時当神社にて必勝祈願の為甲冑太刀等を献じたと伝承されている。

赤松一族盛衰記参照

平成二十二年五月吉日

 

当社境内の西方に隣接して仏堂があります。案内板にはこのお堂の仏像は「もと伊佐具神社境内の稲荷社に奉祀されてい」たとあり、白龍稲荷神社の建物が福円山浄徳寺だった頃のことを指しているのでしょう。観音菩薩を安置しているようです。

浄徳寺の仏像はこちらへ、そして本社社殿に祀られていた稲荷神は浄徳寺のお堂へ、と明治年間の宗教政策により玉突きで神仏が遷ったことが伺えます。

案内板「御由緒」

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御由緒

このお社の御本尊はもと伊佐具神社境内の稲荷社に奉祀されていましたが明治の神仏分離によりこの地に移転されました。神呪寺に属す福円山淨徳寺と称し霊験あらたかな観音様で信仰心の篤い人達により維持されています。証として元禄拾弐年正月吉日刻印の鰐口を伊佐具神社で保存しています。霊元あらたかなお地蔵様も日夜参詣が絶えません

参考として元禄十二年は三〇七年前

平成十八年九月謹書宮司

 

タマヨリ姫
境内社の白龍稲荷神社、なんかお寺みたいな建物だね!
その通りよ。白龍稲荷神社の建物は元々は神宮寺の浄徳寺というお寺のお堂だったの。
トヨタマ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板「伊佐具神社」

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伊佐具神社

『延喜式』(10世紀始めに編さんされた法令集)のなかの神名帳にしるされた摂津国河辺郡七座の第一の神社です。当社は市内で唯一の式内社の格式をもち、祭神は伊狭城入彦皇子といわれています。上坂部・下坂部は大彦命の子孫である坂合部連が住んでいた土地ともいわれ、久々知の地名も命の子孫久々智氏から名付けられたようです。

当社は朝廷より神酒を賜わる例になっていたといわれ、また神酒を上坂部で醸造したため、酒部といったともいわれています。さらに一説では、神崎の地名が当神社の前という意味の神前から起ったと伝えられています。

またこの地域一帯は、元弘の変(1333年)の時、後醍醐天皇のため奮戦した赤松円心ゆかりのところで、境内には円心の墓と伝えられてきた五輪塔も残されています。

尼崎市教育委員会

案内板「式内 史蹟 伊佐具神社由緒」

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式内 史蹟 伊佐具神社由緒

御祭神

五十狭城入彦尊 他二柱不詳

配祀

宮八幡宮 金刀比羅神社 愛宕神社 天満宮

末社

白龍稲荷神社(福円山浄徳寺跡)

主神五十狭城入彦尊は景行天皇代十皇子であり武勇にすぐれ御兄日本武尊(熱田神宮御祭神)と共に諸国を平定されたのである。兄宮に勝るとも劣らざる英知の大神にして庶民その偉功に景仰し社殿を営み当地に奉祀されたのであります

されば昔より今日に至るまで国土の守護神 厄除け開運の御神徳を以って旧川辺郡内筆頭の座に置かれ官幣社として祀られてまいりました 尼崎市内六十六社の中で唯一つの延喜式内社で神仏混合の社殿五輪塔水輪部 福円山浄徳寺銘入りの鰐口等神仏混合の形をそのままとどめており尼崎市教育委員会から史蹟として指定されておりますように由緒ある古社であります 社務所内の長寿殿には縁結びの神 安産の神が奉祀されております 由緒は社務所までおいでください。

『摂津名所図会』

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伊佐具神社

上坂部村にあり。延喜式出。今稲荷明神と称す。森村と共に生土神とす。

 

地図

兵庫県尼崎市上坂部3丁目

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