社号 | 荒田神社 |
読み | あらた |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 兵庫県多可郡多可町中区安楽田 |
旧国郡 | 播磨国多可郡安楽田村 |
御祭神 | 少名彦命、五百箇磐石命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月9日 |
式内社
荒田神社の概要
兵庫県多可郡多可町中区安楽田に鎮座する神社です。的場地区に鎮座する「荒田神社」と共に式内社「荒田神社」の論社となっています。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
案内板によれば、古くは安楽田村の東端の道の北側に鎮座していたものの、寛文八年(1668年)の大火で当社および別当の大乗寺が焼失したため、安楽田村北方に鎮座していた「大歳神社」の社地を拡張して寛文十一年(1671年)に合祀した旨を記しています。
つまり当社の社地は元は「大歳神社」の地だったようです。
当地は元は貝野村と称する別の村だったものの、合祀した頃には人家が少なく既に安楽田村に合併されていたようです。
中世以降、的場地区の「荒田神社」が播磨国二宮として隆盛し、式内論社としてもそちらが有力ですが、当地(旧地)も地名を「安楽田(アラタ)」と称することから式内社「荒田神社」の論社として説得力あるものとなっています。
その他式内社「荒田神社」についての詳細は的場地区の「荒田神社」の記事をご参照ください。
境内の様子
当社は安楽田地区の北方の山麓に鎮座しています。
案内板によればこの地は元は貝田村と称し、大歳神社の社地だったようです。
入口には鳥居が南向きに建っています。案内板によれば元禄六年(1694年)の建立。
鳥居をくぐった様子。参道は非常に長く、杉林に囲まれています。
参道を進んでいくと途中に随身門が南向きに建っています。
随身門の形式は桟瓦葺の八脚門で、左右の随身像が正面を向く正面型。案内板によれば延享三年(1746年)の建立。
随身門をくぐった様子。この辺りから参道は坂になっています。
さらに参道を進むとちょっとした広場があり、その正面奥の石垣上に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の平入入母屋造に向拝の付いたもので、案内板によれば延享三年(1746年)の建立。
拝殿の手前右側(東側)に手水舎が建っているものの記録失念。
拝殿内の様子。昇殿して参拝する形になっています。
拝殿は凸型になっており、凸部分の奥に鈴の緒が設置されています。
拝殿後方に本殿が建っているものの、全体が覆屋に覆われていて確認できません。
本殿覆屋の背面には拝所が設けられています。
本社本殿の右側(東側)に境内社がまとまって鎮座しています。
手前側に三社の境内社が西向きに並んでいます。これらの内、左側(北側)に鎮座する境内社。社名、祭神は不明。
社殿はまっすぐな屋根の流見世棚造。
上記の境内社の右側(南側)に鎮座する境内社。「天照皇大神」を祀っています。
社殿はまっすぐな屋根の流見世棚造。
天照皇大神を祀る境内社の右側(南側)に鎮座する境内社。札が掠れて読めず、社名・祭神は不明。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
上記三社の背後の小高いところに境内社が南向きに鎮座。社名・祭神は不明ながら稲荷系の神社でしょう。
下段・上段それぞれに朱鳥居が並び、その奥にまっすぐな屋根の流見世棚造の社殿が建っています。
上記境内社群の南側、少し離れたところにも境内社が南向きに鎮座。社名・祭神は不明。
社殿は銅板葺の妻入切妻造。
本社社殿の周囲にはこのような拝所が複数設置されています。遥拝所のように思えるものの詳細不明。
由緒
案内板
荒田神社
地図
関係する寺社等
荒田神社 (兵庫県多可郡多可町加美区的場)
社号 荒田神社 読み あらた 通称 旧呼称 鎮座地 兵庫県多可郡多可町加美区的場 旧国郡 播磨国多可郡的場村 御祭神 少彦名命、木花開耶姫命、素盞嗚命 社格 式内社、播磨国二宮 例祭 10月10日 式 ...
続きを見る
天目一神社 (兵庫県西脇市大木町)
社号 天目一神社 読み あめのまひとつ 通称 旧呼称 惣堂天王社(?) 鎮座地 兵庫県西脇市大木町 旧国郡 播磨国多可郡大木村 御祭神 天目一箇命 社格 式内社、旧村社 例祭 10月10日 式内社 播 ...
続きを見る