社号 | 田坐神社 |
読み | たざ |
通称 | |
旧呼称 | 八幡社 等 |
鎮座地 | 大阪府松原市田井城 |
旧国郡 | 河内国丹北郡田井城村 |
御祭神 | 依羅宿祢、呉服漢織、豊宇気毘売神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 |
式内社
田坐神社の概要
大阪府松原市田井城に鎮座する式内社です。
明治四十一年(1908年)に神社合祀令により植田地区に鎮座する「柴籬神社」の境内に遷座されましたが、昭和六十年(1985年)に旧地に復興しました。
なお「柴籬神社」には現在も境内社として「田坐神社」が鎮座しており、二ヶ所で「田坐神社」が鎮座している形となっています。
当社の創建は詳らかでありませんが、伝承によれば呉から渡来して織物の技術を伝えた「呉服」「漢織」が当地に来て養蚕や綾織りを伝えたといい、これに因み両神が現在の御祭神となっています。
一方で『日本書紀』天武天皇十年四月十二日条に「田井直吉麻呂」なる人物が見えることから、この「田井氏」が当社を奉斎したとする説もあります。ただしこの氏族は『新撰姓氏録』に登載されておらず、如何なる氏族であったかは不明です。
また『倭名類聚抄』河内国丹比郡に「田邑郷」が記載されており、当社の社名はこれに因むものと思われ、当地の地名「田井城」も田邑郷の遺称と考えられています。
当地付近は条里制の遺構がよく残っており、計画的に田圃が整備されていったものでしょう。そのように考えれば或いは文字通り「田に坐す神」であり当社には農耕神が祀られていたのかもしれません。
平安時代後期以降は当地は石清水八幡宮の荘園となったようで、当地は「田井荘」と呼ばれました。この影響で当社に「八幡神」が祀られたようで、江戸時代は「八幡社」と呼ばれていたようです。
境内の様子
当社は住宅地に囲まれた狭い一画にあります。
境内入口には注連柱が建ち、そこから社殿まで石畳がまっすぐ伸び、途中に鳥居が西向きに建っています。
鳥居の手前右側(北側)に手水舎があります。
正面奥の壇上、玉垣に囲まれて社殿が西向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の平入切妻造に千鳥破風が付いたもの。
社殿は凸型になっており、後方の凸部分に本殿が納められているものと思われます。
境内は樹木が少なくやや物寂しい空間となっています。旧地に復旧した現在、再び地域住民の拠所として発展していくことを願うばかりです。
当社周辺は古い家屋もあり、河内平野の古い町並みが良好に残っています。
由緒
石碑
田坐神社由来
案内板
田坐神社
『河内名所図会』
地図
関係する寺社等
柴籬神社 (大阪府松原市上田)
社号 柴籬神社 読み しばがき 通称 旧呼称 鎮座地 大阪府松原市上田 旧国郡 河内国丹北郡上田村 御祭神 反正天皇、菅原道真、依羅宿禰 社格 旧村社 例祭 柴籬神社の概要 大阪府松原市 ...
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