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柴籬神社 (大阪府松原市上田)

更新日:

社号 柴籬神社
読み しばがき
通称
旧呼称
鎮座地 大阪府松原市上田
旧国郡 河内国丹北郡上田村
御祭神 反正天皇、菅原道真、依羅宿禰
社格 旧村社
例祭

 

柴籬神社の概要

大阪府松原市上田に鎮座する神社です。

社伝によれば、六世紀前半頃、第二十四代の仁賢天皇の命によって当社が創建されたと言われています。当地は第十八代の反正天皇(多遅比瑞歯別尊)が都として丹比柴籬宮を置いたと伝えられています。『日本書紀』によれば、この時は風雨が順調で五穀豊穣に恵まれ天下泰平だったとあります。都が大和へ戻った際、当地は「松生いし丹比の松原」と称えられたと伝えられ、これが現在の松原市の由来となっています。

旧郡名の「丹比」とは元はタヂヒと読み、本来はマムシを指しましたが、イタドリという植物のことも指しました。反正天皇の誕生の際、産湯にイタドリの花があり、また美しい歯を持っていたので「多遅比瑞歯別尊」と名付けられました。前述のように後に当地に丹比柴籬宮を置き、当地周辺を丹比と呼んだようです。

式内社ではありませんが、平安時代に清和天皇により幣帛を賜わり、また中世には足利直義や河内国守護の畠山氏から厚く庇護を受けたと伝えられています。

当社の境内には神社合祀政策により明治四十一年に式内社の「田坐神社」が遷座されて、現在も祠があります。ただし、旧社地では昭和六十年(1985年)に復興されて独立しており、双方に田坐神社が鎮座するという形になっています。

 

境内の様子

境内入口。南側に四脚門の神門が建っています。これはかつて当社にあった真言宗の神宮寺、広場山観念寺の山門であると言われています。

また、当社は反正天皇の都である「丹比柴籬宮」の跡と伝えられており、そのことを示す石碑が神門の脇に建てられています。

 

神門をくぐると鳥居が建っており、社殿までまっすぐに参道が伸びています。

 

鳥居をくぐって右側(東側)に手水舎があります。

 

参道の先の高くなった空間に南向きの社殿が建っています。拝殿は平入の入母屋造。

 

狛犬は石段を上ったところに一対、拝殿前にも一対配置されています。いずれも古そうなもので、恐らく江戸時代まで遡るものでしょう。

 

拝殿前に「盛砂」があります。古くから当社に伝わるものと言われ、お清めの砂として家屋の鬼門や裏鬼門に撒く風習が残っているそうです。

 

本殿はRC造の流造で、幣殿と接続したものとなっています。

 

社殿の左側(東側)に式内社の「田座神社」が鎮座しています。明治四十一年に神社合祀令により遷座されましたが、現在は旧地に復旧しており、当社と旧地の二ヶ所で祀られている形になっています。

 

本社拝殿前の右側(西側)にも祠がありますが、こちらの社名・祭神等は不明です。

 

拝殿前の石段下の右側(東側)に「稲荷社」が鎮座しています。「稲荷大神」「勝手大神」が祀られています。

 

稲荷社に隣接して「絵馬堂」が建っています。江戸時代からある建物のようで、いくつかの絵馬が掛けられています。

案内板「柴籬神社絵馬堂」

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柴籬神社絵馬堂

柴籬神社は、第十八代反正天皇・依羅宿禰・菅原道真を御祭神として祀られており、第二十四代仁賢天皇の勅命により創建されたと伝えられています。当地は反正天皇が都とした丹比柴籬宮の伝承地で、奈良に都が戻ったときに丹比柴籬宮を偲んで「松生いし丹比の松原」といわれるようになり、ここから松原の地名が誕生したと伝えられています。
当社は、江戸時代の享和元年(一八〇一)に刊行された『河内名所図会』に挿絵が掲載されており、そこには、平成二十三年四月末に修復されました絵馬堂も描かれています。現在、絵馬堂には「楠公の桜井の子別れの図」や「武田信玄・上杉謙信の川中島の戦いの図」、「加藤清正の虎退治の図」などが掲げられています。この他にも以前は村相撲の番付板も掲げられていましたが、現在は取り外され、大切に保管されています。
また、隣接する松原市民ふるさとぴあプラザは、郷土資料館や図書館が入った複合施設であり、郷土資料館では地域の歴史を紹介しています。柴籬神社と松原市民ふるさとぴあプラザは、大阪ミュージアム登録物であり、地名発祥の伝承地と松原の歴史情報の発信地が隣接しているこの地において、神社絵馬堂の再建によって、地域コミュニティーがより一層深まる場になることを願います。

 

絵馬堂に隣接して「住吉社」「歯神社」が鎮座しています。反正天皇が美しい歯を持っていたことに因み歯の神が祀られ、毎年8月8日の夜8時8分に祭礼が行われているようです。

この社殿の前には非常に独創的な「歯磨き面」と呼ばれる歯を見せて笑った翁の顔を刻んだ石造物が置かれています。上の歯を夷歯、下の歯を大国歯とし、これを触って丈夫で健康な歯であるよう祈る信仰装置となっています。

 

境内の南西隅には「大歳社」が鎮座しています。

 

当社境内の灯籠。拝殿前の左側の灯籠は寛文十一年(1671年)、右側の灯籠は慶安五年(1652年)のものです。また、参道途中に建つ天保三年(1832年)の灯籠には「柴籬宮」と刻まれています。

 

当社の北方にある和菓子屋「かすが」さん。春先に訪れたので季節に合わせて桜餅を頂きました。

 

タマヨリ姫
歯神社の前にあるおじいちゃんの顔の石造物、すっごい良い笑顔!綺麗な歯を持ってたっていう反正天皇をモチーフにしてるんだって!
反正天皇はこの地に都を置いて治世を行なったとされているのよ。その間の社会は安定していて、農作物はよく実って平和な世の中だったと言われているわ。
トヨタマ姫

 

御朱印

 

 

由緒

案内板1「柴籬神社」

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柴籬神社

柴籬神社は仁賢天皇の勅命により創建され、第18代反正天皇(瑞歯別命)・菅原道真・依羅宿禰を祭神として祀られている。

またこの付近は反正天皇の皇居、丹比柴籬宮址と考えられており、記紀(古事記・日本書紀)によるとその時代は天下泰平、五穀豊穣の平和な時代であったと記されている。

平安時代に清和天皇により幣帛を賜わり、南北朝時代の足利直義、戦国時代の河内国守護畠山氏も厚く保護したと記録されている。

明治5年(1872年)神仏分離により、境内の神宮寺広場山観念寺は廃寺となり、本尊は上田の観音堂に釣鐘は願正寺へ、また明治40年(1907年)に大塚山古墳にあった天満宮(大塚社)を合祀し、同時に手水鉢も当社へ移された。

案内板2「柴籬神社」

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柴籬神社

開運松原六社参りのひとつ。社伝によれば、6世紀前半に24代仁賢天皇の勅命で創建されたという。18代反正天皇・依羅宿禰・菅原道真を祀る。

本地は5世紀前半、反正天皇がミヤコとした丹比柴籬宮の跡と伝える。「古事記」によると、反正天皇は生まれた時、珠のような美しい歯を持っていたので水歯別命と名付けられたとある。社務所の真向かいに歯神社があり、毎年8月8日の夜8時8分に万燈籠のもと、歯の神様の祭礼がとり行われるが、これは天皇の歯が立派であったことに由来する。

社務所の場所には、明治初年まで神宮寺の広場山観念寺(真言宗)があった。南門は観念寺の山門である。拝殿右側には慶安5年(1652)、左側には寛文11年(1671)の石燈籠が建つ。江戸時代前半、井原西鶴は同社に参詣して「柴籬宮 むくけうへてゆふ 柴垣の都哉」の句を詠み、「河内鑑名所記」(延宝7年、1679年)に載せられている。拝殿に嘉永7年(1854)8月、立部村氏子26名が奉納した「三十六歌仙図」が掛かる。

参集殿前には「天満宮 享和元年(1801)九月」と刻した手水鉢が置かれているが、これは全国で5番目に大きな前方後円墳の河内大塚古墳(西大塚)の石室材と考えられている。墳丘上に祀られた菅原神社(明治41年に柴籬神社に合祀)の手水鉢に転用されていたものである。

 

地図

大阪府松原市上田

 

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