社号 | 淡路神社 |
読み | あわじ |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 大阪府岸和田市摩湯町 |
旧国郡 | 和泉国南郡摩湯村 |
御祭神 | 伊佐奈岐命、菅原道真 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月8日 |
式内社
淡路神社の概要
大阪府岸和田市摩湯町に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
一説に、聖武天皇の皇女の不破内親王が子の氷上川継の謀反計画の連座で淡路島に配流され、その後和泉国に移り住んだ際に「伊弉諾神宮」(兵庫県淡路市多賀に鎮座)から勧請したとも言われています。
また一説に、南方の包近町に鎮座する「楠本神社」が『古事記』仁徳天皇の段に出てくる巨樹の地とし、その巨樹から造られた船が淡路島から水を運んだとされているので当社もこれに関係するとして、楠本神社が木霊を、当社が水霊を祀るとする説もあります。(『神社覈録』等)
ただしその巨樹は一般に高石市取石に鎮座する「等乃伎神社」の近くにあったとされており、強引な説である印象は否めません。
当社のすぐ近くにある「摩湯山古墳」は四世紀後半に築造されたと考えられる墳丘長約200mの巨大な前方後円墳です。
和泉地方中部におけるこの時代の古墳としては破格の大きさで、久米田古墳群の「貝吹山古墳」と並んで当地方の代表的な古墳です。
当地を支配した首長が葬られたと考えられ、或いは当社の祭祀と関係あるのかもしれません。
一方で当社の社名から淡路島から移り住んだ人々が当社を祭祀した可能性も考えられます。
ただし淡路島には前方後円墳が確認されていないため、淡路島に住んでいた人々と摩湯山古墳を関連付けるのは慎重になるべきでしょう。
淡路島に前方後円墳が(現在のところ)存在しない理由は定かではありませんが、淡路島の人々が前方後円墳を作らなかったとすれば摩湯山古墳の築造以降に当地に移り住んだと考える方が妥当かもしれません。
いずれにせよ当社の来歴は不明と言わざるを得ず、淡路島と関係するのかどうかも現状では判断しかねるところです。
境内の様子
境内入口は南側と北西側の二ヶ所があり、表参道は集落のある北西側です。
表参道の入口には鳥居が北西向きに建っており、境内はこんもりとした森になっています。
境内入口に配置されている狛犬。和泉砂岩製でしょうか。やや古そうなものです。
鳥居をくぐって参道を進んでいくと左側(北側)に手水舎があり、正面には小さな石段上の塀に囲まれた空間に社殿が建っています。
玉垣ならともかく、社殿の空間を塀で囲うのはやや珍しいように思われます。
石段を上って塀の内側へ入ると正面奥に社殿が北西向きに並んでいます。
拝殿は本瓦葺の平入入母屋造に向拝の付いたもの。
拝殿前に配置されている狛犬。こちらは花崗岩製の真新しいものです。
拝殿前には参道の両側に盛り砂があります。
拝殿後方、塀に囲まれて建つ本殿は銅板葺の一間社春日造に軒唐破風の付いたもの。平成十年に修復されたものです。
境内周辺の様子
当社のすぐ西方に「摩湯山古墳」があります。墳丘長約200mの巨大な前方後円墳で、古墳時代前期の四世紀後半に築造されたと考えられています。
当地方の代表的な古墳であるばかりでなく、全国的にも重要な古墳です。果たして当社と関係あるのでしょうか。
当社付近は若干ながら古い町並みも残っていました。
由緒
案内板
式内 淡路神社の由来
地図