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楠本神社 (大阪府岸和田市包近町)

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社号 楠本神社
読み くすもと
通称
旧呼称 天神 等
鎮座地 大阪府岸和田市包近町
旧国郡 和泉国南郡包近村
御祭神 菅原道真、船玉大神
社格 式内社、旧村社
例祭 10月8日

 

楠本神社の概要

大阪府岸和田市包近町に鎮座する式内社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありません。一説に『古事記』仁徳天皇の段にある兔寸河の巨樹は当地にあったとも言われています。

『古事記』(大意)

仁徳天皇の御代、兔寸(トノキ)河の西に一本の巨樹があり、朝日に当たればその陰が淡路島を、夕日に当たればその陰が高安山を越えるほどであった。この巨樹を伐って船が造られたが、この船はとても俊足で、「枯野(カラノ)」と名付けられた。この船で朝夕に淡路島の泉の水を運んで献上した。ここに船が壊れてしまい、これで塩を焼き、焼け残った木で琴を作ったところ、その音は七里まで響いた。

この巨樹が朝日に当たればその陰が淡路島に達し、またこの巨樹から造られた船が淡路島から水を運んだという点に関して、当地の北方の摩湯地区に鎮座する式内社「淡路神社」が関係するとし、当社に木霊を、淡路神社に水霊を祀るという説もあるようです。ただ、ここでは兔寸河を当地東方を流れる牛滝川と解していますが、一般的には兔寸河は「等乃伎神社」の周辺と考えられており、当地に比定する説は有力とは言えません。

とはいえ当社は社名「楠本」から推してクスノキを神格化したものだった可能性は十分にあります。木の霊を祀る素朴な信仰が当社の始めだったのかもしれません。

また当社にまつわる話として、かつて畑の中に鳥居があり「包近の捨鳥居」と呼ばれ白河法皇の宸筆の額が掲げられていたが暴風雨で流されて伊勢の白子に漂着したと伝えられ、その額には「白髪大明神」と書かれていたと言われています。伊勢の白子(現・三重県鈴鹿市)は紀伊半島をぐるっと回って真向かいにありにわかに信じがたい話ですが、白鬚大明神と額にあったのは興味深いところです。当社の神は白鬚の翁の姿と想像されていたのでしょうか。白河法皇・白子・白鬚と「白」が重なっているのも偶然なのか気になるところです。

 

境内の様子

当社の参道は南方の包近の集落から続く道。境内のすぐ北側に集落や公園がありますが、そこから入ることは出来ず、こちらからが唯一の参詣道となります。初めて参拝される方は迷いやすいので十分ご注意を。

 

桃畑を左右に見ながら進んでいくと、途中に灯籠と、奥にこんもりとした森が見えてきます。

 

境内入口。包近の集落から遠く離れたところで、境内は周りを三田町に囲まれた包近町の飛び地となっています。

 

境内に入って左側(西側)に手水舎、鳥居、そして社殿があります。

 

手水舎は何故か2セットあります。片方は井戸から直接ポンプで汲み出しており、もう片方はそこから水を引いて手水鉢に水を張っています。

 

一の鳥居をくぐって石段を上ると二の鳥居が建っており、その右側に社殿が建っています。参拝客の動線は升形状で、境内の奥へ続く線から左へ分岐したのが本線となるやや珍しい形です。

 

社殿は南向き。拝殿は平入の入母屋造りで割拝殿ですが、通路は中央から右にズレた非対称な形式となっています。

 

本殿は唐破風付きの春日造で、平入の入母屋造の覆屋に納められています。

現在は南向きですが元々は東向きだったとも言われ、現在の参詣道の奇妙さはここに起因しているのかもしれません。

 

本殿の右側には「八幡宮」が鎮座。

 

拝殿の前にこのような一画がありますが、案内板によればここはかつて小高い丘で、伊勢神宮や皇居の遥拝所があったようです。

遥拝所は一般に明治以降に設けられたもので、これがあったとわざわざ示すのはかなり珍しいことのように思います。

案内板「伊勢神宮及び皇居遥拝所跡」

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伊勢神宮及び皇居遥拝所跡

ここは昔、小高い丘であり、伊勢神宮及び皇居遥拝の大切な場所であった。丘には、遥拝のため、祠(御神殿)が東方に向かって建てられていた。しかし、昭和初期に御神殿が古くなったことや交通の便がよくなったことから取り除かれ、その後、土地も平らに整地されたものである。

平成二十六年(二〇一四年)一月吉日

 

境内の奥は鬱蒼とした森になっています。この森の中に三基の石祠があり、その内の一つ、高い基壇の設けられた石祠は「牛神大明神」です。牛神は和泉ではよく見かける神で、農耕に牛を使っていた時代に牛の守護神として信仰されていました。他の石祠の祭神は不明です。

この森の背後には三田町の宅地や公園があるものの、金網で隔てられており行き来することはできません。通常なら裏参道でもありそうなところですが、三田町を拒絶してるかのようです。

 

当社参道の桃畑は、4月初め頃には一面に花が咲き揃い大変見事なものです。

 

タマヨリ姫
楠本神社って社名からしてやっぱり木の神様を祀ってるのかな。
昔はここに神の宿る大きなクスノキがあったかもしれないわね。『古事記』に見える兔寸河の巨樹はここにあったって伝承もあるらしいわ。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板

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楠本神社は包近村に鎮座の延喜式内社にして楠本大神菅原道真公を鎮座し奉る村社なり 創立年月詳らかならずと雖も国内神名及其他諸史より考証するに古事記仁徳帝の段に此の御代兎寸河今の牛滝川の西方に一高樹有り其樹の影朝日に当れば淡路島に及び夕日に当れば高安山を越えきかし是の樹を伐り船に作れるに甚く捷く行く船にそ有ける 時に其の船の号を枯野とそ謂ひけるかし 其の船を以て朝夕に淡路島の寒水を酌みて大御水に献りきと有りて即ち当社の祭神楠本大神は其の大樹の伐りたる跡に大樹の威霊を祭祀せるものにして旧事記に楠本神社船王鳥之右楠船神又名謂天鳥船神とも稱へ奉り神階從三位を賜はり境内広大社殿荘麗にして七堂伽藍も建立し神威赫々遠近諸人の信仰浅からず 天正年間に菅原大神をも相殿に祭祀して俗間之を天神と稱へ奉り霊験弥々顕著なりき 然るに後水尾天皇の慶長年間兎寸河いまの牛滝川数日の大水に殿宇並に七堂伽藍古書類計及附近家屋十八戸男女三十二人流失して悉く荒野となる 氏子包近の村民蜂屯蟻集社殿を改築し代々氏神と仰ぎつつ社僧の奉仕する所となれり 明治元年社僧を廃して神職を置き明治五年村社に列し乃ち氏子の崇敬神社なり

楠木神社由来 右國内神名帳 左大阪府全史記載文に寄る

本地は古来南郡に属しもと山直郷の内にして包近村と稱す 楠本神社は北方字宮山に有り延喜式内の神社なれ共祭神詳らかならず 後世菅原道真公を併祀せり 俗に天神と稱せらる 古老の伝説に依れば其の道真公を併祀したるは織田信長の時代なりとし且余詣道なる畑の中にはもと鳥居ありて包近の捨鳥居と呼び白河法皇の宸筆の額を掲げたりしに烈風暴雨の爲牛滝川に吹き流され伊勢の白子里に上りて今も同所に存し其の額には白髪大明神と書せりと云ふ。旧祭神の詳ならざる爲神名帳考証には船王神なりとし神社覈録には古事記仁徳天皇の段に兎寸川之西有一高樹と見申る高樹は楠なるべく当社はその楠の本にありて木霊を祀り摩湯村の淡路神社はその水霊ならんとし大日本史も亦之と同様の説を記してゐる 神位は國内神名帳に從三位とせり 明治五年村社に列し大正四年十二月二十一日字垣外の村社八幡宮品陀別命を合祀せらる同八幡宮は楠正成公の祈願所にして正成公の寄附したる武具菊水旗等は宝庫に納めありて慶長十年当社焼失の際には持ち出したるもその後兵火に罹らん事を恐れて河内の天野山に納めしと伝え社頭の楠は楠氏の家臣鴨野宇右衛門手植のものなりと 境内三百拾五坪を有し本殿並に拝殿を存すとある

青木謹書

『和泉名所図会』

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楠本神社

包近村にあり。延喜式内なり。今天神と称す。

 

地図

大阪府岸和田市包近町

 


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