社号 | 春日神社 |
読み | かすが |
通称 | 宇留春日神社 等 |
旧呼称 | |
鎮座地 | 兵庫県神戸市西区平野町宮前 |
旧国郡 | 播磨国明石郡宮前村 |
御祭神 | 武甕槌命、経津主命、天児屋根命、姫大神 |
社格 | 式内論社、旧村社 |
例祭 | 10月11日 |
式内社
春日神社の概要
兵庫県神戸市西区平野町宮前に鎮座する神社です。式内社「宇留神社」の論社の一つとなっています。
社伝によれば、神武天皇らの一行が明石川を船で上り、当地に水田を開き、一人の皇子を残して天皇は東へ向かったといい、当初は飛谷なる地に鎮座していたところ、斉明天皇六年(660年)に現在地へ遷ったと伝えられています。
前半は神武天皇の東征の際の出来事として伝えられているものと思われるものの、記紀等の資料には当地を訪れたとする描写はありません。
最初に当社が鎮座していたという「飛谷」の具体的な地は不明ながら、当社の北西約1.2kmの地に飛谷池があることから恐らくその辺りを指すものと思われます。
そこから遷座したという現在地は今も小字を「宇留山」と称し、もしこれが古くからそう呼ばれていたとすれば当社は式内社「宇留神社」の最有力候補と言えることでしょう。
しかし江戸時代から式内社「宇留神社」は様々な神社が論社として挙げられ、特に当社が有力であるとは見做されていなかったようです。
もし当社が式内社「宇留神社」だったとすれば、元は別の神が祀られていたところを、後に春日神が勧請されて主祭神となり、元の神は忘却されたことになるのでしょう。
式内社「宇留神社」がどのような神を祀っていたかは残念ながら不明としか言いようがありません。一説に「宇留」とは「布留」の転訛で物部系の神が祀られていたのではとする説もあります。
高度経済成長期に当社背後の丘陵上は西神ニュータウンとして大規模に開発されたのに対し、麓の明石川沿いの谷である当地付近は長閑な光景が残っています。
当社も18世紀後期に建立された社殿や能舞台が残っており、これらは神戸市指定有形文化財となっています。
境内の様子
当社は宮前地区の東側にある丘陵上に鎮座しています。
丘陵の西麓に入口があり、鳥居が西向きに建ちそこから石段が伸びています。
石段を上ると正面に能舞台(後述)が建っており、これを回り込む動線で参拝することになります。
石段を上ってすぐ左側(北側)に江戸時代の手水鉢が配置されています。
上記手水鉢から境内社(後述)を挟んで右側(北側)に、また別に手水舎が建っています。こちらの手水鉢は真新しいもの。
能舞台を回り込んだ先に社殿が西向きに並んでいます。
拝殿は本瓦葺の平入入母屋造。拝所部分は前方一間分のみ土間となっており、割拝殿の亜種と言えます。
この拝殿は十八世紀後期に建立されたもので神戸市指定有形文化財。
拝殿前に配置されている狛犬。
拝殿後方の空間は塀で囲われており、ここに幣殿および本殿が建っています。
本殿は檜皮葺の流造で覆屋が設けられています。
幣殿および本殿は十八世紀後期に建立されたもので神戸市指定有形文化財。
本社本殿と相対するように能舞台が建っています。
東播磨では神社境内に能舞台を設置する例が多いものの、その多くは簡易なものであるのに対し、当社の能舞台は橋掛かりなども設けられた本格的なものです。
娯楽として民衆の間で盛んに能が演じられたものでしょう。
この能舞台も十八世紀後期に建立されたもので神戸市指定有形文化財。
本社拝殿の右側(南側)に境内社が西向きに鎮座。社名・祭神は不明。
檜皮葺の一間社流造の社殿が覆屋に納められています。
本社拝殿の手前左側(北側)に境内社が南向きに鎮座。社名・祭神は不明ながら、狛狐が配置されていることから稲荷系の神社でしょう。
桟瓦葺の平入入母屋造の拝殿が建ち、奥の凸部に本殿が納められています。
上記境内社の右側(北側)に建つ建物。用途不明。参集所の類でしょうか?
上述の手水鉢と手水舎の間に東向きに鎮座する境内社。社名・祭神は不明。
銅板葺の流見世棚造の社殿が覆屋に納められています。


地図
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