社号 | 住吉神社 |
読み | すみよし |
通称 | |
旧呼称 | 川内大明神 等 |
鎮座地 | 兵庫県小野市垂井町 |
旧国郡 | 播磨国加東郡宮脇村 |
御祭神 | 表筒男命、中筒男命、底筒男命 |
社格 | 式内論社、旧県社 |
例祭 | 10月10日 |
式内社
住吉神社の概要
兵庫県小野市垂井町に鎮座する神社です。式内社「住吉神社」の論社の一つとなっています。
旧・賀茂郡内を含む加古川流域には非常に多くの「住吉神社」が鎮座しており、その中のいずれが式内社「住吉神社」であるかを決定するのは極めて困難です。
『倭名類聚抄』播磨国賀茂郡に「住吉郷」が記載されており、これが加古川の左岸側にあったと推定されることから、式内社「住吉神社」も現在の加東市・小野市にあったであろうと考えられています。
式内社「住吉神社」および播磨国賀茂郡の「住吉郷」は、「住吉大社」(大阪市住吉区住吉)に伝わる古文書『住吉大社神代記』に見える「播磨国賀茂郡椅鹿(ハシカ)山領地田畠」と関連すると見られ、そこには住吉大社の杣山、つまり木材の供給源があったと考えられます。
加古川支流の東条川沿いには「掎鹿谷」の地名及び「掎鹿寺」が所在しており、この付近を広く「掎(椅)鹿山」と称したものと思われます。
社殿の造営や造船等に必要な木材を供給する掎(椅)鹿山を重視した住吉大社が、その地の拠点に住吉神を祀ったのが式内社「住吉神社」だったことが推測されます。
従って式内社「住吉神社」は掎(椅)鹿山のあった東条川沿い、もしくはそこからそう遠くない地に求めるべきでしょう。
一方で当社について、創建は詳らかでないもの一説に養老六年(722年)とも言われています。
当初は河内里山田(現在の小野市山田町か?現在地の東方約2km)に鎮座していたといい、夢想によって市場村喜多島(現在の小野市大島町)に遷座し、さらに後に現在地に遷座したと伝えられています。
旧地である河内里は『播磨国風土記』の記事において住吉大神が登場しています。
『播磨国風土記』(大意)
河内里の名は川の名による。
この里の田は草を敷かずに苗を植える。その所以は、住吉大神が上り坐したとき、この村で食事したところ、従神が人の刈った草を散らして坐した。そこで草の持ち主が憂えて訴えたところ、大神は「汝の田の苗は必ず草を敷かずとも藪草のように生えるだろう」と言った。その故にその村の田は今も草を敷かず苗代を作る。
このように住吉大神が食事をし、その際の村人とのやりとりで田に草を敷かなくなったことを記しています。
当社が式内社「住吉神社」の論社となっているのは恐らくこの『播磨国風土記』の記事によるものでしょう。
ただやはり式内社「住吉神社」は住吉大社の神領だった掎(椅)鹿山との関係で創建されたと考えるのが妥当で、その点当地は掎(椅)鹿山からはやや遠い地であるため、式内論社としてはやや不利と言えるかもしれません。
とはいえ加古川流域に多く分布する住吉神社群の中でも有力な神社の一つであり、元和元年(1615年)には小笠原忠政から社領の寄進を受け、徳川将軍からも社領朱印地として十石を賜り、その後も小野藩主から厚く崇敬を受けました。
今も小野市では有数の神社として広く崇敬を集める神社となっています。
境内の様子
当社の鳥居は境内の南方約150mほど、大島町の集落内に鎮座しています。
当社境内は垂井町の南端にあります。江戸時代以前は宮脇村と称していました。
境内入口には神門が南向きに建っています。神門の形式は本瓦葺の平入切妻造の四脚門。
神門の左側(西側)に「櫛磐間戸神社」が、神門の右側(東側)に「豊磐間戸神社」がそれぞれ南向きに鎮座。
社殿はいずれも本瓦葺の平入切妻造で、内部には随身像が安置されています。
西方の加西市では随身像を随身門でなく境内社として祀る例が見られ、当社の例はその折衷的な様式と見ることが出来るかもしれません。
神門をくぐった様子。広い空間となっており、石畳の参道の先に注連柱が建っています。
注連柱の手前左側(西側)に手水舎が建っており、手水鉢と井戸の跡が配されています。
注連柱をくぐると社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は本瓦葺の平入入母屋造に唐破風の向拝の付いた割拝殿。
拝殿前に配置されている狛犬。
拝殿後方に銅板葺の三間社流造の本殿が建っています。宝暦年間(1751年~1764年)の建立とされています。
社殿周辺の境内社
本社社殿を囲うように多くの境内社が鎮座しています。
当記事では本社拝殿左側(西側)から時計回りに見ていきます。
本社拝殿の左側(西側)に「大和宮」が南向きに鎮座。御祭神は「小野市内より出征された英霊 五百十七柱」。招魂社の一種のようです。
神明鳥居が建ち、奥の覆屋内に銅板葺の一間社流造の社殿が建っています。
案内板
大和宮
大和宮の奥(北側)に桟瓦葺の平入入母屋造の神庫があります。神庫には小さな鈴の緒と賽銭箱があり、「蔵の神」と書かれたプレートも設けられています。
どうやら神庫も神社として信仰の対象となっているようです。
神庫の右側(東側)、本社本殿の後方(北側)に「磯御前社」が南向きに鎮座。
銅板葺の一間社流造の社殿が覆屋に納められています。
磯御前社の右側(東側)に「祓戸社」が南向きに鎮座。
銅板葺の一間社流造の社殿が覆屋に納められています。
本社拝殿の右側(東側)に「稲荷社」が西向きに鎮座。
石造鳥居と朱鳥居が並び、奥に桟瓦葺の平入入母屋造の覆屋が建ち、その内部に銅板葺の一間社流造の社殿が建っています。
稲荷社の右側(南側)に「猿田彦神社」が西向きに鎮座。
銅板葺の一間社流造の社殿が覆屋に納められています。
猿田彦神社の右側(南側)の空間は神宮寺だった洞林寺の鐘楼があった旨の石碑が建っています。
境内その他
本社拝殿の手前左右にそれぞれ桟瓦葺の入母屋造の建物があります。
これらは神事の際に用いられる詰所で、当サイトでは「座小屋」と呼んで分類しています。
座小屋を実際に何と呼ぶかは神社によって異なっており、当社では西側のものを「西庁納屋」、東側のものを「東庁納屋」と呼んでいます。
上の写真は東庁納屋で、内部は物置となっています。
対する西庁納屋は社務所(兼参集所?)に改造されています。
神門前から左側(西側)へは県道へ通じる参道があり、鳥居も西向きに建っています。
上記参道に沿って稲荷大神を祀る境内社が南向きに鎮座。
社殿は銅板葺の一間社流造に朱を施したもの。朽ちており状態は良くありません。


由緒
案内板
住吉神社由来記
地図
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