社号 | 国玉神社 |
読み | くにたま |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 大阪府泉南郡岬町深日 |
旧国郡 | 和泉国日根郡深日村 |
御祭神 | 大国主大神、賀茂別雷大神 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 10月2日 |
式内社
国玉神社の概要
大阪府泉南郡岬町深日に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
「国玉」の社号から、大和国山辺郡の「大和坐大國魂神社」(現在の奈良県天理市新泉町の「大和神社」)などと同様、「国魂」つまり国土を神格化した霊を祀ったものと思われます。
当地において国魂を祀った理由は知る由もありませんが、他の例を見るに摂津国にありながら河内国の国魂を祀る「河内國魂神社」(兵庫県神戸市灘区国玉通)や、淡路島にありながら大和国の国魂を祀る「大和大國魂神社」(兵庫県南あわじ市榎列上幡多)など、その鎮座地の国魂を祀るわけでない例が散見され、考察をより困難なものにしています。
当社も和泉国の南西端近くに鎮座しており、和泉国の国魂を祀るに相応しいとは言いにくい地です。如何なる国魂を祀ったのかは不明としか言いようがありません。
当地「深日(フケ)」は元は「フケヒ」と読み、「吹飯」などと表記され、天然の良港であると共に大阪湾を望む景勝地で『万葉集』にも詠まれるなど古くから歌枕として知られていました。
『続日本紀』天平神護元年(765年)十月二十六日条には称徳天皇が紀伊からの帰還の際に「深日行宮」に至ったことが記されており、一説にこの「深日行宮」とは当社境内であるとも言われています。
その後、当地は京都の賀茂社の領地となり、浜山なる地(具体的な地は不明)に「賀茂神社」が創建されました。この「賀茂神社」は深日における産土神として大いに繁栄し、対する当社は衰退して明治維新の頃には僅か十五軒の家で祭祀が細々と継続されていたと伝えられています。
明治の神社合祀政策により明治四十五年(1912年)に浜山の「賀茂神社」は当社に合祀され、現在の本殿はこの「賀茂神社」のものを移築したものとなっています。
当社の御祭神は「大国主大神」「賀茂別雷大神」で、後者は浜山の「賀茂神社」の祭神です。
現在の当社はかつて僅か十五軒の家で祭祀されていたと思えないほど広い境内となっており、恐らく明治年間に整備されたものでしょう。
当地における信仰の中心は時代ごとに移っていったようですが、現在は再び当社が深日における信仰の中心に戻った形になったと言えることでしょう。
境内の様子
当社は深日地区の集落の東方にある「坊主山」から南西に伸びる尾根の上に鎮座しています。
深日小学校から丘の南西端を回り込むように道を進むと当社の一の鳥居が南西向きに建っています。
手水舎は鳥居手前の左側(北西側)に建っています。
一の鳥居の両脇に配置されている狛犬。砂岩製です。
一の鳥居の手前側には大きなムクノキが聳えており、当社の御神木となっています。株回り5.5m、樹高約30m。
一の鳥居をくぐった様子。丘の上まで一気に石段が続いています。
都合上、先に境内社を一社紹介しておきます。この石段を上った先の踊り場の左側(北西側)に「祓戸社」が南東向きに鎮座。
御祭神は「瀬織津比賣大神」「速秋津比賣大神」「伊吹戸主大神」「速須佐良比賣大神」。
社殿は銅板葺の一間社流造。
奈良県では本社参拝前に祓戸神社に参拝することで穢れを祓い身を清める風習がしばしば見られますが、奈良県から離れた当社でもそのようになされているのでしょうか。
「祓戸社」の傍らに手水鉢が配置されています。
境内社のものとはいえしっかり導水設備が設置されています。
「祓戸社」と相対するように二の鳥居が北西向きに建っています。
つまり一の鳥居から石段を上って左側に「祓戸社」、右側にこの二の鳥居が建っている形になります。
二の鳥居をくぐって振り返った様子。この写真だけ見れば二の鳥居が「祓戸社」の鳥居のようにも見えます。
動線としては、やはり「祓戸社」に参拝してから二の鳥居をくぐることを前提としているのでしょう。
二の鳥居をくぐって石段を上るとその先に平らで非常に広い空間があります。とても十五軒で祭祀していた神社の境内と思えず、恐らく明治以降に整備が行われたのでしょう。
社殿はこの空間よりやや高いところに建っており、この空間の左奥(東側)に社殿へ至る石段が設けられています。
この石段の上に社殿が南西向きに並んでいます。
拝殿は本瓦葺の平入入母屋造に千鳥破風と軒唐破風の付いたもの。
拝殿前に配置されている狛犬。こちらも砂岩製。
左側の狛犬の傍らにも手水鉢があり、ちゃんと導水設備も設けられています。
拝殿後方に練塀に囲まれて銅板葺の流造の本殿が建っています。これは浜山に鎮座していた「賀茂神社」のもので、当社に合祀されて移築したもののようです。
本殿と拝殿の間には妻入切妻造の幣殿も建っています。
本社拝殿の左側(北西側)に「戎神社」が南西向きに鎮座。御祭神は「言代主大神」「譽田別神」「大雀神」。
社殿は銅板葺の一間社流造。木々に囲まれた絶妙なところに建っています。
石段を下りて、広い空間の南東端に「五社」が北西向きに鎮座。文字通り五社の神社が相殿となったもののようです。
御祭神は「天照皇大御神」「大国主大神」「豊受比賣大神」「大山祇大神」「底筒男大神」「中筒男大神」「表筒男大神」「息長足比賣神」「日本武神」。
社殿は銅板葺の五間社流見世棚造。
「五社」の傍らにも手水鉢が配置してあり、そしてやはり導水設備もしっかり設けられています。
このように異様に稼働中の手水鉢の多い神社となっています。
当社付近の様子
当社の北西、深日の港の様子。深日(フケ)はかつてはフケヒと呼ばれ、吹飯とも表記し、天然の良港であると共に風光明媚な歌枕としても知られていました。
現在は近隣の淡輪や谷川などと共に大阪府を代表する漁港となっており、大阪湾で獲れた新鮮な魚介類が水揚げされています。
またかつては深日港と淡路島の洲本港を結ぶ定期船があり、一度は廃止になったものの2019年には「深日洲本ライナー」が土休日限定で復活しました。ただ、2020年以降は新型コロナウイルスの影響で再び休止しています。
深日地区の町並みの様子。漁村らしく迷路のように複雑に入り組んだ町割りとなっており、昔ながらの古い民家も残っています。
大阪府下においては貴重な光景でしょう。
由緒
貼紙
国玉神社略記
地図