社号 | 春日神社 |
読み | かすが |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 大阪府和泉市三林町 |
旧国郡 | 和泉国和泉郡三林村 |
御祭神 | 武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売大神 |
社格 | 旧郷社 |
例祭 | 10月10日 |
春日神社の概要
大阪府和泉市三林町に鎮座する神社です。
社伝によれば、神護景雲二年(768年)に常陸国から武甕槌命と経津主命が奈良へ遷宮する(「春日大社」の創建)際、当地近郷の住民が集い頓宮を造営したと伝えられています。
当社のように春日神の奈良への遷宮の途中に立ち寄ったという伝承は春日大社より東側に鎮座する春日系の神社でしばしば見られますが、当社のように西側に鎮座する神社では珍しいものです。恐らく当地は古くから「春日大社」と関わりの深い土地だったのでしょう。
当社の参道の両側や社殿裏に六世紀~七世紀の古墳があるらしく、この付近は古くから人々の暮らした地だったようです。
当地付近をかつて「池田郷」と称し、当社はこの池田郷の総氏神とされました。『倭名類聚抄』和泉国和泉郡にも「池田郷」の記載があります。
当社の西に南池田小学校・中学校が、当社から泉北高速鉄道を越えた北側には大字「池田下町」があり、槇尾川沿いの広い範囲を「池田郷」と称したことがわかります。
このような広い範囲を氏子としているため、当社は多くの神社が合祀されています。大正四年(1915年)には式内社の「穂椋神社」が当社に遷座されており、現在その跡地は「金刀比羅神社」が鎮座しています。
式内社
境内の様子
境内入口。西向きに建つ一の鳥居から伸びる参道は非常に長く、およそ200mほど続きます。
一の鳥居の両脇に配置されている狛犬。
参道を歩いていくと二の鳥居が見えてきます。二の鳥居は西向きに建っており、この先は広い空間となっています。
二の鳥居両脇に配置されている狛犬。
二の鳥居をくぐって左側(北側)に手水舎があります。吐水は春日神社らしく鹿の銅像になっています。
空間の先に三の鳥居があり、ちょっとした石段の上に社殿が建っています。参道がほぼ真西なのに対し、三の鳥居や社殿は南西向きに建てられています。
三の鳥居の脇に狛犬が二対配置されています。他に参道の途中にもいくつかの狛犬があり、当社は多くの狛犬が置かれています。
石段上の拝殿は本瓦葺の平入入母屋造に千鳥破風と軒唐破風付きの向拝の付いたもの。かなり狭い空間に建っています。
拝殿後方に建つ本殿は銅板葺の三間社流造。垣が設置されているため拝殿から後方へは立ち入ることができません。
拝殿の右側(南側)に拝所があり、本社本殿右側に鎮座する境内社用の拝所となっています。
本社本殿右側(南側)の境内社は二社鎮座しており、いずれも南西向き。
これらの内、左側に鎮座するのは「意賀美神社」で、御祭神は「龗神」「白山比売命」。大正四年に万町より遷座したもの。
右側に鎮座するのは式内社の「穂椋神社」で、御祭神は「保食神」。大正四年に和田町より遷座したもの。旧地には現在「金刀比羅神社」が鎮座しています。
社殿はいずれも銅板葺の一間社春日造。
意賀美神社・穂椋神社の手前側にはこのような多くの瓦製・石製の小祠が置かれていました。
瓦製の小祠は岡山県で「瓦ホウデン」と呼ばれるものをよく見かけますが、この地域には珍しいように思われます。近隣の家の屋敷神として祀られていたものでしょうか?
拝殿左側(北側)の空間に「水屋権現社」が南向きに鎮座。御祭神は「水屋権現」。水神として祀られているようですが、あまり聞かない神名です。
社殿は銅板葺の一間社流造で、下部の階などが石造となっています。
水屋権現社の右側(東側)に隣接して現代アートのオブジェのような石造物があり、こちらは「大地主大神」を祀っているようです。
境内の北側の空間に石造鳥居と複数の朱鳥居が並び、その奥に「玉福稲荷神社」が南向きに鎮座。御祭神は「宇迦之御魂大神」「佐田彦大神」「大宮能売大神」。


由緒
石碑
春日大社略歴
地図
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