社号 | 高石神社 |
読み | たかいし/たかし |
通称 | |
旧呼称 | 天神社 等 |
鎮座地 | 大阪府高石市高師浜 |
旧国郡 | 和泉国大鳥郡高石北村 |
御祭神 | 少名彦名命、天照大神、熊野坐神 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 10月6日 |
式内社
高石神社の概要
大阪府高石市高師浜に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、一説に白雉元年(650年)の創建とも伝えられています。
一説に当社は「高志(古志)氏」の祖である「王仁(ワニ)」を祀ったとも言われています。
「王仁」は応神天皇の御代に百済から渡来したとされる人物で、日本に千字文や論語など様々な文物を伝えたとされる優秀な学者です。
『続日本紀』天平神護元年(766年)十二月四日条に和泉国の人「高志毘登若子麻呂」ら53人に「高志連」の姓を賜るとある他、『新撰姓氏録』和泉国諸蕃に王仁の後裔であるという「古志連」が記載されています。
こうした記録から和泉国に王仁の後裔である「高志(古志)氏」が存在したことは明らかですが、当地の地名「高石 / 高脚(タカシ)」が「高志 / 古志(コシ)」と同じと見て良いかという点はやや疑問です。
江戸時代中期の地誌『和泉名所図会』に当社は「王仁」を祀るとしつつも「天神」と呼ばれていたことが記されている一方、現在の祭神は「少名彦名命」「天照大神」「熊野坐神」で、王仁は祀られていません。
また天神ならば菅原道真公を祀っていそうですがこれも祀られていません。
天神と名乗りつつ「スクナヒコナ」を祀る神社は京都市下京区に鎮座する「五條天神社」などいくつかの例があります。
当社も天神とは天津神の意で、或いは「スクナヒコナ」か「アマテラス」を祀っていたのが元々の信仰だったのかもしれなせん。
境内の様子
境内入口。大阪と和歌山を結ぶ紀州街道に沿って鎮座しており、一の鳥居が南東向きに建っています。
境内は海浜の神社らしく松が生い茂り、白砂青松の名所として古くから知られていました。
鳥居前の左側(南側)に桟瓦葺・切妻造の吹き放ちの建物があり、手水舎兼絵馬殿になっています。
手水鉢は水が流れておらず、手水としては今は使われていないようです。
石畳の参道を進んでいくと途中に二の鳥居と注連柱が南東向きに建っています。
注連柱の側に配置されている狛犬。花崗岩製で顔の濃い狛犬です。
注連柱と社殿の間に松の植えられた区画があり、蕃塀のように社殿が隠れるような形になっています。参拝客の動線はこれを迂回するようになっています。
松の区画を右側(北側)へ迂回したところに手水舎があります。こちらの手水舎は現役で稼働しています。
松の区画の先に社殿が南東向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の平入入母屋造に大きな唐破風の向拝が付いたもの。
拝殿前に配置されている狛犬。こちらは砂岩製で、細身ながらなかなか険しい表情をしています。
拝殿後方、塀に囲われて建つ本殿はちょっと複雑な形式です。背面が入母屋造となった春日造を基本として、屋根の前方が延長されて幣殿と一体化したもの、といったところでしょうか。
道を戻り、一の鳥居から左側(西側)へ参道が分岐して、その先に「船富神社」「八坂神社」「八幡神社」「春日神社」「彌栄神社」の相殿が東向きに鎮座。
鳥居、拝殿、本殿の揃った本格的なもので、拝殿は本瓦葺の平入切妻造、本殿は銅板葺の一間社流造。
この神社は近隣に鎮座していた神社を明治四十一年(1908年)に神社合祀政策によりここに遷し合祀したものです。
先の相殿社の左側(南側)に隣接して稲荷系の神社が北東向きに鎮座。
簡易な拝所が建ち、奥に銅板葺の流見世棚造の社殿が建っています。
また境内東側には木の幹(松と棕櫚?)の根元に境内社が鎮座しています。社名・祭神は不明。社殿は銅板葺の流見世棚造。
大阪市内ではクスノキに龍蛇がおられるとして祠に祀る信仰がよく見られますが、こうした木はやや珍しいように思います。
他にも境内の隅には小さな祠と石祠(社名・祭神不明)が忘れられたように祀られていました。右側の祠の方は狛狐が置かれていることから稲荷系と思われます。
当社の近くにある南海電鉄の高師浜駅。駅舎は大正八年(1919年)の開業当初のもので、美しいステンドグラスのある貴重な近代建築です。
由緒
案内板
高石神社
案内板
由緒略記 式内社高石神社
『和泉名所図会』
地図