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杭全神社 (大阪府大阪市平野区平野宮町)

社号杭全神社
読みくまた
通称
旧呼称熊野三所権現、牛頭天王社 等
鎮座地大阪府大阪市平野区平野宮町2丁目
旧国郡摂津国住吉郡平野郷町
御祭神素盞嗚尊、伊弉册尊、速玉男尊、事解男尊、伊弉諾尊
社格旧府社
例祭7月11日-14日

 

杭全神社の概要

大阪府大阪市平野区平野宮町2丁目に鎮座する神社です。中世以来の環濠集落である平野郷の産土神です。

当社は第一本殿、第二本殿、第三本殿の三棟の本殿で構成されており、それぞれ異なる時期に勧請されたとされています。

 

社伝によれば当社の由緒について次のように伝えられています。

  • 坂上田村麻呂の子、坂上広野麻呂が当地杭全(クマタ)荘を領地として開発、広野が後に訛って平野となり当地の地名となった。
  • 広野麻呂の子、坂上当道(マサミチ)が貞観四年(862年)当地に祇園社(現在の京都市東山区祇園町の「八坂神社」)を勧請したのが当社の創建であり、これが現在の第一本殿(御祭神「素盞嗚尊」)である。
  • 後、建久元年(1190年)に熊野證誠権現(現在の和歌山県田辺市本宮町本宮に鎮座する「熊野本宮大社」)を勧請したのが現在の第三本殿(御祭神「伊弉諾尊」)である。
  • さらに後、元享元年(1321年)に熊野三所権現(現在の「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の祭神の総称)を勧請したのが現在の第二本殿(御祭神「伊弉册尊」「速玉男尊」「事解男尊」)である。このとき後醍醐天皇より「熊野三所権現」の勅額を賜った。
  • 以来、熊野権現を総社として祀られてきたが、明治になって社名を杭全神社と改め、祇園社を本社に戻して現在に至っている。

このように坂上田村麻呂の子孫である坂上氏が当地に居住して開発し、祇園社から神(当時は「牛頭天王」)を勧請したのが当社の創建で、後に熊野の神々が勧請されたのが当社と伝えられています。

ここで坂上氏の祖である阿知使主でなく、特に無関係の牛頭天王を祀ったのを創建としていることから、祖神を祀る風習が衰退し著名な神を祀るようになった時代に創建されたことを示唆しており、実際の創建年代はもう少し下るものと思われます。

勧請元の「八坂神社」も創建年代は諸説あり、伝承では斉明天皇二年(656年)とも伝えられていますが、貞観十一年(869年)とする説、貞観十八年(876年)とする説などが有力で、それより以前の貞観四年(862年)に当社が「八坂神社」から勧請したとするのはやや考えにくいでしょう。

なお、「八坂神社」から神を勧請する以前に前身となる阿知使主を祀る神社があった可能性は無くはないものの、その痕跡は皆無であり空想の域を出るものではありません。

 

そして社伝ではその後に「熊野本宮大社」の神を勧請したと伝えていますが、さらにその後に「熊野本宮大社」を含めた「熊野三所権現」を改めて祀っているのはやや不思議です。

「熊野三所権現」を祀ったという第二本殿の三柱の祭神の内「速玉男尊」は「熊野速玉大社」の祭神、そして「伊弉册尊」「事解男尊」はいずれも「熊野那智大社」の祭神と解されており、「熊野本宮大社」の神は祀られていません。

このことから、或いは「熊野三所権現」と言いつつも、実際には既に「熊野本宮大社」の神は祀っているので残る「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の神のみを勧請したのかもしれません。

ただ、「熊野本宮大社」の祭神は「家都美御子大神」(一般的に「素盞嗚尊」とされている)ですが、そこから勧請されたと伝える第三本殿は何故か「伊弉諾尊」を祀っており、この齟齬も不可解です。

長い歴史における錯綜の中で祭神の混乱が生じたのかもしれません。

後世になると最後に勧請された熊野三所権現が本社となっていたようですが、明治年間に最初に勧請された祇園社を本社とする形に変更したようです。

 

当社の鎮座する「杭全」は『倭名類聚抄』摂津国住吉郡の「杬全郷」の遺称であり、古代においては難波と大和の都を結ぶ交通の要衝だったと考えられます。

坂上広野麻呂が当地「杭全荘」を開発し、さらに後には融通念仏宗の総本山「大念仏寺」が開基されて門前町としても発展。「平野荘」とも呼ばれるようになった当地は戦国時代には集落を堀で囲む環濠集落として国内有数の自治都市が形成されました。

当社はそのような華々しい歴史をたどった当地を支えてきた神社と言え、現在もその中世の繁栄を偲ぶ遺構を随所で見ることができます。

当社の本殿も国指定重要文化財となっており、これもまた平野郷・杭全の繁栄を今に伝えるものと言えることでしょう。

 

境内の様子

当社の鳥居は境内の300mほど南、国道に面したところに南向きに建っています。ここから長い参道が伸びています。

 

参道の途中に「弁天池」があり、そこに浮かぶ島に「宇賀神社」が東向きに鎮座しています。

鳥居が建ち、銅板葺の妻入切妻造の社殿で朱塗りが施されています。

宇賀神とは弁才天と習合した、もしくは眷属となった神で、人面の龍蛇の姿で表現されることの多い神です。

 

参道を進んでいくと、注連柱をくぐってすぐ左側(西側)にとてつもなく巨大なクスノキがあり、そのあまりの大きさに圧倒されずにはいられません。

このクスノキは大阪府の天然記念物に指定されていて、樹齢は一千年であると言われています。

木の根元には石祠が祀られており、このように大阪市内にはクスノキに龍蛇が住まうとする信仰がよく見られます。

 

さらに参道を進んでいくと「大門」と呼ばれる本瓦葺・平入切妻造の四脚門の神門があります。

案内板等には鎌倉時代の建築とありますが、そうならば国重文であってもおかしくないのに何故か文化財として何の指定も受けていません。ネット上では嵩上げしたために文化財指定にならなかったとの情報もあるものの真偽のほどは不明。

 

大門をくぐると左手(西側)に手水舎があります。

 

杭全神社

杭全神社

参道をくぐってまっすぐ正面に南向きに社殿が並んでいます。

拝殿は本瓦葺きの平入入母屋造で唐破風の向拝が付いたもの。安定感のあるどっしりとした構えです。

 

拝殿前の狛犬は銅製のもの。

脚に幾重もの紐で縛られており、これは家出した人が帰ってくるよう祈願した人が施したものです。

適当な紐を二本用意し、一本を狛犬に縛って祈願し、もう一本を家出した人の残した履物に結んでおくとその人の居場所がわかる、もしくは家に帰ってくると言われています。

 

拝殿後方に三カ所の拝所(中門)のある廻廊が建っています。銅板葺の平入切妻造で、拝所に妻入切妻造の破風が設けられています。

この廻廊の後方に三棟の本殿がありますが、連子窓の間隔が狭くじっくり見ることはできません。

左側(西側)に第一本殿、中央に第二本殿、右側(東側)に第三本殿が建っており、それぞれの形式および祭神は次の通り。

  • 第一本殿:元禄三年(1690年)の建立。旧春日大社の本殿を移築したもので一間社春日造。御祭神は「素盞嗚尊」。
  • 第二本殿:永正十年(1513年)の建立。三間社流造。御祭神は「伊弉册尊」「速玉男尊」「事解男尊」。
  • 第三本殿:永正十年(1513年)の建立。一間社春日造。御祭神は「伊弉諾尊」。

これら三棟はいずれも貴重な建築として評価され国指定重要文化財となっています。

 

本社社殿手前の左側(西側)に「恵比須神社」が東向きに鎮座。

この社殿はいわゆる「凸型拝殿」で、拝殿部分は銅板葺・平入切妻造に長くて浅い切妻破風の向拝が付いたもので、後方の凸部分に本殿が納められているようです。

 

恵比須神社の右隣(北側)に「田村社」が東向きに鎮座。

長寶寺にあった田村堂を遷したもので、当地平野を開発した坂上広野麻呂の父、「坂上田村麻呂」を祀っています。本瓦葺の宝形造に向拝の付いたもので仏教建築となっています。

 

注連縄で囲われた謎の空間。こちらの祠はよくわかりません。

脇には神事で使われるものでしょうか、釜が並べられてありました。

 

田村社の右側(北側)に「十柱神社」が東向きに鎮座。社殿は桟瓦葺の十間社流見世棚造。

祀られているのは、左から「恵比須社」「大國主社」「多賀神社」「中居神社」「住吉神社」「八幡宮」「松尾神社」「金刀比羅神社」「愛宕神社」「加茂神社」。

 

境内の北西奥に巨大なイチョウの木があります。「垂乳根公孫樹」と呼ばれ「おちち」の神様としても崇敬されているようです。

樹齢七百年ともいわれ、大阪市の保存樹に指定されています。

 

イチョウの側に「稲荷神社」が東向きに鎮座。「吉岡大明神」とも呼ばれています。

朱鳥居と石造鳥居が並び、その奥に社殿が建っています。

この社殿は巨大な覆屋の中に本殿が納められている構造のようですが、よく見えない部分が多く形式はよくわかりません。

 

本社拝殿の右側(東側)に「鎮守社」が西向きに鎮座。

社殿は銅板葺の一間社流造。

 

当社には「連歌所」があり、宝永五年(1708年)に建てられたもので大阪市指定有形文化財

平野郷では連歌会が催されるほど文化水準が高かったことが偲ばれるものです。連歌会は明治以降途絶えましたが近年再興されたようです。

 

境内の東側にある水路は環濠集落であった平野郷の堀の跡です。

 

境内周辺の様子

平野郷には融通念仏宗の総本山であり日本最初の念仏道場である「大念佛寺」があります。

平入入母屋造の巨大な本堂は大阪府で最大の木造建築となっています。平野郷は当寺の門前町としても発展しました。

 

杭全神社の周辺は環濠集落だった平野郷の繁栄を思わせる古い家屋が今でも多くあり、大阪市内とは思えないほど素晴らしい町並みがよく残っています。

 

当社の近くにある老舗の和菓子屋、「塩伊」さん。慶応元年(1865年)の創業だそうです。

昔ながらの和菓子も豊富ですが、こちらの名物は何と言っても「生チョコ大福」。求肥の中に生チョコが入っており、とろけるような不思議な食感と口の中に広がる甘さが堪能できます。

杭全神社へ参拝の際は是非ご賞味あれ。

 

タマヨリ姫
「杭全」で「くまた」って読むの!?絶対読めない!!
大阪を代表する難読地名としてそこそこ有名で、歴史のある地名なのよ。
トヨタマ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板

杭全神社

『摂津名所図会』

 

地図

大阪府大阪市平野区平野宮町2丁目

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