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原田神社 (大阪府豊中市中桜塚)

社号原田神社
読みはらだ
通称
旧呼称西牧社、祇園社、牛頭天王社 等
鎮座地大阪府豊中市中桜塚1丁目
旧国郡摂津国豊島郡桜塚村
御祭神須佐之男命、櫛稲田姫、大日孁貴女尊、月読命、高龗命、天児屋根命、住吉大神、仁徳天皇、菅原道真公
社格旧府社
例祭10月1日

 

原田神社の概要

大阪府豊中市中桜塚1丁目に鎮座する神社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、社伝によれば白鳳十二年(684年)に天武天皇が神宝、神鏡、獅子頭を奉納したといい、また同じ頃に悪疫が流行した際に「妖邪退除」の詔勅を下し当社に祈願したと伝えられています。

しかし国史においてはそのような記録は見られず、あくまで伝承に過ぎません。

当社は古く「祇園社」と称し「牛頭天王」を祀っていたことから、いつの頃か「八坂神社(祇園感神院)」(京都市東山区祇園町に鎮座)から勧請したのではないかと思われます。

一方、江戸時代中期の地誌『摂陽群談』は当社は「春日大社」(奈良市春日野町に鎮座)と関係が深かった旨を記しています。それによれば、古く「春日大社」の神職が当社の祭事を行ったといい、さらに春日山の鹿が当地へ来て当社の神前を守り、鳥居の外にある鹿塚がこれであると記しています。

当社付近は古墳時代前期および中期~後期の二期に亘って築かれた「桜塚古墳群」が分布しており、上記の「鹿塚」とはその一基だったものでしょう。

「桜塚古墳群」は44基もの古墳が確認されているものの、その大部分は宅地開発により消滅しており現在は僅かに5基が残るのみです。この内、西方に所在する「大石塚古墳」等の古墳を含む一帯はかつて当社の社領でした。

これら古墳群と当社の祭祀が直ちに結びつくととは考えにくいものの、牛頭天王が祀られる以前から当社の前身となる何らかの祭祀が行われていた可能性は考えられるかもしれません。

当地周辺を含む豊中市一帯は平安時代後期には摂関家の荘園「垂水西牧」となり、寿永二年(1183年)に摂関家から「春日大社」へ寄進されています。上記『摂陽群談』が言うように当社が「春日大社」と関係を持ったのは恐らくこれによるものでしょう。

その後室町時代には将軍足利氏から厚い崇敬を受けたといい、神領として「西牧六車荘」を寄進されています。この頃には春日大社の影響が薄れ、牛頭天王への信仰が強まっていったのかもしれません。

中世の最盛期には当地周辺はもちろん、猪名川の対岸の川辺郡までを含む72村もの産土神だったといい、極めて広い範囲を氏子とする有力な神社だったようです。

天正六年(1578年)には荒木村重の兵火に遭って焼失したものの、その後江戸時代に入って慶安五年(1652年)に社殿が再建されました。

現在残る五間社流造の本殿はこの頃のもので、貴重な建築として国指定重要文化財となっています。

『摂陽群談』によれば当時の御祭神は「素盞嗚尊」「月神」「日神」「櫛玉命」「稲田姫命」の五柱だったといい、五間社の本殿にはそのそれぞれが祀られていたのでしょう。

現在の御祭神は「須佐之男命」「櫛稲田姫」「大日孁貴女尊」「月読命」「高龗命」「天児屋根命」「住吉大神」「仁徳天皇」「菅原道真公」となっており、「櫛玉命」に相当する神が見えない一方で新たに五神が加わっています。

能勢街道と伊丹街道の交わる当地は江戸時代から大きく栄えたといい、現在も境内の周囲はアーケード商店街となっており賑わいを見せています。

 

境内の様子

当社はアーケード商店街となっている桜塚商店街に面して鎮座しています。境内入口は東側と北側があり、当記事では東側から紹介します。

桜塚商店街は「ナ」の字を左右反転した形となっており、南東側入口から西へまっすぐ進んだ先に当社の鳥居が東向きに建っています。

この鳥居は貞享五年(1688年)に奉納されたもので、江戸時代に遡ることに加え、その建立の様子が詳細な記録として残っており、貴重なものとして豊中市指定文化財となっています。

案内板

原田神社石鳥居

 

鳥居をくぐった様子。境内は鬱蒼とした森に囲まれつつもかなり広々とした開放的な空間となっています。

 

鳥居をくぐって右側(北側)に手水舎が建っています。

 

原田神社

さらに先へ進み広場へ。この空間の正面奥に社殿が東向きに並んでいます。

拝殿は銅板葺の平入入母屋造に向拝の付いたもので、後部の左右には平入切妻造の部屋が接続しています。

 

拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製のどっしりとしたもの。

 

拝殿前には石材で方形に組まれた基壇らしきものがあります。神事の際に用いる舞台でしょうか?

 

原田神社 本殿

拝殿後方、瑞垣に囲まれて建つ本殿は檜皮葺の五間社流造に千鳥破風と軒唐破風の付いたもの。

慶安五年(1652年)に建立されたもので、五間社の本殿は全国的に珍しく、優美で保存状態も良い貴重な建築であることから国指定重要文化財となっています。

案内板

国指定重要文化財

原田神社本殿

 

境内社等

本社拝殿の左手前(南東側)、境内の南側に「十二社神社」が北向きに鎮座。

鳥居が建ち、瑞垣に囲まれて檜皮葺の三間社流造の社殿が建っています。

この社殿は建立年代は不明ながら江戸時代初期の建築と見られ、桃山時代の特徴も見られることからさらに遡る可能性もあり、貴重な建築として豊中市指定文化財となっています。

案内板

有形文化財(建造物)原田神社 摂社十二神社本殿

 

本社本殿の左側(南側)に四社の相殿が東向きに鎮座しています。

左側(南側)から順に「八幡大神」「春日大神」「天満大神」「熊野大神」が祀られています。

社殿は銅板葺の四間社流見世棚造。

 

四社相殿の背後(西側)にはRC造の神庫が建っています。

 

四社相殿の左奥(南西側)に境内社が東向きに鎮座。社名・祭神は不明。

鳥居が建ち、奥に桟瓦葺の平入入母屋造に向拝の付いた社殿が建っています。

 

本社本殿の右側(北側)に「神明社」が東向きに鎮座。

鳥居が建ち、奥に銅板葺の神明造に似た平入切妻造の社殿が建っています。

 

本社拝殿の右側(北側)、境内北側に「稲荷社」が東向きに鎮座。

東側と南東側の二方向から多数の朱鳥居が並んでいるのが特徴。

本瓦葺の平入切妻造の拝殿、そしてその後方に玉垣に囲まれて銅板葺の一間社流造の本殿が建っており、いずれも朱塗りが施されています。

 

稲荷社の後方(西側)には先程とはまた別の神庫が建っています。こちらは木造のもの。

 

境内の北端にも入口があり、鳥居が北向きに建っています。

こちらの入口も桜塚商店街から直接入る形になります。

 

北側入口から境内へ進んだところにも左側(西側)に手水舎が建っています。ただこちらは水が湛えられていませんでした。

 

桜塚古墳群

当社周辺には「桜塚古墳群」と称する古墳時代前期および中期~後期の二期に亘って築かれた古墳群が所在しています。

特に阪急宝塚線を挟んだ向かい側、当社西方にあるものはかつて当社の社地でした。

この「桜塚古墳群」は44基もの古墳が確認されているものの、大部分は宅地開発により消滅しており現在は僅か5基が残るのみとなっています。

この内、当社の社地だったという西方に残る古墳を見ておきましょう。

 

当社の西方約300mの地に古墳時代前期後半(四世紀中頃)に築造されたと推定される前方後円墳「大石塚古墳」があります。

墳丘長80m以上になるといい、桜塚古墳群の中では最大規模となります。

河原石を葺石とし、平坦面には玉砂利が敷き詰められていることから「石塚」の名が生じたとされています。

案内板

大石塚古墳

 

大石塚古墳のすぐ北側に近い時期に築造されたと見られる前方後円墳「小石塚古墳」があります。

こちらは墳丘長49mで、同じく河原石が葺かれ玉砂利が敷き詰められています。

大石塚古墳と主軸を揃えて築造されており、両者は極めて近しい人物の墓だったことと思われます。

案内板

国指定史跡 大石塚小石塚古墳

 

タマ姫
商店街のある賑やかなところだけど、本殿に鳥居に古墳と古いものがいっぱいだね!
そうね。古墳は大部分がなくなったみたいだけど、神社は古くから今も変わらず大切にされてることと思うわ。
トヨ姫

 

由緒

案内板

原田神社

案内板

無形民俗文化財 原田神社獅子神事祭

 

地図

大阪府豊中市中桜塚1丁目

 

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