社号 | 弓削神社 |
読み | ゆげ |
通称 | 河内大社 |
旧呼称 | |
鎮座地 | 大阪府八尾市東弓削 |
旧国郡 | 河内国若江郡東弓削村 |
御祭神 | 天日鷲翔矢命、彌加布都神、比古佐自布都神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月20日 |
弓削神社の概要
大阪府八尾市東弓削に神社する神社です。弓削地区の弓削神社と共に式内社「弓削神社」の論社となっています。『延喜式』神名帳は二座とあるため、弓削地区の弓削神社と当社で一座ずつ祀られているとする説もあります。
また、『延喜式』神名帳には大社に列せられ、月次祭、相嘗祭、新嘗祭に預かるとあることから古くは河内国の中でも指折りの有力な神社だったことがわかります。当社が「河内大社」とも称されるのはこれに因むものでしょうか。
当社の創建、由緒は詳らかでありませんが、物部氏に属して弓を製作していた弓削氏が祖神を祀ったと考えられます。弓削氏については弓削地区の弓削神社の記事に詳述してありますので併せてご覧ください。
弓削地区の弓削神社では物部氏の祖神である饒速日命と可美麻治命を祀っていましたが、当社では『新撰姓氏録』河内国神別に登載されている「弓削宿祢」の祖神、天日鷲翔矢命を祀っています。
また『三代実録』貞観二年の条に見える河内国の「彌加布都神」「比古佐自布都命」は当社に比定されており、両神も御祭神として祀っています。
当地は江戸時代には若江郡でしたが、もう一つの弓削神社の鎮座する弓削地区は志紀郡に属していました。若江郡と志紀郡の間にかつて大和川が流れており、弓削の地は分断されていました。
『延喜式』神名帳の「弓削神社」は若江郡とあるので当社であるとする説も根強いですが、旧大和川の流路は変動が大きく、弓削地区もかつては大和川の右岸側で若江郡に属していた可能性があります。
いずれが式内社として正しいかというより、両地が一体となって弓削氏の拠点となり開発されただろうということを考えた方が良いかもしれません。
なお、当社の東方300mの地に「古宮」という小字があるようで、そこがかつての鎮座地だという伝承もあるようです。その地は弓削氏の氏寺であり道鏡も関わった「由義寺」の跡であるとされる東弓削遺跡のすぐ側と思われ、そここそが弓削氏にとって最も重要な一帯だったのかもしれません。
境内の様子
境内入口。住宅地に囲まれた小さな神社となっています。
正面に簡素な社殿が建っており、神社としてはやや珍しい北向きとなっています。拝殿は平入の切妻造。
拝殿前の狛犬。
本殿は神明造となっています。本殿を囲う壁の側面に稲荷系の神を祀る祠が埋め込まれており、これもまたちょっと珍しい形態です。
当社は手水舎等の設備も無く、街中のわずかな区画にある小さな神社といった雰囲気です。「河内大社」という大それた呼称はちょっと荷が重いかもしれません。


由緒
石碑「弓削神社」
『河内名所図会』
地図
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