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白鳥神社 (大阪府羽曳野市古市)

社号白鳥神社
読みしらとり
通称
旧呼称伊岐宮、白鳥明神 等
鎮座地大阪府羽曳野市古市
旧国郡河内国古市郡古市村
御祭神日本武尊、素戔嗚尊
社格旧村社
例祭10月スポーツの日

 

白鳥神社の概要

大阪府羽曳野市古市に鎮座する神社です。

当社の創建は詳らかでありません。

社伝によれば元は軽里の「伊岐谷」と呼ばれる地に鎮座していたといわれ、南北朝時代や戦国時代に兵火に遭い、小さな祠として細々と祀られていたものの、慶長の地震で倒壊した後は長らく放置されていたようです。

そしてその後寛永年間(1624年~1644年)の末に古市村の産土神として現在地に遷座したと伝えられています。(遷座を天明四年(1784年)とする資料もあり)

 

「伊岐谷」とは江戸時代以前に「白鳥陵」とされていた古市古墳群の「峯ヶ塚古墳」(軽里2丁目)の辺りにあった地名です。

そして「白鳥陵」とは景行天皇の御子「日本武尊」の陵墓であり、上述のようにかつては「峯ヶ塚古墳」がそうだとされていたものの、現在は宮内庁により「軽里大塚古墳」に治定されています。

『日本書紀』景行天皇四十三年条にはこの「白鳥陵」について次のように記しています。

  • 日本武尊は伊勢の能褒野(ノボノ / 現在の三重県亀山市・鈴鹿市付近)で病気が重くなり、ここで亡くなった。
  • 天皇の詔により日本武尊は能褒野の陵に葬られたが、日本武尊は白鳥となって陵から飛んでいき大和国へと飛んで行った。群臣らが陵の棺を開けて見ると衣が残っているのみだった。
  • 使者を派遣して白鳥を追わせたところ、大和国の琴弾原(現在の奈良県御所市東部)で停まったのでそこに陵を造った。
  • 白鳥はまた飛び立って河内国へ至り、旧市邑(現在の羽曳野市古市)に留まったのでそこにも陵を造った。故に当時の人はこの三つの陵を「白鳥陵」と呼んだ。
  • 白鳥は遂に高く天上へ飛んでいったので、ただ衣冠のみを葬った。

ここにいう能褒野の陵は宮内庁により三重県亀山市田村町にある「能褒野王塚古墳」に、そして大和国の琴弾原の陵は宮内庁により奈良県御所市冨田にある「白鳥陵」に治定されています。

そして河内国の旧市邑の陵が上述のようにかつては「峯ヶ塚古墳」とされ、現在は宮内庁により「軽里大塚古墳」に治定されています。

宮内庁が「峯ヶ塚古墳」でなく「軽里大塚古墳」に治定した理由は不明。墳丘長96mの「峯ヶ塚古墳」に対し「軽里大塚古墳」は墳丘長190mの巨大古墳であることからその規模を評価したのかもしれません。

ただ前者は六世紀初頭、後者は五世紀後半の築造と推定されており、実在性に疑問があるとはいえいずれにしても日本武尊の年代とは合致しません。

 

上述のように当社は「白鳥陵」とされていた「峯ヶ塚古墳」の「伊岐谷」においてヤマトタケルを祀った「伊岐宮」を前身としており、長らく荒廃していたものが江戸時代に再興され、その際にどういうわけか東方約1.1kmの現在地に遷座しています。

この経緯ははっきりしないものの、或いは『日本書紀』に白鳥が留まった地が「旧市邑」とあるため、その遺称である古市を遷座先としたのかもしれません。

 

当社は明治四十一年(1908年)に式内社「高屋神社」を合祀しています。現在も高屋神社の神を祀っているようですが、同社は合祀後に復興され現在は再び独立した神社となっています。

 

境内の様子

一の鳥居は境内の東方約200m、南北に伸びる道に面して東向きに建っています。

 

一の鳥居から西へまっすぐ道を進むと境内入口へと至り、二の鳥居である神明鳥居が東向きに建っています。

境内はやや小高い地形となっており、古墳であるともそうでないとも言われています。

古墳の密集する地であり、この地形もいかにも古墳のように見えますが、現状では古墳でない可能性が高いとされ、古市古墳群の中に含まれていません。

 

二の鳥居をくぐり石段を上ると広々とした境内。

左右に配置されている灯籠は文政五年(1822年)に奉納されたもので、「白鳥宮廣前」と刻まれています。

 

石段を上って左側(南側)に手水舎があります。

 

白鳥神社 羽曳野市

白鳥神社 羽曳野市

石段を上って正面奥に東向きに社殿が並んでいます。

拝殿は千鳥破風付きの平入入母屋造で、本瓦葺のどっしりとした重厚な建築です。建立年代は不明ながら遷座した当初のものでしょうか。

拝殿に掲げられている扁額は当社の旧称である「伊岐宮」と揮毫されており、これもかなり古そうです。

 

拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製のもの。

 

拝殿後方に建つ本殿は瑞垣と樹木で囲われてよく見えませんが、銅板葺の春日造のようです。

 

本社社殿の右側(北側)には「白長大明神」が東向きに鎮座。

朱鳥居が複数並び、銅板葺・妻入切妻造の拝殿の後方に、銅板葺・平入切妻造でモルタル造の社殿が建っています。

 

白長大明神のさらに後方、朱鳥居の奥に二基の境内社があり、左側に「白龍大神」が、右側に「白玉大明神」が並んで鎮座しています。

いずれも覆屋内に社殿が納められており、前者は銅板葺の平入切妻造、後者は銅板葺の妻入切妻造の社殿となっています。

白龍大神は背後に立つ木が御神木となっているようでした。

 

当社は江戸時代に現在地に遷座したと伝えられますが、小高い丘の上に立地し、厳かな拝殿を構えることから古式を感じられ、古くからこの地に鎮座していてもおかしくないような雰囲気が感じ取れます。

 

白鳥神社から西へ約1.1km、軽里地区にある古市古墳群の「峯ヶ塚古墳」。墳丘長約96mで六世紀初頭に築造されたと推定される前方後円墳です。

江戸時代以前はここが日本武尊の「白鳥陵」とされ、当社の前身となる「伊岐宮」はこの辺りの「伊岐谷」と呼ばれる地に鎮座していました。

また「軽墓」とも呼ばれたこの古墳は木梨軽皇子の墓だとする伝承もある一方で、軽墓とは日本武尊の「仮の墓」であることからこれが訛ったものとする説もあります。

 

タマヨリ姫
ここは白鳥になった日本武尊を祀ってる神社なんだ!
この神社は元々峯ヶ塚古墳にあって、江戸時代にはそこが日本武尊の陵墓とされていたみたいね。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板

歴史街道 白鳥神社

『河内名所図会』

 

地図

大阪府羽曳野市古市

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