社号 | 二ノ宮神社 / 二宮神社 |
読み | にのみや |
通称 | |
旧呼称 | 二宮牛頭天王社 等 |
鎮座地 | 大阪府枚方市船橋本町1丁目 |
旧国郡 | 河内国交野郡船橋村 |
御祭神 | 建速須佐之男命、奇稲田姫命、大己貴命 |
社格 | 旧村社 |
例祭 |
二ノ宮神社の概要
大阪府枚方市船橋本町1丁目に鎮座する神社です。
社伝によれば仁徳天皇二十九年春の創建と伝えられています。
また桓武天皇や文徳天皇の奉幣があったと伝えられているものの、実際に文献の記録に当社が見え始めるのは文明三年(1471年)以降であるようです。
当社が織田氏の守護神である牛頭天王を祀っていたからか、織田信長が深く崇敬し社殿を修復したとも伝えられています。
豊臣秀吉は当社の社地を没収したものの豊臣秀頼は大坂城の鬼門除けとして深く崇敬し、片桐且元を奉行として慶長八年(1603年)に社殿を修復したといい、この時の棟札が現在も伝えられています。
当社が二宮神社と称するようになったのもこの頃といい、河内国交野郡が大坂城の鬼門、つまり北東の方角にあたることから、牧野阪地区の「片埜神社」を交野郡の一宮、当社を二宮、そして穂谷地区の「三之宮神社」を三宮として、共に鬼門を守護する神社として崇敬したものと言われています。
現在の当社の御祭神は「建速須佐之男命」「奇稲田媛命」「大己貴命」の三柱。
江戸時代以前は「二宮牛頭天王社」と称し、前述のように牛頭天王を祀る神社でした。明治年間の神仏分離により神道の同格の神であるスサノオに祭神が変更されたものと思われます。
境内の様子
当地周辺は京阪樟葉駅に近く大規模に宅地開発されているものの、当社付近は旧・船橋村の古い集落となっています。
旧集落の北側に当社が立地しており、入口には鳥居が南向きに建っています。
鳥居の手前右側(東側)に「猿田彦神」を祀る境内社が西向きに鎮座。
檜皮葺の一間社流造の社殿が覆屋に納められています。
鳥居をくぐった様子。鬱蒼とした社叢となっており、その中を石畳の参道がまっすぐに伸びています。
参道を進むと左側(西側)に手水舎が建っており、手水鉢と井戸が配されています。
参道の先は開けた広場となっており、この正面奥に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造の割拝殿。
拝殿前に配置されている狛犬。
拝殿後方、塀に囲われて銅板葺の一間社流造の本殿が建っています。
鮮やかな朱塗りが施されており、参拝時は塗装作業中と思われ足場が組まれていました。
本社本殿の左奥(北西)に「二ノ宮稲荷大明神」が南向きに鎮座。
元々は北方の田圃の中に鎮座していたといい、その地からは古く小さな瓦が出土したようです。
朱鳥居が建ち、奥に銅板葺の一間社流造に朱塗りの施された社殿が覆屋に納められています。
二ノ宮稲荷大明神の右側(東側)に隣接して「愛宕神社」が南向きに鎮座。
社殿は銅板葺の妻入切妻造。
本社本殿の後方に岩石が配置されており注連縄が掛けられていました。詳細不明。
本社本殿の右側(東側)に「皇大神宮」が西向きに鎮座。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
由緒
案内板
二ノ宮神社
地図
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