社号 | 須波麻神社 |
読み | すはま |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 大阪府大東市中垣内 |
旧国郡 | 河内国讃良郡中垣内村 |
御祭神 | 大国主命 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 10月16日~18日 |
須波麻神社の概要
大阪府大東市中垣内に鎮座する式内社です。
当社の創建、由緒等は詳らかではありません。
御祭神は「大国主命」で、口承では出雲大社と同体であると言われています。
一方で度会延経が江戸時代中期に著した『神名帳考証』は当社の祭神を「木神」としており、これを受けて木の神である「久句能智神」を祀るとする説もあります。
当社の神を木の神とする理由は不明ながら、或いは背後の生駒山地が木材の供給源とされたことが反映されたのかもしれません。
当地は生駒山地の西麓の山際といった地ですが、古くは西側の低地に河内湖が広がっており、当地は社名が示す通り河内湖に面した州浜となっていたのかもしれません。
当地から龍間を経て生駒山地を越え大和へ続く道(現在の阪奈道路)は大和街道の一つとして主要な道だったと思われ、交通上の要衝という側面もあったことでしょう。
近代社格制度では郷社となっており、近隣の村々を氏子としていた有力な神社だったようです。しかし今では中垣内地区のみを氏子としており、ひっそりとした小さな神社となっています。
境内の様子
境内から400mほど西方に灯籠と社号標が建っています。鳥居が建っていてもおかしくない雰囲気。ここから生駒山地の方へと進んでいきます。
生駒山地の森が迫った山際に当社は鎮座しており、入口には石段上に鳥居が西向きに建っています。
石段下の灯籠は道標を兼ねたもので、文政十三年(1830年)に奉納された「お蔭灯籠」です。
お蔭灯籠とは、江戸時代に60年周期で民衆が大勢で伊勢神宮へ参詣した「お蔭参り」を記念して建てられた灯籠のことで、この灯籠が奉納された文政十三年にも大規模なお蔭参りが行われました。
境内は三つの空間に分かれています。すなわち、鳥居をくぐった先の空間、石段を上って手水舎や休憩所等のある空間、さらに石段を上って社殿のある空間です。
これら三つの空間が石垣によって区切られており、一つ目の空間は砂地で広々としたものとなっています。
(鳥居前から数えて)二つ目の石段を上り、二つ目の空間へ。
この空間の左側(北側)に手水舎があります。
三つ目の石段の先、最も上にある空間に社殿が西向きに所狭しと建っています。
拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造に向拝の付いたもの。
拝殿前の狛犬は真新しいものですが、拝殿右側(南側)に置かれてある狛犬は古めかしく、恐らく前代のものと思われます。
本殿は塀に囲まれて見えにくいものの、銅板葺の一間社春日造であることがわかります。
当社は社名に因んだものか洲浜紋が神紋となっており、社殿のあちこちにあしらわれています。
本社拝殿の左側(北側)に「稲荷大明神」が西向きに鎮座。
朱鳥居が建ち、その奥に住吉造に似た、反りの無い屋根の銅板葺・妻入切妻造の社殿が建っています。
本社社殿右側(南側)にも同じく「稲荷大明神」が鎮座しています。
こちらは二基の鳥居が建ち、石段上に朱の瑞垣に囲まれて銅板葺の一間社流見世棚造の社殿が建っています。
参道を戻って二段目の空間の右側(南側)には休憩所兼絵馬殿があり、多くの絵馬が掛けられています。
このように当社は背後に生駒山地を控えており、山岳信仰的な一面もあったかもしれません。
一方で当地の西側の低地は近年に至るまで湖沼が多く、さらに古くは草香江(古代河内湖)が広がっていたと思われ、水運の神としても信仰された可能性もあります。
当地は交通の要衝でもあり、由緒は不明ながらも恐らく複合的な要素が重なり合って信仰されてきた歴史があるのでしょう。
由緒
案内板
須波麻神社
『河内名所図会』
地図