社号 | 大杜御祖神社 |
読み | おおもりみおや |
通称 | |
旧呼称 | 牛頭天王 等 |
鎮座地 | 大阪府寝屋川市高宮 |
旧国郡 | 河内国讃良郡高宮村 |
御祭神 | 天萬魂命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月10日 |
大杜御祖神社の概要
大阪府寝屋川市高宮に鎮座する神社で、式内社「高宮大社祖神社」は当社だとされています。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
同じ高宮地区、当社の西方300mほどの地には式内社の「高宮神社」が鎮座しており、当社は高宮神社で祀られる「天剛風命」の父「天万魂命」を祀っています。
両神とも記紀には見えませんが、物部系の史書『先代旧事本紀』にはイザナギ・イザナミら神世七代の七代目と同じくして生まれた「万魂尊」およびその児「天剛川命」が記されており、「高宮神主」らの祖としています。
一方、『新撰姓氏録』の逸文には応神天皇の御代に阿智使主が二十の氏族を招致し、その中の一つに「高宮村主」があったことが記されています。
彼らは大和を拠点としたと見られるため当社との関係は不明ですが、近隣に太秦など渡来人を連想させる地名もあるため、彼らが当地を開拓し当社を奉斎した可能性も考えられるかもしれません。
しかし上述のように『先代旧事本紀』の記述を見れば高宮氏はイザナギ・イザナミらと同世代の神を祖とする天神系の氏族であり、渡来系の氏族がここに組み込まれるのも疑問で、両者は別々の氏族だったことも考えられます。
いずれにしても「高宮」を名乗る氏族はこれらの他の資料には見えず、いかなる氏族であったかはっきりしません。
当社は元は西側にある畑になってる地に鎮座していたと伝えられているものの、現在地に遷座した時期はよくわかっていません。
現在の社殿のある地は「高宮廃寺」の西塔跡と考えられています。
高宮廃寺は奈良時代に創建されたとされる薬師寺式伽藍配置の古代寺院で、当社や高宮神社を奉斎した氏族の氏寺だった可能性があります。
そうであるならば、巨大な寺院と二社の式内社を抱え、しかもその内の一社は大社に列せられていたということで、彼らは相当な力を持っていた氏族だったことが窺えます。
しかしながらその割に記録に非常に乏しく彼らの実態は謎と言わざるを得ません。
境内の様子
当社へは高宮地区の集落から東方へちょっとした森を抜けていきます。坂道となっており、小高い丘の上にあることがわかります。
森を抜けると石造の両部鳥居が西向きに建っています。
鳥居の先にこんもりとした大きな森があり、ここが当社の境内となります。
森をくぐっていざ境内へ。鬱蒼とした空間ですが、社殿のあるところは明るく日が差しています。
参道の左側(北側)、社殿の手前に手水舎があります。
参道の先の左側(北側)に社殿が並んでいます。西側から伸びる参道に対し社殿は南向きに建っていることになります。
拝殿は本瓦葺の平入入母屋造で、前面には玉垣が設けられています。
拝殿後方に建つ本殿は塀や木々に囲まれて見えにくいですが、一間社流造のようです。
境内を引きで見た様子。森に覆われていることがわかります。
当社境内一帯は奈良時代に創建された古代寺院「高宮廃寺」の境内でした。
境内の森にあった礎石?高宮廃寺のものでしょうか。
当社西方の畑となっている地がかつての社地であり、旧地であることを示す石碑が建っています。
いつ頃、何故遷座したのかははっきりしません。
由緒
石碑
大杜御祖神社と高宮廃寺
案内板
国史跡 高宮廃寺跡
『河内名所図会』
地図
関係する寺社等
高宮神社 (大阪府寝屋川市高宮)
社号 高宮神社 読み たかみや 通称 旧呼称 一の宮 等 鎮座地 大阪府寝屋川市高宮 旧国郡 河内国讃良郡高宮村 御祭神 天剛風命 社格 式内社、旧郷社 例祭 10月10日 式内社 河内國讚良郡 高宮 ...
続きを見る